久々の投稿です。

久々の投稿です(#^^#)!!

コロナの影響で森のようちえんみきゃんっ子は5月まで中止になるし、5月に開催予定の由良野の森プレーパークも中止が決まりました。

自粛ムードがどんどん広がり、子どもたちはどうしているのだろうかと毎日考えています。

わが娘も暇すぎて「あつ森」を購入して早速兄弟で堪能”(-“”-)”・・・・

「あつ森」とは任天堂switchのソフト「あつまれどうぶつの森」のことだそうです。 コントローラーJoy-Con、「リングフィットアドベンチャー」などの 品切れ、高騰での転売なども起きていて、そうしたゲームソフトが今人気になっているそうです。

ゲームの中で斧を購入して木を切って、釣り竿を作るという会話を聞いて、私としては「一緒に興居島に釣りに行こうぜ!!」とうなりたい気分でした💦

早く終息してほしいですが、まだまだ続きそうですね。

フリースクールをはじめた理由①

こんにちは!松山冒険遊び場の山本(よっしー)です。私たちがフリースクールを始めるに至った経過にはさまざまなことがありました。一言では伝えきれない出来事の繰り返しの中で「やりたい」というよりは「やらなければいけない」という結論に至ったのです。

息子が不登校に

私には4人子どもがいます。28歳の娘、25歳の息子、20歳の息子、17歳の娘です。現在20歳の息子が小学校5年生の頃、いじめがきっかけとなり、運動会の練習が嫌いで行き渋りが始まり学校へ行かなくなりました。行かなくなってからはほぼ毎日ベットから出てこない時期が1年以上続きました。それから少しずつ外に出ることができるようになり、中学3年の2学期頃から高校へ行くために勉強を始め、おかげさまで松山北高校の中島分校へ3年間通い、現在は自ら選んで大学に通っています。

この息子が学校へ行かなくなるという予感は母親である私は実を言うと小学校へ通い始めたころから感じていました。集団行動が嫌い、みんなと同じことをするのが嫌い、運動が嫌いな息子。その反面、勉強が嫌いなわけでもないし、本が大好きで毎日でも本を読んでいるタイプの子がどうして学びの場である学校に行けなくなるのか?そんな疑問もありました。確かにいじめや我が家の家庭の問題なども要因にはなっているとは思います。それでも「学校が楽しい」と思えていればきっと行けたんだと思っています。

6年間の地域の公園での冒険遊び場活動から見えてきた問題点

28年も子育てをしていると社会の変化と共に変わってきた子どもを取り巻く社会の変化もとてもよく見えてきます。

28年前は携帯型のゲームも、スマホもない時代。小さな子から小学生、中学生まで当たり前に地域の公園や空き地で遊んでいました。

それが、2000年頃には誰もが携帯用ゲーム機(DS,PSなど)を持ち始め、今では小学生低学年までもがスマホを持ち歩き、毎日一人でゲームをしたり動画を見たりして遊ぶ時代となりました。

自分の子どもがこのままではまともに育たないのではと危機感を感じ、2006年8月からアイテム愛媛近くの公園を借りて毎週土曜日、地域の子どもを集めて遊び場活動を始めました。

そこで見てきた子どもたちの遊ぶ様子が今の活動の原点となりました。

見えてきた問題点は・・・

  • 誰かをターゲットにしていじめ(いじり)をしながら遊ぶ子どもたち
  • 危機管理能力が低い
  • 遊びを知らない
  • 子どもの貧困
  • 放置される子どもたち

いじめ(いじり)のターゲットは誰でもいい感じで、ちょっと変わった子、頭がいい子、発想が豊かな子、服が地味な子、正義感がある子、塾に行けない子、そして発達障害ではないかと思われる子などが毎回その対象となっていました。冒険遊び場では大人が見守っているのでひどい時には声掛けをしますが、一週間に一日だけの関わりですから現実は何も変わりません。

危機管理能力の低下というのは、ただ転ぶだけで、変なケガをしてみたり、のこぎりの持ち方を知らなかったり、むやみに振り回したり、危ない使い方をする子が多いという感じでした。全般に外遊びの経験値が下がっていることを如実に感じることが多くありました。

