「やりすぎ教育」を読んで

長年子どもに関わるNPOをしていますが、早期教育の過熱化は今なお続き、子育てに不安を感じる保護者が多くなっていると感じてきました。子どものためにさまざまな習い事をさせ、自由に自分のやりたい遊びをしながらのんびり過ごす時間が少ない子どもたち。そんな保護者の中には教育虐待となりえる子どもとの関わりをしている人もいます。ただそれは本人が気づかないケースの方が多く、子どもが大きくなるにつれて、子どもの身体的症状や精神的状況の変化により気付くケースもまた増えています。

今子育てに不安を感じて必死に習い事や学習塾に行かせ良い学校良い会社に就職するというゴールを目指している人にぜひ一度立ち止まって読んでほしい。

またそうした保護者と関わる先生や保育士などの支援者にも読んでほしいと思いました。

~「これって”やりすぎ教育”?」 NHKウワサの保護者会に出演しています。~

 

【著者紹介】武田信子

臨床心理士。武蔵大学非常勤講師 元武蔵大学人文学部教授。東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。元トロント大学・アムステルダム自由大学大学院客員教授。臨床心理学、ソーシャルワーク、教師教育学をベースに、すべての子どもがウェルビーイングに暮らせる社会を目指して活動。子ども・子育て支援や教育・心理・コミュニティワーク・人権・遊びに関する講演や研修多数。子どもの遊び・生活環境を改善する各地の試みに数多く関わっている。

年始のご挨拶

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

2021年は5日の森のようちえんみきゃんっ子とフリースクールたんぽぽの綿毛から始動します。今年も関わってくれる子どもたち一人ひとりに寄り添い、保護者と共に悩み、考えながら子どものペースをまず基本としてゆっくり関わっていきます。

昨年は思いもよらぬコロナの影響で経済的にも精神的にも苦しんでいる人が増えていると感じています。「孤独に生きることが楽なようで楽ではない。」「人は人の中でしか生きられない。」ますます便利になる子育ててですが、子育ては手間をかけ、少し遠回りするぐらいがちょうどいいのではないかと思っています。

程よく誰かと関わって、程よく誰かのために生きる人生。

年をとればとるほど、一日一日の充実感を味わうためのエッセンスとして「誰かの役に立つ」ということが一番の幸せであると感じてきました。

心豊かに子育てしよう!

子どもの可能性や特性、個性を引き出すためにどうしたらいいのか。社会に出て困らない大人に育てるためにどうしたらいいのか。

目の前の我が子を見つめながら日々奮闘するお母さんはとにかく必死で悩み考え、本を読み、ネットで検索しながら見えない子どもの未来に向かって進んでいます。

見えない未来に向かって子育てする不安・・・わが子が社会人として生きていくことに誰もが不安を感じ、その不安を払拭するかのように今もまだ早期教育が加速しています。

きっと見えないから悩むんだろうと思います。見えてたら悩まない。きっと昔の人は子どもも多かったし、相談する人も多かったから少しだけど今よりは子どもの未来が見えたんだと思います。

いろいろな人と関わって、いろいろな子どもと関わってきて思うことは、人間とひとくくりにするけど、とにかく多種多様。理解不能の大人も多い。でもゆっくり関わると「なるほどそういう観点で物事話すのか!」とか「電車の中での不思議な行動の深い意味!?」「集中力凄すぎて専門的知識はAIなみかもしれないけど、人の話聞いてない!でも専門知識で生きていけたらOKかもね!」「一日中走ってる?歩かずに走るのはなぜ?動物としての本能?」「戦い大好きな子どもはもしかして怖がり屋?それとも男の子には戦いのDNAが組み込まれているのでは?」「右脳と左脳のつながりもみんな違う気がする!」「コミ力凄いし、空気読む力もバッチリ!どんな環境でも生きていけるタイプだけど集中力は微妙?」などなど未だに理解不能の人たちとよく出くわすわけで・・・。

だとすると、生まれたばかりの子どもたちは本能のままに日々を過ごしているのでその究極の極みの状態と考えるべきではないのか?!

