暖かな日差しの下でのプレーパーク

1月に入ってからは天気に恵まれず、寒さに耐えながら松山総合公園プレーパークを開催していましたが、2月28日は本当に良いお天気となりました!
参加者も気候が良くなったせいか80人以上が山を登ってきてくれました。
子どもたちの様子としては、小さな子どもたちが剣を作って「戦いごっこ」をしている風景が微笑ましいな~と思ったり・・・

1月始めから子ども達だけで作り始めていた木の上の隠れ家が完成!階段も土を掘って作っていました。

そしていたる所に落とし穴を掘り始めることがちょっとブームとなり・・・ヨッシーもしっかり落ちてしまいました(-_-;)

そして今日もキャッチボールをする男の子たちが最高スピード記録達成!などなど、子どもたちはいろんなことをして仲間と楽しく遊んでいるようでした(^_^)

※次回の松山総合公園プレーパークは3月12日(土)と13日(日)です。暖かくなってきて、タケノコ掘りもできるかもしれませんよ(^_^)v

センス・オブ・ワンダー

レイチェル・カーソン著  上遠 恵子 訳

私が活動を始めた頃、子どもたちに私たちが残せるものってなんだろう?っていつも悩んでいました。高度経済成長が終わり、便利な生活になれ、人や地域や自然と関わりを持たなくても生きていける社会が加速し、グローバル化がますます進む中、人間の精神はそれと正比例するかのように不安感が増しています。その不安感を少なくし、安定した心で日々過ごせる子どもたちを育むために、今できることの1つがプレーパーク活動だと思っています。そしてそれは「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を育むことだと思っています。レイチェル・カーソンが書いた「センス・オブ・ワンダー」の一節には下記のように書かれています.

 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない<センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性>を授けてほしいとたのむでしょう。 この感性は、やがて大人になるとやってくる怠慢と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。(中略)

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。

 

遊び場で子どもたちと関われば関わるほど、この言葉が心にしみてきます。そしてその子どもたちが 成長していく姿に確信を持ち、今の活動に繋がっています。

レイチェル・カーソンのこと

アメリカの海洋生物学者で作家。1907年、アメリカ ペンシルベニア州スプリングデールに生まれる。文学少女で作家を夢見ていたが、ペンシルベニア女子大学時代「生物学」に魅せられ生物学者を志す。
ジョンズ・ホプキンス大学大学院で動物発生学で修士号取得。アメリカ連邦漁業局・魚類野性生物局の公務員として海洋生物学に深くかかわる。

著作として、1941年「潮風の下で」、1951年「われらをめぐる海」、1955年「海辺」を出版。海の3部作と呼ばれいずれもベストセラー。

また1962年出版の「沈黙の春」は、殺虫剤などの「合成化学物質」の無分別な大量散布(使用)は、生態系を乱し生物環境の大規模な破壊をもたらし、それは人間の生命にも関わることになると警告し社会に大きなインパクトを与えた。
問題の重大さはケネディ大統領を動かし、大統領科学諮問委員会の答申は「沈黙の春」の正当性を認めるものだった。この本によって世界は環境問題に眼を開かされた。

また、1965年没後に出版された「センス・オブ・ワンダー」は、幼少時から自然の不思議さ・素晴らしさに触れることの大切さを説き、自然環境教育のバイブルとなる。

「沈黙の春」出版のわずか2年後、1964年春、癌にて永眠した。

ボール転倒訴訟判決に関して思うこと

子供の蹴ったボールで男性転倒、死亡…親の監督責任めぐり最高裁で弁論へ

産経新聞 平成27年3月19日

小学校の校庭から蹴り出されたサッカーボールをよけようとして転倒した後に死亡した男性の遺族が、ボールを蹴った当時小学生の元少年(23)の両親に損害賠償を求めた訴訟の上告審弁論が19日、最高裁第1小法廷(山浦善樹裁判長)であり、判決期日を4月9日に指定した。最高裁では慣例として、2審の結論を変更する際に弁論が開かれることから、両親の監督責任を認めて賠償を命じた2審判決が見直される可能性がある。
2審が事故と死亡の因果関係を認めた点に争いはなく、元少年の両親に民法で規定される監督責任違反があったかが争点。

弁論で両親側は「一般的な家庭と同程度に危険な遊びをしないよう指導するなど監督義務を果たしていた。2審判決は誤りだ」と主張。男性側は「両親には周囲に危険を及ばさないように遊ぶよう少年を指導する義務があった」と反論している。

2審判決によると、愛媛県今治市で平成16年2月、バイクを運転していた当時80代の男性が、校庭から転がり出たサッカーボールを避けようとして転倒、足を骨折。直後に痴呆の症状が出て、事故から約1年半後に男性は肺炎で死亡した。男性の遺族が約5千万円の賠償を求め提訴し、1審大阪地裁は元少年の過失を認めた上で監督者の両親に責任があるとして約1500万円の賠償を命じた。2審大阪高裁も、減額したものの両親の監督責任を認めて約1100万円の支払いを命じた。

こんな裁判が愛媛県今治市で起きている。

「一般的な家庭と同程度に危険な遊びをしないよう指導するなど監督義務を果たしていた。2審判決は誤りだ」と主張する両親側と、「両親には周囲に危険を及ばさないように遊ぶよう少年を指導する義務があった」と反論する男性側との裁判。