そして昔の遊びが継承されていないと感じました。はないちもんめ、ゴム飛びなどは今はもう誰も知らなくて、けいどろや色鬼もするんですが、高学年から継承された遊びではなく、各学年が勝手にやっているので、仲間同士のルール決めがあいまいで、遊びが続かないということがよくありました。かくれんぼなどは、隠れた子を探すのを勝手にやめてしまうということもよくありました。本来であれば遊びというのは子どもがどんどん開発するもので変化することが面白いのですが、その変化を感じる前に終わってしまうことがよくありました。

貧困問題も深刻であると感じました。習い事をいくつもやっていて忙しい子どもも多いですが、反対にまったく習い事もしていない、毎日外で弟や妹の面倒を見ている子もいます。土曜日の午後遊び場をやっているとお昼ご飯を食べていない子が食べるものを求めてやってくるということもありました。

そして雨でも風が強くても遊び場に必ず来る子どもがいて、その中にはとにかく家に帰りたがらない子、私たちスタッフから離れない子もいました。毎回遊び場に来ているのに、スーパーでその子のお母さんに会っても全く挨拶もない(たぶん親にはどこに行っているか言っていないのだと思いますが。)、私のことを知らないのか無関心なのかはわかりませんが、子どもだけが、母親の後ろでそっと私に手を振る姿に私は笑顔で答えながらも言い知れぬ切なさを感じていました。

子どもの遊び場の必要性

また、冒険遊び場を開催することによる効果というものも感じてきました。

  • 異年齢・多様な人々とのかかわりによる遊びの変化
  • 外で遊び込む中での子どもの変化
  • 公園での活動で見守る大人がいることで可能になったこと
  • 貧困・虐待・などの問題から子どもを救うために

 

毎回小学校1年生から中学生までいろいろな子どもたちが遊び場には来ていました。2011年頃には平均1日50人ほどの子どもが来る遊び場となっていました。その中で木に登る高学年がいれば低学年も登てみたり、鬼ごっこも毎回様々な年齢の子どもたちが一緒になって遊びだす光景が見られました。外で思いっきり遊んでいる時は「いじめ」は本当に少なくなります。みんな必死に遊んでいる時は仲間という意識が少しずつですが目覚めていくのを感じました。

端材で好きなものを作ったり、ダンボールで秘密基地を作ったり、縄跳びで遊んだりするうちに、子どもたちがいろいろな遊びを開発します。いらなくなった自転車を改造して発電機として遊んだり、てこの原理で物をいかに空高く飛ばせるかを競ったり、台車の上に基地を作り仲間を集めて戦争ごっこのようなことをしてみたり・・・。自分たちで考えた遊びを自分たちでどんどん変化させる面白さを知り、仲間と共に遊ぶ喜びを感じると何もない公園でも時間を忘れて遊び込みます。そんな遊び込んだ後の子どもたちとの会話には「心地よい風」が流れます。夕日を見ながら子どもたちと「きれいだね」といいながら空を見上げる。そんな何気ない出来事が私の至福の時でもありました。

そんな冒険遊び場では毎回必ず大人のスタッフが子どもを見守っています。見守ることでボール遊びも活動場所では行政と学校に理解をしていただき遊ぶことができました。不審者がいるので公園で遊ばすことが不安な保護者にとっては安心の材料となりました。地域の理解を得ながら地域の子どもを地域で見守ることができました。

また、貧困や虐待などで苦しんでいるどもたちを私たちが支援することはできなくとも、そうした子どもがいることを知ることで行政などにつなぐことができます。

地域の子どもの遊び場は子どもたちのセーフティーネットにもなる重要な場所ではないかと思ってます。

遊び場と息子の不登校

冒険遊び場という環境は希薄化した今の子ども社会にはとても必要なものと実感しながらも地域にはなかなか理解されず6年間アイテム愛媛近くの飯岡公園というところで毎週土曜日開催していました。

