子どもの遊ぶ笑顔が地域を創造する 全国集会報告④

今回の全国集会の問題提起は「子どもの遊ぶ笑顔が地域を創造する」

第7回冒険遊び場づくり全国研究集会は震災から5年経つ宮城県仙台市の東北自治総合研修センターで開催されました。

被災から5年、被災地には多くの遊び場が誕生しました。なぜこれほどまでに子どもの遊び場が重要視され始めたかというと、遊びこむことで子どもの心が復活して笑顔を取り戻していくことが分かったこと、逆に被災地の大人はその笑顔に勇気づけられて元気になってきたこと、そしてその中で地域の絆を強くしていくことが実感できたからです。つまり「遊びを通じた子どもの心のケア」の大切さが今理解され始めてきているのです。

子どもの笑顔=地域の活力=そして地域を創造する力 となるためにはやはり子どもはのびのびと元気に遊びながら育たなくてはいけません。そのために地域の私たち一人ひとりがやらなければいけないことを考え、行動に移すために全国の仲間が集まりました。

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気仙沼あそびーばーの鈴木美和子さんの話

2011年4月に日本冒険遊び場づくり協会が地域に呼びかけ、気仙沼市本吉町寺谷(てらがい)地区に開設した手づくりの冒険遊び場 気仙沼あそびーばーができました。鈴木さんは震災の時は、津波で家を流された人や泥だらけで逃げてきた人や家族を亡くした人など120人のお世話をして、地域の子どもたちがどこにいたのかもわからなかったそうです。きっとみんな家から出られなかったのか避難所にいたんだと思うのですが、目の前の人を救うのに必死で見えなかったんだと思います。それから鈴木さんの兄弟の家も流されていましたが、そのお手伝いにも行けない状態が続いていたそうです。

その中で始まった遊び場ですがいろいろな発見がありました。子どもが楽しそうに遊ぶ姿に地元のお年寄りが元気を取り戻し、今では遊び場を維持するために、しめ縄を作ったり小物を作ったりして、運営資金を必死に作るお手伝いをしてくれています。

鈴木さんのお孫さんがその当時小学校3年生だったのですが、子どもたちの体力のないことにも驚いたそうです。ターザンロープや高いところからジャンプをしたりして遊ぶこともなく、マッチも使ったことがない子どもが増えていることに遊び場ができるまで気づかなかったことにもショックを感じていたようです。

現在は、住民自身が遊び場をサポートしようと、「気仙沼あそびーばーの会」を2013年4月に設立し、代表の鈴木美和子さんとプレーリーダーを中心に、保護者や地域の高齢者がボランティティアとして協力して継続開催しています。

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特定非営利活動法人こども∞感ぱにー

子ども達がいつも笑顔でいられるために、それを守るのが大人の役目だと思っています…

震災からこれまでの2年間は、子どもたちのあそび場作りと、子どもたちの笑顔を通じて地域の方たちの集まる場所作りに携わらせていただきました。震災当初からしばらくの間、ずっと胸の奥に違和感を感じながら活動を続けていたのですが、それが何か気付いたのは6月に入ってからでした。

あるアーティストチームが石巻を訪れ、子ども達と一緒に映画館作りをした一週間、夕方になると学校から帰ってきた子ども達が会場のある集落の中心部に集まり、映画館のアイディアだしから制作と、あれやこれや言いながら楽しい笑い声であふれかえりました。その集落は漁師町で、船も家も港も…津波によって何もかも失い、大人たちは絶望のあまり将来を考えることすらできなくなっていたように思えます。この頃の街は、崩壊した家の山とコンクリート…あたり一面の乾いた泥で、茶色と灰色の2色でした。そこに子ども達の笑い声が響き渡ったに時、まるで天からの光が差し込んだかのように、町がぱぁっと明るくなったように感じました。

子どもの親御さんが「俺たち大人は元気がなかったけど、こうして子ども達が笑っていると元気をもらうんだよな。けろちゃん、あそび場作ろう!」

それから、子ども達のあそび場作りが始まりでした。子ども達にとっての遊びは、想像力を掻き立て、それを実行・実現することで創造力を培い、自己の発見を繰り返していきます。そして一人では決して学ぶことのできない社会性や協調性を学び、成長していくためのたくさんのエネルギーを交換し合うんです。