大人でも理解不能の人が多いのに、子どもとなればそれ以上なわけで・・・

お母さんはお母さんの生きた人生の中で、人として生きるための枠を知らない間に作っていて、それにそぐわないと不安に感じてしまう。

だから、枠に入れるためのしつけだったり早期教育だったりをする。それから行動がおかしいと感じると障害があるのではないかと不安を抱き、病院で診断名を付けてもらうと少し安心したりもする。障がいの場合はいろいろあるのでこれ以上は書きませんが、その枠が年々狭くなっているような気がします。

小学校、中学校、高校と子どもの発達段階ごとに悩みは尽きないですが、それも枠が狭ければ狭いほど苦しむわけなので、広げる努力も必要だと思います。そのためには心豊かに、いろいろな人がいることも認めていくこと。多様化する社会を理解する努力も必要なワケです。

学び(知識)と経験(リアル)のバランスが大切

最近の子どもを見ていて一番心配なことは感情表現が乏しいことです。悲しい時に泣いて、うれしい時に笑顔いっぱいになって、嫌なことがあったら怒ってもいいと思うのに、怒らない若者たち。

学校で空気を読むことに慣れてしまうと、自分を出すという場がないだろうし、家でも親に気を使い、「良い子」を演じてきた子どもほど表現が乏しいように思います。

「自分らしく生きる」というのは私たち団体のテーマでもありますが、これがなかなか難しいと感じています。

子ども時代にしっかりケンカして、それからやっぱり遊びたいという感情がひしひしと湧いた経験も何度もして、友達と仲良くなるというのはどういうことなのかを身をもって感じ、自分がどうしても曲げられない考えとかも親にぶつけてみて、それに何度も答えてもらう経験を積み重ねていく。

大人が悪いということも、自分自身が納得いかなければ反発してみるのも大切で、納得いくまで考えることを何度も繰り返しながら本当の道徳というものを子ども自身が身に着けていくのだと思います。

学校の道徳の授業で先生の話を聞くだけで、モラルを自分自身の中に落とし込むことはできません。常に学び(知識)と経験(リアル)はバランスだと思います。

 

野生と理性のバランスが大切

人間としての野生(人間の本能)は子ども時代に五感をフルに使い生きる中から育まれます。野生だけだと暴力的な子どもになるのではないかと不安になる人もいますが、人間には野生と理性がバランスよく備わることが大切で、どちらかが強いというのも良くないと思うのです。

今の子どもは野生が育っていません。自然の中で思いっきり走り回り、海で遊び、秘密基地を作り、虫を捕まえるということをどんどんしなくなりました。というよりはできなくなったということが正解かもしれません。

毎年当団体が開催している中島サマーキャンプや久万高原サマーキャンプは野生を育むキャンプといってもいいかもしれません。キャンプの中では子どもは寝るのも忘れて遊び込みます。とにかく暑くても走るし、食べるし、海に潜ります。

そして子どもはみなどんどんエネルギッシュな笑顔を見せてくれます。野生を育むと自然に友達との関りも大切にする理性も育っていきます。これは不思議ですが、自分勝手に遊びだすというよりはより一層仲間意識が育まれて、ともにキャンプを楽しいものにしたいという思いが強くなるように感じます。

今、学校では野生を育むことはほぼ不可能になっています。理性ばかりを強要され、その反発でいじめやいじりといった行動が発生しているように思います。子ども自身が精神的、身体的バランスを取れないための防衛行動なのかもしれません。

乳幼児ではそれが顕著です。乳幼児は理性というよりはとにかく野生を育むべき成長過程にあると思っています。動く、跳ねる、転がる、くるくる回る、ジャンプする、そしてじゃれつき遊び、喜怒哀楽も豊かで、それを止めることはできればしない方がいいと思っています。