そんな遊び場で育った息子が不登校になったのは5年生の頃でした。冒険遊び場を母親はやっている、だから地域の子どものことはよくわかっている…その中で息子は不登校になりました。

でも学校を責めることも、いじめた子どもたちを責めたいとも思わない私がいました。4人の子どもを自分なりに育て「精一杯子育てしたぞ~!」という自負があったというのも理由の一つですが、なによりなぜわが子が不登校になったのか、そしてその問題の根源は親である私がすべて悪いというわけでもないし、先生が悪いわけでもない、そしていじめている子どもたちが悪いわけでもないという実感があったからです。

子どもたちの中には暴言を日々はき続けて遊ぶ子がいます。「しね」「うざい」「きえろ」「だまれ」など、これが学年によっては伝染するかのように増殖していきます。驚いたことにこれが今は小学校1年生から始まります。自分にされたことを他人にして楽しむいじめ「いじり」が日常となっている子どもたちがどの学校にも一定数います。

大好きな友達にも平気で「しね」という言葉を吐く子どもたちの様子を見ていると、その子たちにとっては「しね」も一種の愛情の表現であることにある時気づきました。おそらくその子どもたちは親からそうした言葉を浴びせられながら日々生きているのだと思います。

かたや、そんなひどい言葉を全く言わない子どもたちと毎日そうした言葉を発する子どもたちは毎日同じ学校の教室にいます。大人ならそんな環境からさっさと逃げ出せるのですが、義務教育の子どもたちは逃げられないのです。教室の仲間に違和感を感じる子は息苦しくなるだろうし、空気を読めなければいじめられる。空気が読めて要領のいい子だけが教室にいられるのです。

そんな空気を遊び場の中で日々感じてきて、それが子どもが悪いと言ってしまえばそれまでですが、それは育てている親の問題で、その親だってそうした親に育てられながらきっと苦しんできたんだと思います。こうした悪循環の連鎖が日本社会には起きているように思うのです。原因は貧困家庭が増え、格差がどんどん膨らんでいること、便利な社会になり、地域と関わることを嫌がり、孤独に生きる人が増たことなど、様々な問題が絡んでいます。

先生はそんな子どもたちと日々向き合い、そしてその保護者とも向き合っています。平均30人の子どもを見るということは本当に大変なことだと思います。森のようちえんで預かり保育をする時、キャンプで子どもたちと向き合うとき、どんなに頑張っても一人のスタッフに子どもが7人までが限界です。もし一人一人の子どもの心にもよりそう必要がある場合は3人までが限界です。だから先生に自分の子どもが学校へ行かなくなった原因を追究するというよりは、学校の体制を変えなければいけないと思いました。ただし先生がひどい体罰や暴言を吐く場合は別ですが。

もう一つの学校

今日本では学校へ行けない子どもがどんどん増えています。

日本の小学校と中学校には国の補助を受けて誰もが勉強できる義務教育というシステムがあります。だからどんな状態にある子でも学校へ行く権利があるはずです。

そして学校へ行けなくなることは不登校になった子どもの問題ではありません。社会全体の問題だと思っています。未来の日本を支える力のある子どもたちが学校へ行けないというのは大きな問題だと思います。

未来を担う人材が不登校となり自己肯定感を下げてしまう前に、新しい学校、これまでとは違う多様な子どもの個性を認め合いながら学べる場所が必要ではないかと思うのです。

・・・「群馬からきょんちゃんがやってくる」につづく

 

平成28年度笑顔のまつやまわがまち工房「デザインしよう!わたしたちのこども館」

先日、11月8日(火)に今年度のわがまち工房で話し合った内容を野志市長に発表しました。

今年度のわがまち工房のテーマはコミセンにある子ども館をより多くの松山市民に有効に利用してもらい、活気のある子ども館にするためにみんなで話し合いました。

松山に住む子育て経験者であればだれでも利用したことのある子ども館ですが、できてから30年がたち、すべてのものが老朽化し、利用者も減っています。

今回集まったみなさんは予想以上にいろいろな意見を持ち、前向きで、行動的な人たちばかりでした。そのおかげで話し合いは面白いものとなりました。


提言の内容としては、
1.子ども館の改装と全体のデザイン
 ~市民手づくり改装プロジェクト~
2.こども館に「ひろば」つくろう
 ~親子の交流・相談・情報の場づくり~
  ※地域子育て支援拠点(ひろば型)をつくる
3.イベント企画部をつくろう・コーディネーターをおこう
 ~市民主体のイベント運営~