でも、震災後、残念なことに遊び場は減少してしまいました。津波によって、海に近い公園は「危険区域」として立ち入りができなくなったり(例えできたとしても、怖くて近寄りたくない子もいます)、瓦礫置き場や仮設になった場所も少なくありません。

仮設暮らしから復興住宅に移るまでのあと数年、学校の校庭で遊べるまであと一年。

大人にとっての一年と、多くを学び吸収する子どもの一年は、同じではありません。

例え一人でも、遊びたいと言う子どもがいたら、思いきり遊ばせてあげたいなぁ~って思います。

今までやってきたあそび場作りは、すべて地域の人たちと一緒に行ってきました。遊び場を作りたいという声は、はじめはぽつぽつですが、やっていくうちに、気が付くと親御さんはもちろん、たくさんの近所の人たちがあそび場にやって来て、一緒に子ども達と過ごしています。

子どもが元気だと、大人も元気になる!

「新しい環」が子どもを通じて生まれているんだと思います。

そして私たちも、子ども達からは笑顔と元気をもらっています。

地元の方たちが遊び場でお話ししていってくださる時間が、ほっこりする時間になっています~

ここに来たきっかけは、震災後のいろいろなお手伝いでしたが、でも今は、子どもたちの成長を見守る一人の大人として、地域の方たちと一緒に子ども達の笑顔を増やしていきたいと願っています。

子どもは宇宙の宝。

大切な宝物を、いつも笑顔いっぱいにするのが、私たち大人のお役目なんだろうな…と思いながら、毎日楽しく動き回っています。

一緒に楽しみましょう~!

皆さんとの出会いに感謝。

大自然に生かされていることに感謝です。

こども∞感ぱにー 代表 けろ
※この内容は特定非営利活動法人こども∞感ぱにーのHPより引用しています。

平成28年度笑顔のまつやまわがまち工房「デザインしよう!わたしたちのこども館」

先日、11月8日(火)に今年度のわがまち工房で話し合った内容を野志市長に発表しました。

今年度のわがまち工房のテーマはコミセンにある子ども館をより多くの松山市民に有効に利用してもらい、活気のある子ども館にするためにみんなで話し合いました。

松山に住む子育て経験者であればだれでも利用したことのある子ども館ですが、できてから30年がたち、すべてのものが老朽化し、利用者も減っています。

今回集まったみなさんは予想以上にいろいろな意見を持ち、前向きで、行動的な人たちばかりでした。そのおかげで話し合いは面白いものとなりました。


提言の内容としては、
1.子ども館の改装と全体のデザイン
 ~市民手づくり改装プロジェクト~
2.こども館に「ひろば」つくろう
 ~親子の交流・相談・情報の場づくり~
  ※地域子育て支援拠点(ひろば型)をつくる
3.イベント企画部をつくろう・コーディネーターをおこう
 ~市民主体のイベント運営~

そして長期的な視点から
 ~30年後に残したい子ども館を目指して~
4.こども館の新たな機能の検討
 ~「外遊び」と「チャイルドミュージアム」~

この中で私が発表したのは提言4の「外遊び」の部分です。
こども館の外には、遊べるスペースがあるのですが、有効に利用されていません。お金をかけなくても今あるものを有効に利用して、知恵と工夫で子どもが楽しめる場所になるんじゃないかと思いプレーパークの実現のために発表をさせてもらいました。市長の反応は良かったと思うんですが?

今後の展開が楽しみという部分もありますが、やっぱり動き続けます(^^)/

⇓発表したパワーポイントのデーターです。

久万高原サマーキャンプ、なぜ5泊6日なのか?