乳幼児であっても子ども自身が自分の心と体を自分自身でコントロールするために遊んでいます。むやみに飛び跳ねているようでも、それには一つひとつ理由があるのです。子どもは子ども自身の成長のために必死で生きています。それを親は信じて見守ってあげてください。

でも、そんな子どもの姿を心穏やかに見れるときと見れない時があります。そんな時は「お母さんがhappyな時は子どもが一番happyな時」と考えてOKです!無理はしないで下さい。

悩みは一人で抱え込まないでいろいろな人に相談しましょう!きっとわかってくれる人はいます。「孤独」は地獄です。今年もいろいろな活動の中で子育てを応援していきたいと思っています。(^^)/ よっしー

感覚統合って知ってますか?

みなさんは「感覚統合」という言葉をご存知でしょうか? 聞いたことがない方も多いのではないでしょうか?

感覚統合理論は1960年代、米国の作業療法士 エアーズ(Ayres,A.J.) 博士によって体系化された発達理論で、発達障がい児のリハビリテーション、療育実践として、主に医療現場(作業療法)で発達しました。

例えば、どこからか自分に向かってボールが飛んできたとします。その時、まずは目で見てボールがあることに気づき、その情報は脳に送られます。そして脳が「危ない!」という意味をつくり、それに対して手や身体の筋肉や関節に関係する感覚、身体のバランスを保つ感覚等を使って、ボールを避ける、ボールを取る等の適切な行為が生じます。この一連のプロセスができることが、感覚が統合された状態だということです。

子どもは日々の生活や遊びの中で様々な刺激を受け、それに対して自分の感覚をフルに稼働させながら、徐々に感覚を統合していくそうです。生まれたばかりの赤ちゃんはボールを避けられませんが、小学生にもなるとできる子が多くなります。

つまり感覚の統合の過程は、発達の過程と深い関係があります。子どもが発達するためには、適切な感覚刺激を受け取ることが必要です。

※東京都練馬区でプレーパーク活動をしているNPO法人PLAYTANK(プレイタンク)(旧あそびっこネットワーク)が発行した冊子を参考にして記事を書いています。 日常の中で「やってみたい」が実現した時、子どもは様々な感覚が成長します。大人から見ると小さなことでもその積み重ねが重要となります。こうしたプロセスを体現的に説明することはとても難しいのですが。この本はそのことが分かりやすくまとめられていました。

元気に遊ぶ子どもたちの中にも・・・

長年、地域の子どもたちと関わる中で、危ない行動が目立つ子や、人の輪に入れない子、発想は豊だけど他の人の気持ちがくみ取れない子など、大人に理解されない子どもたちをたくさん見てきました。

大人から見ると危ない行動でも子どもはそう感じていないケースは多いと思います。「悪いこと」として親や周りの人からいつも叱られて育っている子の場合は、叱ってもなにも変わらないと感じてきました。

それよりも、問題が起きた時に、他の何かの理由付けの中から本人が「その行動をこういう時はやめよう」と決めたとき状況が変わってきます。本人も周りから悪いと言われる行動であっても、理由が理解できないと止めることはできません。感覚的に統合されていない幼少期はその段階を少しづつ踏むことでよくなっていきます。他の子ができるから自分の子もできるのが当たり前と考えないで下さい。

叱り続けると自己肯定感は確実に下がっていきます。

人はみな感覚や感覚の統合に偏りがあります。その偏り方は一人ひとり違うのです。

今回は、そんな子どもの「困った行動」には理由があるということで、下記HPを紹介します。

「おこだでませんように」 作 くすのき しげのり 絵 石井 聖岳

ぼくはいつもおこられる。

いえでもがっこうでも…。

きのうもおこられたし、きょうもおこられている。

きっとあしたもおこられるやろ…。

ぼくはどないしたらおこられへんのやろ。

ぼくはどないしたらほめてもらえるのやろ。

ぼくは…「わるいこ」なんやろか…。

ぼくは、しょうがっこうににゅうがくしてからおしえてもらったひらがなで、たなばたさまにおねがいをかいた。

ひらがなひとつずつ、こころをこめて…。

 