そして長期的な視点から
 ~30年後に残したい子ども館を目指して~
4.こども館の新たな機能の検討
 ~「外遊び」と「チャイルドミュージアム」~

この中で私が発表したのは提言4の「外遊び」の部分です。
こども館の外には、遊べるスペースがあるのですが、有効に利用されていません。お金をかけなくても今あるものを有効に利用して、知恵と工夫で子どもが楽しめる場所になるんじゃないかと思いプレーパークの実現のために発表をさせてもらいました。市長の反応は良かったと思うんですが?

今後の展開が楽しみという部分もありますが、やっぱり動き続けます(^^)/

⇓発表したパワーポイントのデーターです。

神様お願い!晴れてね!中島プレーパーク!

今度の日曜日に開催される中島プレーパークには仙ちゃんとかおるんばとよっしーが船で向かうこととなりました!

船はあまり本数がないのですが、高浜港から9時25分発の西線のフェリーに乗り、神浦で降りるとそこにバスが待ってるのですぐ乗り込んで、長師までバスで5分。降りたら歩いて3分ほどです。瀬戸内海をのんびり旅し、島々を巡り、きれいな空気も味わいながら癒されてきます。

なんと贅沢なことでしょうか!!
東京とか名古屋とか大阪で住んでたら夢のような休日の過ごし方だと思います。

そしてかかった費用は往復の船賃@890×2=1780円とバス代がたぶん片道@200×2=400円ぐらい。子どもにおもちゃとかお土産とかをせがまれるところも少ない。
東京ディズニーランドとかユニバーサルスタジオとかに行くより私は断然こっちのほうが最高なんですがね~!

当日はぜひ晴れてください!!テルテル坊主作って神様にお願いしよ~っと(^-^;

なかったことにする?!津田中問題のその後と私の考え

津田中の体罰事件から早1ヶ月以上が経とうとしている。
あの緊急保護者会から未だに1枚も手紙が来ないし、説明会もない。

ちょっとありえないと怒りすら感じる日々を送っている。

12月に開催した緊急保護者会の時には、詳しい状況は分かり次第連絡するということだったし、その時の緊急保護者会の議事録は全保護者に配布するという約束もしていたのに、約束は守られていない。

私自身もこの状態ではどうしても納得がいかないので、先日教頭先生に状況を聞きに行って来たのですが・・・結局私の疑問はますます膨れ上がるばかりだった。

①この体罰問題が傷害事件として警察により取り扱われている場合、今後裁判等も考えられるので、詳しい事は話せないという一貫した学校側の対応に疑問?
②それではなぜ緊急保護者会を開き、今後状況が分かり次第お知らせすると言ったのか?議事録を出すといったのか?という疑問???

こうした学校側の対応は、虚偽行為には当たらないのか?

子どもたちに嘘をつかずに誠実な対応を日々指導している立場の先生がなぜこうした問題が起こると大きな壁を作り、虚偽の仮面を被って保護者に対し防衛対策を取ろうとするのか?

地域と学校と行政はツナガって、みんなで子育てを応援していく社会を作る必要性を松山市の子育て施策にもちゃんと謳われているわけで、それなのに大きな壁を作ってしまっては何も解決しない。

学校は何を守っているのだろうか?

こうした状況下の学校の対応に関して、もしかしたら全国的なマニュアルがあって、それに応じて学校側は対応するように言われているのかもしれないが、だとすると最近よくニュースに流れている先生の不祥事事件を起こした学校側の対応として全てこうした対応がなされているというのか?

私としては腑に落ちなかった。

守るのは子どもたちの人権じゃないのか?