子どもたちの今

今の子どもたちが便利な社会の中で育っていることによる弊害(日常の実体験から学ぶべきことを学ぶことなく成長していく姿)に危機感を感じている親は多いと思います。

電磁調理器で料理をする家庭が増え、「火」を見ることなく育つ子どもが増えています。それから屋外で子どもたちが遊ぶ機会が減り、自然の中の虫や花との出会いにが減り、整備されたアスファルトの上での日常に慣れると季節を感じなくなり、目の前にある自然に感謝することも減っているように思います。

このまま便利な世の中がずっと続くと思っている人も多いかもしれませんが、東日本大震災の時は全て便利なものが使えなくなりました。

子育てに大切なもの

日々のご飯だって、今は誰かが作ってくれているかもしれませんが、みんないつかは大人になります。大人になっていきなりごはんが作れるかというとそんな簡単なものではないし、レトルトばかりじゃ味けない。

家族みんなであったかい料理を囲んで、今日起きた出来事を語らう時間は子どもたちの日々の元気の源となります。そして親にとっては老後まで大切にしていきたい思い出の時間へと変化していくのです。

毎日毎日の繰り返しの中で、子どもはいろいろな人と温もりのある関係の中で育まれ成長していきます。

私自身、自分の子どもたちを育てる中で、いつも心掛けていたことは
・なるべく手作りのご飯を家族でいただく
・地域や友人などいろいろな人と関わらせてもらいながら子どもたちを育てたい

この2点でした。

勉強しなくても、朝早く起きなくても、わがまま言っても、そんなことはさほど問題ではなくて、その子自身が「勉強したい」理由、「朝起きたい」理由、「わがままばかり言ってはいけない」理由、を見つける環境をどう作るかが重要でした。

だからと言って勉強しないのも人生だし、朝起きれないタイプもいます。

でも、こうした子育てをしてきて「勉強したくない」子はひとりもいませんでした。なぜならいろいろな人と関われば関わるほど世の中で成功したいとか、こうなりたいという願望が生れれば生まれるほど「学び」がいかに重要かが腑に落ちるからです。

「どうせ勉強したって人生変わらない」と思いこんで生きている人としか関わらなければ、子どもだって勉強する理由が見つからない。

頑張ってきた人、必死に独学で学び続けた人と出会うと、子どもなりに何かを感じてきます。それは親よりはお兄ちゃんお姉ちゃんがいいし、たくさんの人と関わる方がいい。

それは、希望であり、夢であり、もしかしたら妄想かもしれませんが・・・

ただ言えることは、子どもたちの才能を開かせるチャンスは学校にも、塾にもあまり落ちてはいないということです。

お金を払って買う人もいますが、自分がほしいと思ってつかむのと、買うのとでは、子どもたちの中での認識が違ってきます。

お金があれば何でも手に入ると思って育った子は、大人になってから苦労します。※そんな大人が増えてますが・・・(-_-;)

5泊6日のキャンプを企画したわけ

そんなわけで、私の子どもたちもキャンプにチャレンジしたいと言えば、参加させてきました。

行政が行っているキャンプ、民間が行っているキャンプなど愛媛でもいろいろキャンプを企画してくれていて、いろいろなものに参加させていただきました。

1日目の夜は子どもたちでカレーを作って、キャンプファイヤーをし、2日目はイベント的に何かを作って終わりというキャンプは主流ですが、私が子どもたちを参加させてみて思ったことは、おもてなしキャンプで子どもたちが得られることは少ないということでした。

ちょっと大変でも、薪から火を付けて、お米を洗って、野菜を切り、大人があまり手を出さないで、子どもの自発性にある程度任せ、3泊以上仲間と過ごすキャンプ・・・海外では1カ月キャンプが人気ということも聞きました。

失敗してもいい、おいしくできなくてもいい、調味料を間違えてもいい、スタッフはチャレンジすることを大切にしながら見守っていく・・・そうしたプロセスを大切にするキャンプがいいキャンプだと感じてきました。

安全面からすれば、包丁も使わず、薪で火も焚かない方がケガは少ないかもしれませんが、子どものチャレンジする精神が育たず、「楽しかった」で終わるキャンプとなってしまいます。

いいキャンプは「楽しい」に「感動」がついてきます。
「感動」がどこから来るのか、それはキャンプによって違うだろうし、大人が思ってもみない部分に感動してたりします。ただ、自分の可能性を開花させるキャンスが多い事は感じてきました。

長女が中学校3年の時に愛媛県教育委員会が主催する御五神島(おいつかみじま)10日間無人島キャンプに参加しました。彼女は親の都合で小学校6年になる時と、中学校3年になる時に引っ越しています。中学3年で松山に来た時には、学校になじめず、精神的なストレスとホルモンバランスンが崩れたことから毎朝頭痛に悩まされ、尚且つ高知と松山では勉強のレベルも教科書も違うので、いろいろな面で悩み続けていました。

そんな時に学校からもらってきた御五神島(おいつかみじま)10日間無人島キャンプのチラシを見て、絶対行くと言い出しました!