この本は、IBBY(国際児童図書評議会)障害児図書資料センターが発行する推薦本リスト(世界のバリアフリー絵本)に選出され、第2回JBBY賞バリアフリー部門を受賞しています。
この受賞について、著者であるくすのきしげのり氏は、ご自身の公式サイトで下記のようにかかれています。


バリアフリー絵本として選ばれたという知らせを受けたとき,私は考えました。
『おこだでませんように』は,主人公の男の子を何らかの発達障害であると想定して書いた作品ではありません。(この子が,今,仮に担任する学級にいたとしても,子どもの言動には様々なファクターがあるので,実際に発達障害があるのかどうかは,発達検査や行動観察をしてみなければわかりません)


ただ,大人が『「困る子』としてみてしまう子どもは,『困っている子』すなわち「本人がいちばん困っているのだ」ということがよく言われます。

私たちは,子どものことをわかったようなつもりで,実はわかっていないということが,よくあります。


そして,子どもも大人も,一人一人が持っている固定観念や既成概念や先入観の中にこそ,いい意味でも悪い意味でもバリアがあるのです。


 『おこだでませんように』を読んで,こうしたことに世界の国々で気づいてもらえることができたなら,今回選ばれたことは,社会全体でバリアフリーを考える上で,とても大きな意味があるのではないかと思います。

 ともあれ,49歳で退職し,作家としての活動に専念することに決めてから,今回の受賞の報せを受けたときには,何か大きく背中を押された気分でした。

 イタリアのボローニャで開かれたブックフェアのIBBYのブースで,「障害を持つ若い人たちのための傑出した絵本として発表されました。これから世界各国で巡回展が開催されるということです。

※感覚統合を説明することはとても難しいことだと思います。ただ今回は、こうした知識も知っていただきたいと思い紹介しました。詳しいことはホームページ等をご確認ください。

「不登校について」南海ラジオ2020/3/20放送

南海放送でお話しさせてもらいました。

今回のテーマは「不登校」について。
不登校、運営しているフリースクールについて話しました。

■ドコママ TSU・NA・GU 子育てステーション
南海放送ラジオ 毎週金曜日
プレゼンターは合田みゆき

自然体験と今の子どもたち~プレーパークから見えてきたこと~

人と関わらない子ども、自然に触れずに育つ子どもたち

 近年、子どもの育つ環境は大きく変わってきています。特に感じることは『体を動かさない』『人と触れあわない』『話さない』という3つの要素です。この3つの要素が少なくなったことで、日常の遊びのなかで得られる“学びの場”がなくなっていると指摘されています。最近はネットゲームやYouTubeなど、屋内で遊べるものが充実しているので家の中にいても退屈しません。

 その結果、友達と一緒に外で遊ぶことも少なくなり、成長に必要なさまざまな経験が昔に較べて不足しています。国立青少年教育振興機構 の調査によると『夜空に輝く星をゆっくり見た』『太陽が昇るところや沈むところを見た』『海や川で泳いだ』『チョウやトンボ、バッタなどの昆虫を捕まえた』といった自然体験のある子どもが、年々、少なくなってきています。平成17年の調査では、日の出や日の入りを見たことのない子どもが43%、昆虫を捕まえたことがない子どもが35%もいるという結果が出ました。

子どもがやりたくなる自然体験活動

 大人は子どもに自然体験をさせたいと思う場合、プログラムを考えたり、子どもが欲しくなるおもちゃやお菓子などで子どもを誘導しようとする傾向があります。良いものに触れることや自然に関わるということはとても大切なことですが、子ども自身が「やってみたい」「チャレンジしてみたい」という内発的動機付けがない状態で、自然に連れ出すと「めんどくさい」「暑い」「寒い」などの愚痴が出やすく、その結果、他人軸での行動に従事してしまいます。その結果、自発的な行動が伴わず、自然の中での遊びの醍醐味や幸福度も下がってしまいます。