もうひとつ納得できないこと・・・

先生と話していて私が一番悔しかったことは、「子どもたちは静かな環境で勉強がしたいんです。中学3年生は受験が控えています。今回のことは早く忘れたいと思っている子どもが多いんです。」という言葉だった。

保護者の中にもそうした考えの人が多いことも踏まえ、先生が言われたことだと思うのですが、私の胸は張り裂けそうな憤りを感じずにはいられなかった。

被害を受けた子どども、そうでない子どもたちもみんな津田中の仲間じゃないのか?
みんなで一緒に切磋琢磨して日々学び、日々遊び、共に成長していく喜びを分かち合ってきた仲間ではないのか?

仲間が苦しんできているのに、どうして「忘れたい」なんて思えるのか?そのことが不思議だし、悲しかった。

何のために部活をやっているのか?
何のために地域の子どもたちと一緒の学びの場があるのか?
何のために地域の人と関わる行事をたくさん行ってきているのか?

それは成績が良い人が立派で、成績の悪い人がもう少し頑張れと格差を付ける競争社会を育てる為ではないはずだ!

みんなが協力しながら成長して、成績とか運動能力とかだけでなく、友達を思いやる気持ちがスゴイ子や、お友達のお話を丁寧に聞いてあげる能力がスゴイ子や、誰にでも笑顔で接してくれる天使の心を持つ子、宇宙の話、鳥の話、魚の釣り方、車の事、建物の不思議やドラえもんの凄さとかを話すのが大好きな子とか、子どもそれぞれが持っているスゴイところを認めあいながら、社会のことを知り、未来のことを考え、愛媛の未来を担う人材が育つために学んでいるのではないのか?

だったら、大切な仲間が苦しんでるんだから、みんなでどうしたらいいのか考えていくのが普通の事じゃないのか?

「他人なんて関係ない!自分さえよければいい!」という考えの子どもも親も増えていることは分かっている。

でも学校教育がその流れに乗ってしまっては、その先生を尊敬し真面目に教育を受けようとする子どもたちの心が路頭に迷ってしまう。

指導者は確実に光の見える未来に向かって子どもたちを導いていく使命があるから、指導者になっているのだと私は信じているから、私たちは子どもたちを学校へ行かせている。

安定した職業を求めて先生になる方もいるだろうけど、ただそれだけでなれる仕事ではないと思う。
たぶん使命を持って頑張っている先生の方が多いと思うし、問題のある先生は少ないと感じている。

だから決して悲観してこのブログを書いているわけではない。
ただ、今のこの状況が普通にならない事を願って書いているのです。

ゆっくりいこうよ~

我が家の中2の娘の日々の時間はほとんどが学校です。

夜は部活、土日もほぼ終日部活。これでいいのかと悩んでしまいます。

学校というのは本来勉強をするところです。
スポーツの専門校とか音楽の専門学校に来ているのなら仕方がないと思うのですが、普通の中学生で、なぜここまで熱血で部活をするのか?私にはよくわかりません。

私が通っていた愛知県の一宮市というところは野球で甲子園に行くという発想がほとんどありませんでした。ほかの部活でも頑張るけど、基本は体力アップだったり、仲間との団結力みたいなものを身につけるためです。愛知県で甲子園に行くのは私立の学校(愛工大名電・中京高校等)で、中学時代にスポーツ推薦で引き抜かれた面々が揃っているので、他の高校にほぼ勝ち目はないという悲しい現実があります。だから公立でも甲子園に行っちゃう愛媛はちょっと愛知とは考え方が違うのかもしれませんが・・・(^_^;)

公立高校でも、私立でも、誰にでもチャンスが残されているというところは凄いと思います。

でも私としては家の掃除や夕食作りのお手伝いなどもして欲しいし、これから一人暮らしをしても困らないレベルまでにはいろいろと教えたいこともあるのですが、それが全くできないのは困りものです。

その上、時間に余裕がないから帰ってきてからの自由時間はほぼ自分の好きなアーティストの歌を聞いてストレス発散!

