ペンキ塗りと山の上の整理をします。

松山総合公園プレーパークにある手作り遊具のペンキを塗ります。それから山の上に置かれているいらなくなった竹や枯れ枝の片づけをしたいと思います。
お手伝いいただける方は下記に入力していただき送信してください。
日時  12月17日(土)13:00~16:00
場所  松山総合公園プレーパーク
服装と持ってくるもの ペンキがついても大丈夫な服装と手を洗う水がないので2lのペットボトルに水を入れて持ってきてください。手洗い用に使います。

おやつの用意してお持ちしております(^^)/
協力よろしくお願いします。

[contact-form-7 id=”3677″ title=”山の整備とペンキ塗りのボランティア募集”]

外遊びを推進する自治体の人の話を聞こう 全国集会報告⑤

外遊びを推進している自治体が全国でも増えています。2013年度に調査した冒険遊び場づくり活動実態調査によれば、行政が直営でプレーパークを運営しているのが4ヵ所、行政とパートナーシップでプレーパークを運営しているのが59ヵ所、パートナーシップは組んでいないが行政からの何らかの支援を受けてプレーパークを運営している所が76ヵ所でした。

この調査から3年、今年も活動実態調査が行われていて、結果が間もなく出るのですが、前回よりも自治体とのパートナーシップを組むプレーパークは増えていると思われます。

こうしたことから今回の分科会では地域住民が運営するプレーパークを支援している自治体3か所から行政職員が来てお話を聞かせてくださいました。

横浜市の場合

横浜市は横浜市環境創造公園緑地維持課の管轄でプレーパークが運営されています。横浜市のすべてのプレーパークが仲間となり「横浜にプレーパークを作ろうネットワーク(YPA)」が立ち上がり、そこへ運営などを依頼しながら、地域にプレーパークが増えることを横浜市が応援しています。現在24か所のプレーパークが活動を続けています。昨年度の年間活動回数は1268回。延べ178550人、1回平均140人の参加者がプレーパークに来ることになりまります。

このことは、横浜市中期4か年計画(2014年~2017年)基本政策の中に盛り込まれています。

またどのような事業にプレーパークのことが書かれているかというと、「子ども・青少年の健全育成に向けた支援」(P53)の中で、青少年施設と野外活動センターと同じところにプレーパークでの体験プログラムの拡充が盛り込まれています。

リスクマネージメントとしては、プレーリーダーの養成、事故記録を必ず取り市役所の関係機関に報告し、定期的に事故のロールプレイを盛り込んだ研修を実施しているそうです。また、プレーパークを開催するにあたりどのような支援があるのか、また補助金のシステムはどうなっているのかも、都市公園法に基づく安全な公園利用も考えた要綱なども作られていました。

岡山市の場合

岡山には「おかやまプレーパーク」(岡山市)「備前プレーパーク」(備前市)「おーいみんなあそぼう!」(倉敷市)「岩原山冒険遊び場」(笠岡市)などの団体が活動していて、ネットワークで繋がり長年活動しています。その中でも中心的な存在が「岡山プレーパーク」を運営しているNPO法人岡山市子どもセンターです。子ども劇場の活動もしながら、学習支援や復興支援など幅広く子どもたちの健全育成のために動いています。

こうした民間での活動実績がきっと行政を動かしたんだと思います。

岡山市子育て支援課が「岡山市プレーパーク普及事業」ということで、子どもたちの遊ぶ声が聞こえてくる地域づくりを目指し、平成27年度から平成31年度まで事業を実施し、内容としては岡山市内にプレーパークを増やすための出張プレーパークを定期的に開催し、プレーリーダーを養成します。この財源としては国の地域活性化・地域住民生活等緊急支援交付金(地方創生先行型)を利用しています。

岡山の場合はまだ、プレーリーダーの人件費や運営資金ができいるわけではありませんが、活動による保護者や子どもたちの変化を見れば、きっと行政もプレーパークに予算をつけることが子どもの健全育成につながることに気づいてくれると願っています。

福岡県宗像市(むなかたし)の場合

宗像市には「宗像市市民サービス協働化提案制度」というのがあり、この制度は、市が行っている全ての市民サービスに関する情報を公表し、市民活動団体、コミュニティ運営協議会、民間事業者(以下「民間団体等」という。)がノウハウ、アイディア等を生かして、これまで市が行っていた事業について、民間団体等が自ら企画立案した上で提案し、採択された後、市と協働で事業を実施していくものです。