 愛媛県は約70%以上を森林が占める「水と緑の宝庫」です。その豊かな自然が大切なものだと感じる感性は子ども時代の家族や友達との関わりと遊び込みから始まります。

 私たちは子ども時代の豊かな感性を育むことを目的としての自然体験活動やプレーパーク活動をこれまで継続的に実施してきました。

多様な子どもがどのように育ち、どのように自然に触れることが良いのかを考える

 プレーパークを開催するにあたり、子どもの育ちについても学んできました。活動に参加する子どもたちの中には発達の遅れが気になる子もいますし、こだわりの強い子、内向的な子など多様な子どもたちが遊びに来ます。そうした子どもにとってどのように私たちが関わればいいのかも学びながら活動を実施しました。木工が得意ではない子がどうすれば面白いと感じることができるのか、子どもが遊びたいという遊びや動きにはどのような意味があるのかなど、スタッフも考えながら子どもたちを見守り、保護者にも関わらせていただきました。

 この分野にはまだまだ答えはありません。100人いれば100通りの方法があるし、関わり方があります。ただ言えることは、関わる大人が自然を楽しんでいるのか?人生を楽しめているのか?生きていることに幸せを感じているのか?ということだと思います。子どもは直感で大人の幸せオーラを感じます。それを感じながら自然に触れることは最高の自然との関わり方ではないかと思っています。

プレーパークに参加する動機付け

 子どもがイベントに参加したいと思うときは何らかの動機づけが必要です。東京ディズニーランドへ行く場合は楽しい乗り物に乗りたいだったり、ミッキーに会いたいなどの理由があります。自然活動を日ごろしていない子どもたちは自然との接点が少ないのでこの動機付けを考えることが重要となります。昔自然の中で遊び来んできた大人は「楽しかった思い出」を動機付けとして自然の中に足を運ぶことが楽しみとなりますが、今の親世代には「楽しい思い出」を持たない人が増えているのが現状です。

 そのために、プレーパークでは子どもの「やってみたい」を引き金として、そこで遊び込んだ子どもたちがもう一度行きたくなる場所となるように活動を進めています。

 例えば、食育と火育。親世代でも川遊び&バーベキューというキーワードが「楽しかった思い出」として心に刻まれている人も多いのではないでしょうか。その気持ちを湧き立たせるために薪でご飯を作り、火を囲んでの温かな会話が弾む場をセッティングしています。そして、子どもの遊びには変化を伴う遊びと、少しのスリル、それから好奇心を湧き立たせる遊具などがとても効果的と考えています。そのような場をセッティングしながら、自然を使った遊び、木をつかった遊びを毎回開催しています。

環境教育により培われた 自然を楽しむ力、仲間と遊ぶ力

寒くても暑くても風が強くても自然の中で遊ぶ醍醐味を知った子どもたちは強いです。めげない。諦めない。寒いなら寒いなりに、暑いなら暑いなりに、遊びをどんどん考えて時間を忘れて遊びます。砂の山、虫、草むら、川などさまざまなアレンジで遊び込みます。

立岩川プレーパークでは「けもの道ツアー」という遊びを繰り広げました。草むらの中に道を作り、秘密基地を作り、石で川に道を作り、そこを探検するツアーを組んで、お客さんを集めてその遊びをどんどん広めます。ある子は川の中州まで道を作り、その中洲に秘密基地を作り仲間を集めて都市開発を始めます。

木工広場でも独創的なものがどんどん出来上がります。おしゃれな看板、イス、机、スマホ立てなど。自然の中では子どもの発想は無限大に広がります。

豊かな自然の恵みに感謝しながら開催する愛媛ならではのプレーパーク。今年度もそんな子どもたちの健やかな成長のお手伝いをさせていただけたのではないかと思っています。

なぜ子どもには「遊び」が必要なのか?