親としては心配で、本当に悩みました。

中学3年の受験まっただ中の夏休みにキャンプ!?「誰もが必死で勉強している時にキャンプしてたら高校受からないんじゃないの?」って誰もが思うと思います。

それでも彼女がどうしても行きたいというので親が折れて、キャンプに送りだしたのです。

後からいろいろな人に聞いて分かったのですが、このキャンプは無人島で少しの食材だけを持って行ってキャンプをします。海で魚を取って、竹で作った食器で料理をいただいて、真水はそんなになくて、トイレも自分たちで作って・・・とにかく凄いキャンプのようです。

でも、帰ってきた彼女を見て私も主人もビックリしました。

生き生きしている!
「生きてる」って感じでした!
足はジンマシンのように蚊に刺され、日焼けして帰ってきても、彼女の輝く瞳を見ればそのキャンプがどんなものだったのかは想像がつきました。

その後中学校の先生に進路について相談した時に、「あのキャンプに行ったんだったら愛媛大学農学部附属農業高校が総合学科で自然のことも学べるしいいんじゃないか!」と言っていただき、彼女はその後はぶれることなく人生を邁進しています。

ココまでのキャンプはできませんが、もっとたくさんの子どもたちにこうしたキャンプを体験してほしいと思っています。

最後に

そして、今年も当団体が久万高原サマーキャンプ2016を開催することとなりました。

6月13日より久万高原サマーキャンプ2016、参加者を募集します。
HPにも詳細は載せていますが、わからないことや聞きたいことがあればいつでもお電話いただいてOKです。メールでも大丈夫です。
子どもたちが行ってみたいというのであれば、是非ご検討ください!
久万高原サマーキャンプ2016チラシ表
久万高原サマーキャンプ2016チラシ裏

子ども達の不思議な空間 ~3月13日の遊び場~

山の中の遊び場で子どもに寄り添い遊んでいると、毎回いろいろなことに気づきます。このようなイベントを開催する場合、大人が考えることは「参加者数」「見た目の楽しさ」「参加者全体の満足度」だったりします。でも、本当に求められている子どもの居場所とはどういうものなのか?

前回の遊び場ではスタッフの人数等の関係でロープウエイもターザンロープも出しませんでした。それからタケノコ掘りも行くことができませんでした。でも子どもたちは子ども同士自然の素材や前日にお姉ちゃんたちが作ってくれた隠れ家などで結構盛り上がって遊んでいました。

遊具は見た目にはとても楽しそうに見えるのですが、遊び方には限界があります。子どもはその限界内でしか創造力を発揮できません。でも竹や葉っぱ、土や水などの素材を利用する場合、可能性は広がります。

大人は何もないところでどうやって遊ぶんだろう?と不安になるかもしれませんが、子どもの好奇心は無限大です!

この日もそうした子ども達の様子を見ることができました。お兄ちゃんはお兄ちゃんとして、小さな子どもたちはお兄ちゃんがやることにとても興味を湧かせ満面の笑顔で遊び始めます。

そこには大人には分からない「子どもの世界」が広がっていきます。

きっとこうした遊びの中で子どもたちは五感を使い、心豊かな感性を磨いていくのではないかと感じています。

感謝を忘れなければ・・・

時給自足が当たり前の時代から、国内食料自給率40%の時代へ・・・

愛媛県で受け継がれてきた秋祭り、だんじり、亥の子というのは、自分たちが育てている食物と自然との関わりが密接に影響していた時代に、自然がおかしくなると、自分たちの生活に直接影響を及ぼしていたから、1年無事に過ごせたならば、感謝の思いを村全体で空の上の神、海にいる神、土の神、太陽に宿る神、すべての神様に必死で体で表現していたんだと思う。