この制度に申請した「子ども支援ネットワーク With Wind」が「むなかたプレーパーク」を運営しています。

また「子ども支援ネットワーク With Wind」は2007年12月から、宗像市で子どもが育つ環境について考え、「子どもが、自ら選んで自由に遊ぶ」場をつくる活動を続けていて、2012年4月に、「宗像市子ども基本条例」が施行されたことから、これを具現化し、子どもの豊かな成長を支援するためには、子どもの遊ぶ環境を理解する大人がもっと必要だと考え、2012年6月4日に「子ども支援ネットワーク With Wind」を立ち上げたそうです。

宗像市の行政職員の方はとてもお話が前向きで明るくていいな~と思いました。そして自分の街のこともアピールしてくださって、その中でも沖ノ島というのは「海の正倉院」と言われていて、銅鏡、鉄剣、勾玉など、古代の祭具が数多く発見され、この島が国家あげての祭祀場だったらしく、出土品は8万点がすべて国宝に指定されたそうです。現在世界遺産にも登録申請をしていると聞くとちょっと気になる島でした。

その他・・・

お話を聞きながら思ったことですが、プレーパークを地域住民が運営しながら地域の子どもたちや地域住民を巻き込みその結果、行政の仕事も減らしていく。そしてまちづくりをしていきながら、市民一人一人が自分たちの街だという自覚を取り戻すことが大切なのではないでしょうか。地域で起きていることは「タニンゴト」ではなく「ジブンゴト」と捉えられる市民をもっともっと増やしていくこと、プレーパークをすることはそうした市民を増やすことにつながるのではないかと感じてきました。

プレーパーク活動を長年続けてくると、そうした未来への可能性が見えるので続けることができるし、コツコツと市民や行政からの信頼を勝ち取る必要性も見えてくる。その長年の先輩たちの功績が補助金や協働等の支援につながっているんじゃないかと思います。

愛媛でもなんとか行政に理解してもらい、プレーパーク活動を増やしていきたいと思っています。
それから・・・私は日本冒険遊び場づくり協会の四国運営委員ですので、四国内にもプレーパークを増やすべく動こうと思っています。もしやってみたいという方は連絡くださいね!

子どもの遊ぶ笑顔が地域を創造する 全国集会報告④

今回の全国集会の問題提起は「子どもの遊ぶ笑顔が地域を創造する」

第7回冒険遊び場づくり全国研究集会は震災から5年経つ宮城県仙台市の東北自治総合研修センターで開催されました。

被災から5年、被災地には多くの遊び場が誕生しました。なぜこれほどまでに子どもの遊び場が重要視され始めたかというと、遊びこむことで子どもの心が復活して笑顔を取り戻していくことが分かったこと、逆に被災地の大人はその笑顔に勇気づけられて元気になってきたこと、そしてその中で地域の絆を強くしていくことが実感できたからです。つまり「遊びを通じた子どもの心のケア」の大切さが今理解され始めてきているのです。

子どもの笑顔=地域の活力=そして地域を創造する力 となるためにはやはり子どもはのびのびと元気に遊びながら育たなくてはいけません。そのために地域の私たち一人ひとりがやらなければいけないことを考え、行動に移すために全国の仲間が集まりました。

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気仙沼あそびーばーの鈴木美和子さんの話

2011年4月に日本冒険遊び場づくり協会が地域に呼びかけ、気仙沼市本吉町寺谷(てらがい)地区に開設した手づくりの冒険遊び場 気仙沼あそびーばーができました。鈴木さんは震災の時は、津波で家を流された人や泥だらけで逃げてきた人や家族を亡くした人など120人のお世話をして、地域の子どもたちがどこにいたのかもわからなかったそうです。きっとみんな家から出られなかったのか避難所にいたんだと思うのですが、目の前の人を救うのに必死で見えなかったんだと思います。それから鈴木さんの兄弟の家も流されていましたが、そのお手伝いにも行けない状態が続いていたそうです。