ピーター・グレイ 著 吉田新一郎 訳

都市化や少子化が進むことで、子どもの遊ぶ場所や遊ぶ仲間、遊ぶ時間は年々減少しています。さらに、交通事故や犯罪を心配する親が増加し、外で元気に遊び回る子どもの姿を見かけることもめっきり少なくなりました。しかし、子どもにとって「遊び」は重要なことで、例えば体を動かして遊ぶことで体力・運動能力が向上し、たくさんの友だちと遊ぶことでコミュニケーション能力や協調性を養うことも可能です。そんな子どもにとっての「遊び」の重要性を、心理学者のピーター・グレイ教授が5つに分けて紹介しています。

近年、子どもが自由に遊べる時間は徐々に減少し続けています。これは日本だけでなくアメリカでも問題になっているそうです。心理学者のピーター・グレイ教授は、組織的な活動の一部ではなく、子どもが自分自身の意志で自由に遊ぶことができる時間を、「人生のテスト場」と呼んでいます。これは小さな子どもが自信を持った有能な大人に成長するために必要な時間であり、この「自由に遊ぶことができる時間」が減少することで、「社会は大きな損失を被っている」とグレイ教授は考えています。

昔と比べて外で遊ぶ子どもたちの姿を見かけなくなったように思えますが、実際にそれが正しいことを示す研究結果もあります。1981年と1997年に、6~8歳の子どもの1日の行動パターンを調査した研究によると、1981年と比較して1997年では子どもの遊び時間や自由時間が圧倒的に少なくなっています。調査によると、1997年は1981年と比べて学校で過ごす時間が18%増加、学校の宿題を行う時間が145%増加、親と買い物に出かけている時間が168%増加しているとのこと。加えて、1997年の子どもたちはコンピューターを使った遊びを含めても、週に約11時間しか遊びに時間を費やせていないことも明らかになっています。

別の研究では子どもを持つ親にアンケート調査が行われており、85%の母親が「自分が子どもの頃よりも自身の子どもが外で遊ぶ時間は短くなっている」と回答したそうです。また、安全上の理由から子どもを屋外で遊ばせないようにしているという母親も多くいたそうです。

そんな年々減少していく子どもの遊び時間を守るため、グレイ教授は「子どもが自由に遊ぶことで得られる5つの利点」をまとめています。

①「遊び」は子どもたちが自分のアイデンティティを形成したり、自分が興味関心を持つものを見つけることに役立つ

「自由に遊ぶことができる時間」を与えられると、子どもたちは自分自身で何をして遊ぶかを決め、それを実行に移します。また、遊びを通して子どもたちは「自分が興味のあるもの」に詳しくなっていきます。そして、遊びを通して身につけていった能力(体力・コミュニケーション能力など)を用いて、その後の人生を生きていくこととなります「子どもは学校で成績と称賛のために勉強に取り組みます。スポーツも、称賛やトロフィーを得るために努力が費やされるものです。しかし、遊びでは子どもたちは自分がやりたいことを実行します。遊びの結果はあくまで副産物であり、活動には意識的な目標などはありません」とグレイ教授は語っています。明確な目的を持たずに気の向くままに遊ぶことで、子どもたちは自分の興味関心やアイデンティティを育むことが可能であり、それは大きくなったときに必ず役に立つものになる、というわけです。

子どもたちが「決定を下し、問題を解決し、自己制御を行い、ルールに従う」ということを最初に学ぶのは遊びを通して

子どもたちが自由な遊びを行う際、自ら何で遊ぶかなどの決定を下し、遊びの途中で出てきた問題を解決し、何かしらの制限がある場合は自分自身を制御する必要もあります。例えばゲームを行っているなら、課せられた制限を受け入れ、自分自身の行動を律し、ルールに従う必要があるわけですが、これらを通して子どもたちは自分の世界の中で熟達感を得られるようになります。そうして身につけた感覚は、子どもたちを不安やうつ病から守ることにつながり、巨大な心理的利益をもたらしてくれるそうです。