この裁判の結果は、今後の日本の子どもたちの遊び場環境に大きな影響を及ぼすと予想され、私自身はこの裁判に関わることはできない部外者ではあるけれど、やはり気になって見守ってきた。

ボールを蹴った子の学校の校庭の様子や、遊んでいた状況、子どもたちの人間関係、学校の先生たちの日頃の指導方法、当日の見守り状況、グラウンドのサッカーをするための環境整備、その日の天気や風のありなし、子どもの当日の心境、故意なのか偶然なのか、それともまた違う要因があったのかもしれない・・・。

この記事だけでは真実は見えてこないけど、できれば子どもたちがのびのびと遊べる社会を維持できない時代にはしたくない。「校庭でのボール遊び禁止」とか「空き地や公園でのボール遊び禁止」を義務ずければ、子どもも親も「日常生活の基本前提」として「ボール遊び」は不可能な世の中になる。

「そんな時代になってるなんて信じれられない!」という声も良く聞くけれど、すでに松山市のほとんどの公園ではボール遊びは禁止だし、空き地や道路、駐車場などでも当然遊んではいけないことになっている。

それでも、どうしてもボールで遊びたいと思う子どもたちはどの地域にもいて、「ココなら大丈夫かな?」と思うところを探して子どもなりに周りを気にしつつ遊んでいる。公園でも、基本的にはダメだけど、地域の人が見守ってくれて、親も地域の人と関わりながら、人に迷惑をかけないで穏やかにボール遊びを楽しむ公園も松山にはある。

「ボール遊び禁止」という選択肢は行政が市民からの苦情を受けてやむおえず選択した「手段」である。

行政が行う「禁止」という手段は最終的なもので、本来は地域の中で解決するべき問題だったんだと思う。地域の関わりが希薄化し、「子どもが遊ぶ」というごく日常的なことが成り立たなくなってきている昨今、そのことに危機感を感じない人もまだまだ多い。

「地域の子どもたちを地域で見守り育てる」という意識が薄れれば薄れるほど、子育ては苦しくなってくる。

その為に保護者はできる範囲でいいので地域に関わらないといけないし、いろいろな人と交流もしていく必要がある。でも、もうすでに子育てに苦しみ、離婚や生活困窮状態に陥っている人にはそこまで要望はできない。できないけれど子どもは地域で遊んでいる。

家庭の状況や生きてきた過程はみんな違うわけなので、子どもたちも一人一人問題は違うし、求めてくるものも違ってくる。そうした子どもひとりひとりの状況を考慮しながら地域の大人が子どもを見守るのはけっこう難しい事だと思う。

だから、やっぱりプレーリーダー的な人は地域にいてほしい。いないと苦しんでいる子どもを救うことは難しいんだと思う。

だからと言って、お給料をもらって雇われたプレーリーダーにすべてを委ねてしまうと、何も変わらない。子育てしながら子どもがのびのびと外遊びができる親側のスキルも少し学ぶ必要があるんだと思う。

例えば今回のサッカーの場合

サッカーをしたくてしたくて仕方がない小学5年生の男の子グループがいたとして、貴方ならどう対処しますか?
①子どもに任せる。
②サッカースクールに入れる。

ほとんどのお母さんがこの2択の中から選ぶんだけど、もう一つ

③子どもと一緒にサッカーをする又は子どもたちがサッカーをしている姿を見守り、いろいろな想定の中で自分に危害が加わる可能性のあること、また地域や他の人に危害が加わる可能性のある行動をその都度確認しながら子どもに伝える作業(叱るのではなく、一緒に考えながら遊ぶ)が必要になってくる。

昔はこんなことを親がしなくても地域の子どもたちがお互いに注意し合っていたのかもしれないが、今はこれをしないと子どもの遊び環境はもっと脅かされることになる。
高学年になるまでずっと見守る必要はないが、せめて3年生までは見守ってあげてほしい。

しかし、多くの子どもたちが放課後学童クラブに通っているので、親に見守られることなく遊びを確立している。子どもによっては「遊び」は危ないという感覚の子もいれば、「自由な時間」と考える子もいる。

いろいろな人との関わりを持たずに「遊び」を理解すると偏った考えになる傾向性を感じてきた。

どれほどの親が子どもの遊ぶ姿を確認しながら子育てしているのかわからないが、私が活動する中では、小学生の半数以上の親が子どもの日常の遊びを見ていないのが現状ではないかと感じてきた。

安全に遊ぶ場所が少なくなってきた現代においては、子どもの遊びを見守る大人は絶対に必要だ。子どもが遊ぶ中で危ないことや、失敗した時の謝り方、仲間との関わり方などを伝える大人が必要だ。地域に根差したプレーパークが継続的に運営できれば、そうしたスキルをお兄ちゃん達から教えてもらう地域環境も整う。

地道に活動してきた地域と、そうでない地域の格差も近い将来、必ず現れてくる。

今回の裁判で苦しんできたお父さん、お母さん、当事者のことも考えるととても辛い。こんな裁判がもう起きないようにするために、どうしたらいいのか。

未来を見据えた、支援の在り方をもっともっと考えていきたいと思う。