中2ってそんなものだと言われればそうなのですが、もう少し人生について考える時間だったり、学校以外の興味のあるイベントや人に出会う時間があってもいいんじゃないかと思うのです。

大人になれば確かにできるけど、好奇心旺盛な中学生だから体験してほしいこともいろいろあるし、知っていてほしいこともいろいろある。ただ学校の勉強ができて、部活を頑張っていれば良い子だという風潮は変えていかなければいけないと思っています。

中学で立派な成績とったり、部活で全国大会行っても、その子のその後の人生にどんな良い影響があるというのだろうか?良い方向へ行く子もいれば、そのために転落を味わう子もいる。

せっかく中学という学びの時間を3年も頂いているのだから、その子にとってこれから知っておかなければいけないことを丁寧に伝えていく作業をしていく必要があると考えています。

焦ることではないし、比べる必要もない。

子どもたちはみんな違うし、みんないろいろな才能を秘めているのです。

中学の3年間だけではなくて、その後もずっと人間は学び続けなければいけないのです。

時にはゆっくり進む時もあっていいと思います。休む時も必要です。

頑張り続けることだけが正解ではないのです。

その子の未来を見据えて、丁寧に関わっていけば、必ず前が見えてくると信じています。

津田中問題!!

娘が通う学校で、全国的なニュースになる体罰問題が起きたことについて、昨年からいろいろ考えていました。

このまま一人の先生が起訴されて、学校を去ったら問題は解決するのでしょうか?

あの先生だけの問題なのでしょうか?

保護者の中には早く静かになって普通の学校生活を子どもたちに送らせてあげたいという人と、このまま問題棚上げしていいの?と疑問を持っている人と意見が二つに分かれています。

学校の対応は私からすればひどい状態だと言うしかありません。緊急保護者会が開かれて、校長先生が謝って、後は何も説明がなく、その後も娘からは1枚も手紙がない状態です。

体罰ははたして林先生だけだったのか?
教育委員会として体罰の概念はどう判断されているのか?

それから、この問題と不登校生が増えていることとの関係性は?
不良が少ないこの学校ですが、以前は本当に多かった!それはスポーツなどの部活動の活性化によって減っているというけれど、その分指導が厳しくなって、その反発で裏でいじめや、先生に対する態度に反発的なことを起こす子どもが増えてきているのではないのか?

学校になじめない子、家庭環境に問題があって学校に行けない子などは本来ならば別の教室や保健室などでの登校の柔軟性を持たせることが求められているけれど、その雰囲気がどこまで子どもに寄り添う形で出来ているのか?

部活動で頑張っている子どもが増えれば、学校としては評価は高くなる。でも、それは学校という枠の中で得意分野がある一部の子どもたちにすぎない。中学校というのは義務教育です。すべての子どもたちが意欲を持って学べる環境を作るのが学校です。そのことが前提となった教育がなされてきたのか?

学校内部の状況は子どもたちから聞こえてくる声でしか判断することができない。でも、その声に「変だ!」と気づく親は意外にも少ないのです。

今回のように顔にあざを残す体罰、トイレの中に閉じ込めるという異常な行動でもなけば、「変だ!」と思わない親が多いように感じてきました。

そして今でも、愛をもって「体罰」をしてくれている先生に感謝をする親は多い気がします。

「ちょっとぐらい叩かないと、やんちゃな男の子たちは言うことを聞かない。クラスをまとめることなどできない。」と言い切る人もいます。

でも、私はやっぱりそうは思いません。
どんな理由があろうとも叩いて言うことを聞かせるというのは反対です。

私自身だけでも頭の中には聞きたいことがいっぱいだし、できることなら娘が通う学校が、楽しい雰囲気で、一人一人が助け合いながら、日々を暮らしてほしいと願っています。

その為のまず第1歩は話し合いです。山ほどのモンスターを前に学校は話し合いなど持てないと思うでしょうが、それでもすべてを受け止めて、みんなで学校を良くするために話し合いをやり続ける必要があると思っています。

とにかく良いことも悪い事もすべて出し切らないと、次のステップにはいけない状態まで来ていると思っています。