「自分の行動をコントロールし、自分で意志決定を行い、問題を解決し、ルールを守る方法を学ぶという機会を持たない子どもたちは、自分自身の人生や運命をコントロールすることができません。そういった子どもたちは運に頼り、他人の親切さや気まぐれに左右されたまま成長していくことになる」とグレイ教授は語っています。

不安やうつは、自分が自分の人生をコントロールできていないと感じる際に頻繁に起きるもので、「自分の運命を熟知していると信じている人は、自分がコントロールできない状況の中にいると信じている人たちよりも不安やうつを感じる可能性が低くなる」とグレイ教授は述べています。遊びは自分自身をコントロールする能力を身につけ、不安やうつを跳ね返すための感覚を身につけるためにも最適なものというわけ。

子どもは遊びの中で「怒り」や「恐怖」などの感情を扱うことを学ぶ

自由な遊びを行っている最中、子どもたちは身体的・社会的に困難な状況に身を置くことがありますが、これらのストレス要因から生じる感情をコントロールする術も、その中で学ぶこととなります。子どもたちはごっこ遊びをしたり、木登りをしたりとさまざまな遊びに興じますが、「そのような活動は、適度に恐ろしいほど楽しいものです」とグレイ教授。

また、グレイ教授は感情を調節する能力の低下が、不安障害の発症につながっている可能性も指摘しており、「不安障害に苦しむ人は、『感情のコントロールを失うこと』を最大の恐怖として挙げている」と語ります。幼少期の遊びの中で適度に恐怖を感じられるような状況を経験したことがない場合、大人になってからの生活で感情が揺れ動くような状況で大きな不安を感じてしまい、不安障害などを発症してしまう可能性があるとのことです。

遊びは子どもたちが友だちを作り、「平等」について学ぶ絶好の機会である

子どもが友だちと遊ぶことは、お互いを公平に扱うことを学ぶための自然な手段です。遊びは自発的なものであり、遊び相手は不快感を感じるといつでも遊びから抜けてしまうことができます。子どもたちは遊び相手のニーズを知り、遊びを続けるために必要なことを学ぼうとすることで、社会性を身につけていくわけです。

グレイ教授は「他者と平等になり、協力することを学ぶことは、友だちと遊ぶ上で得られる最も重要な能力かもしれない。(友だちとの)社会的な遊びは、若者に特別なものではないと教えるための自然な手段であると信じています」と語っており、子どもの遊び時間が減少したことで社会的孤立性も増していると指摘しています。

最も重要なのは「遊び」が幸福の源泉であるということ

子どもたちに幸福を感じる瞬間を聞けば、「友だちと遊んでいる瞬間が幸せ」という答えが圧倒的に多く返ってきます。大人でも子どもの頃の友だちと遊んだ幸福な瞬間をよく覚えている、という人は多いはず。

グレイ教授は子どもの遊び時間が減っていることは二重苦になっていると指摘しており、「遊びによる喜び」を奪っただけでなく、その時間を感情的にストレスの多い活動に置き換えてしまったという点も問題であるとしています。「社会全体が子どもを危険から守り、教育するという方向にシフトしました。しかし、我々大人は子どもたちから『最も幸せになることができる活動(=遊び)』を奪い、より多くの時間や場所で子どもたちを置き去りにしてしまっています。これは不安やうつ病を引き起こすように社会を設計しているかのようです」とグレイ教授はコメントしています。

1950年代と現代の若者を比べると、うつ病患者は大幅に増加しています。また、1950年から2005年までの自殺率は、15歳未満の子どもは4倍、15歳から25歳までの若者で2倍となっており、子どもが幼少期に十分な遊び時間を得られなかった弊害はさまざまな場所に現れている、とグレイ教授は指摘しています。