そんな大人の姿を見て育った子どもたちは、神の存在を当たり前に受け入れて、日々無事に過ごせることを当たり前に感謝できる環境があったんだと思う。

でも、今の子どもたちにはそんな環境はない。

親が自然に対する感謝の気持ちをどう子どもに伝えるのかは、家庭ごとに違っている。

お父さんがサラリーマンであれば、必死に働いてくれている父親に感謝の言葉をいつもかけている母親のそばで育てば、「父親」に対する感謝の気持ちが育つ。

親が、山や海に連れて行ってくれて、その山の季節ごとの表情、その山の中で生きる村人との語らいの中で、その人々の様子から、自然に感謝する心が大切だということが伝わるかもしれない。

でも、どうだろうか?

1年を通じて「土」に触らず、「川」の流れを見ずに、「満点の星空」を眺めることもなく、ただ、テレビから流れる映像と、ネットの世界で生きたならば・・・どこで自然に対する感謝の心を育てることができるのか?

教育現場では今、「道徳」教育に力を入れているという。
机の上で、子どもたちは言葉を通じて感謝することの大切さを学んでいる。

中学校に行くと、部活動中の子どもたちが必ず「こんにちは」と声を掛けてくれる。小学校へ行くと、やはりみんな「こんにちは」とあいさつしてくれる。

でも、その言葉が私には「温かい言葉」とは感じないことが多くなっている。「言葉」と「心」というのは本当はツナガっていなくちゃいけないと思う。

社会に出れば社交辞令も必要にはなるし、要領も良くなくちゃ生きていけない。

それを学校でも学ばなきゃいけないことはよくわかるけど、「人を思いやる温かい言葉」も同時に学ぶべきではないだろうか?

温かい言葉というのは「ありがとう」「こんにちは」「すごいね」「だいすき」という肯定的な言葉だけではない。

誰かが苦しんでいたり、悩んでいる時に、一緒に考えて、先生に「これはおかしい!」と抗議をすることも「温かい言葉」の時もあるし、いじめっ子に「やめなよ!」と怒ることだって「温かい言葉」」だと思う。

平凡に過ぎゆく生温かい社会の流れに、疑問を感じても抗議しない若者が増えている。抗議すると平穏な日々がなくなることが恐いのだと思うけど、それでいいのか?

福島第一原発の爆発から、放射能の恐ろしさを肌で感じた市民が伊方原発の再稼働に反対する抗議をしている。これも「温かい言葉」であると私は感じている。

愛媛の未来を必死で守るための言葉であり、愛媛の自然に感謝しているから出る言葉だと思う。

自然を甘く見ると、本当に罰が当たる時が来る。石鎚山が松山から台風、寒波も守ってくれているからといって、すべてを守ってくれるわけではない。拝み宗教で安心感を得ても、神様にはお見通しだと思う。

子どもたちにそうした感謝の心の在り方をどう伝えていけばいいのか?難しい問題だ!

哲学・宗教学・心理学・天文学・・・学べば学ぶほどその神髄が見えてくる。

文部科学省もたぶん必死に考えて、あの道徳の教科書を作ったんだと思う。

だったら、私たちも協力しようじゃないか!

いろいろな人が子どもたちに関わって、人間として生きるってこと、そしてどうしたら幸せに生きれるのか!?悩みながら歩んできた大人たちがその軌跡を子どもたちに伝えたなたば、きっと子どもたちにも少しずつかもしれないけど、その道しるべとなるキーワードが見えてくるはず!

自然に感謝!
親に感謝!
地域の人たちに感謝!
友人に感謝!
子どもに勉強を教えてくれる先生にも感謝!

でも、納得してない事、疑問に思うこと、分からないことは言葉で話そうよ!
言いたいことをがまんして、苦しくなって、あきらめて、世の中を悲観して、感謝することを忘れてしまってはいけませんよ!

まず相談!!信頼できる仲間を少しずつ増やして、楽しく生きよう!