小さな子どもの親が感情的に健全な子どもを育てるためには自由に遊べる時間をしっかりと確保することが大切だと認識することが問題解決の第一歩であり、真の意味で子どもの幸福を取り戻すことにもつながるはずです。

この情報はhttps://gigazine.net/news/20180514-why-children-needs-play/?fbclid=IwAR32P9gsnvENb4Y2Egxv4hgZAsHuTWQ4Iyy1P_5fxPbmQJpHJY5nvdnfjfAから転記しています。

6/9由良野の森プレーパークの様子です。

6月9日はいつもなら梅雨に入り雨でイベントが中止になることが多いのですが、この日は快晴となりました。念願の桑の実もたくさんいただき、沢でいろいろな生物を見つけては遊び、ニワトリや羊と戯れ、由良野の森で子どもたちは走り回っていました。

「自然の中で思いっきり走り回って遊んでほしい!」と思っても、日頃そうした遊びをしていない子はどうしていいのかわからないこともよくあります。

子どもは大人から離れ、自然の世界に飛び込んでいき、好奇心のおもむくままに仲間とたわむれ泣いて笑って遊びこむとどんどん目が輝き、本来の人間が持っている「野生」が呼び覚まされているようにも感じます。

人間社会の調和を保つために「理性」は欠かすことのできないものですが、同じぐらい「野生」も大事であると感じてきました。生きる意欲、底力のようなものがこうした自然の中の遊びにより育まれるのではないかと思っています。

ヤバイという言葉


地域の子どもの居場所事業をしていてずーと感じてきたことの一つに子どもたちの語彙が少なくなってきたということがあります。

スマホやYouTube、TikTok (ティックトック)等を見てゲラゲラ笑って個々で楽しむ子どもたちが増え、トランプや人生ゲームなどのリアルな遊びはあまりやっていないように思います。

もちろん外で遊ぶことも少なくなり、鬼ごっこやかくれんぼ、野球やサッカーといった仲間と共に協力して遊ぶことも少なくなっています。

先日、娘の学校で応募があった大阪経済大学の「17歳からのメッセージ」の2017年度金賞作品に面白いのがあったので紹介します。

ヤバイ日本語

ヤバイ。この言葉はヤバイ。現代日本に馴染みすぎていてヤバイ。それは使い勝手がヤバイからだろう。これはヤバイことだ。しかし、同時にヤバイ事態でもある。「ヤバイ」はヤバイからこそ、ヤバイのだーー。

何だこれ、と思うことだろう。全てをヤバイだけで表す文章の気持ち悪さったらない。しかし考えてみれば、この文章の感想すらも「ヤバイ文章だ」と言い表せる。これは凄いことだが、同時に危険でもある。

ヤバイ。この言葉は意味を持ちすぎた。カワイイとキモイのような相反する意味も併せ持つ。どんなに美しくても、醜くても、感動しても、恐怖しても「ヤバイ」の一言で全て片づく。なんて便利で、薄っぺらい言葉だろう。私たち若者はもちろん、大人も何かにつけてヤバイと言う。それでは駄目だ。表現が言葉を選んで行わなければ、さらにヤバイは意味を増やす。いい大人が何でもかんでも「ヤバイ」で済ませる未来など想像するだけでも恐ろしい。

一方で、外国人には嬉しい話だと思う。何せYA,BA,Iの3音を覚えるだけでそれなりの意味疎通が可能になるのだ。知らない土地へ赴く上で、これほど心強いものはないだろう。

ヤバイを辞書で引くと「危険・まずい」とある。最後はそんなヤバイを正しく使って締めよう。このままでは表現の厚みがなくなるので、日本語の未来がヤバイ。

地域の関わりが希薄となり、コミュニケーション力が低下している昨今。このまま「ヤバイ」の意味が増えていくと日本語が本当に危なくなるかもしれません。とにかくヤバイ!やっぱりヤバイ!