その中で始まった遊び場ですがいろいろな発見がありました。子どもが楽しそうに遊ぶ姿に地元のお年寄りが元気を取り戻し、今では遊び場を維持するために、しめ縄を作ったり小物を作ったりして、運営資金を必死に作るお手伝いをしてくれています。

鈴木さんのお孫さんがその当時小学校3年生だったのですが、子どもたちの体力のないことにも驚いたそうです。ターザンロープや高いところからジャンプをしたりして遊ぶこともなく、マッチも使ったことがない子どもが増えていることに遊び場ができるまで気づかなかったことにもショックを感じていたようです。

現在は、住民自身が遊び場をサポートしようと、「気仙沼あそびーばーの会」を2013年4月に設立し、代表の鈴木美和子さんとプレーリーダーを中心に、保護者や地域の高齢者がボランティティアとして協力して継続開催しています。

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特定非営利活動法人こども∞感ぱにー

子ども達がいつも笑顔でいられるために、それを守るのが大人の役目だと思っています…

震災からこれまでの2年間は、子どもたちのあそび場作りと、子どもたちの笑顔を通じて地域の方たちの集まる場所作りに携わらせていただきました。震災当初からしばらくの間、ずっと胸の奥に違和感を感じながら活動を続けていたのですが、それが何か気付いたのは6月に入ってからでした。

あるアーティストチームが石巻を訪れ、子ども達と一緒に映画館作りをした一週間、夕方になると学校から帰ってきた子ども達が会場のある集落の中心部に集まり、映画館のアイディアだしから制作と、あれやこれや言いながら楽しい笑い声であふれかえりました。その集落は漁師町で、船も家も港も…津波によって何もかも失い、大人たちは絶望のあまり将来を考えることすらできなくなっていたように思えます。この頃の街は、崩壊した家の山とコンクリート…あたり一面の乾いた泥で、茶色と灰色の2色でした。そこに子ども達の笑い声が響き渡ったに時、まるで天からの光が差し込んだかのように、町がぱぁっと明るくなったように感じました。

子どもの親御さんが「俺たち大人は元気がなかったけど、こうして子ども達が笑っていると元気をもらうんだよな。けろちゃん、あそび場作ろう!」

それから、子ども達のあそび場作りが始まりでした。子ども達にとっての遊びは、想像力を掻き立て、それを実行・実現することで創造力を培い、自己の発見を繰り返していきます。そして一人では決して学ぶことのできない社会性や協調性を学び、成長していくためのたくさんのエネルギーを交換し合うんです。

でも、震災後、残念なことに遊び場は減少してしまいました。津波によって、海に近い公園は「危険区域」として立ち入りができなくなったり(例えできたとしても、怖くて近寄りたくない子もいます)、瓦礫置き場や仮設になった場所も少なくありません。

仮設暮らしから復興住宅に移るまでのあと数年、学校の校庭で遊べるまであと一年。

大人にとっての一年と、多くを学び吸収する子どもの一年は、同じではありません。

例え一人でも、遊びたいと言う子どもがいたら、思いきり遊ばせてあげたいなぁ~って思います。

今までやってきたあそび場作りは、すべて地域の人たちと一緒に行ってきました。遊び場を作りたいという声は、はじめはぽつぽつですが、やっていくうちに、気が付くと親御さんはもちろん、たくさんの近所の人たちがあそび場にやって来て、一緒に子ども達と過ごしています。

子どもが元気だと、大人も元気になる!

「新しい環」が子どもを通じて生まれているんだと思います。

そして私たちも、子ども達からは笑顔と元気をもらっています。

地元の方たちが遊び場でお話ししていってくださる時間が、ほっこりする時間になっています~

ここに来たきっかけは、震災後のいろいろなお手伝いでしたが、でも今は、子どもたちの成長を見守る一人の大人として、地域の方たちと一緒に子ども達の笑顔を増やしていきたいと願っています。

子どもは宇宙の宝。

大切な宝物を、いつも笑顔いっぱいにするのが、私たち大人のお役目なんだろうな…と思いながら、毎日楽しく動き回っています。

一緒に楽しみましょう~!

皆さんとの出会いに感謝。

大自然に生かされていることに感謝です。

こども∞感ぱにー 代表 けろ
※この内容は特定非営利活動法人こども∞感ぱにーのHPより引用しています。

豊島子どもWAKUWAKUネットワークの子ども食堂 全国集会報告③

今回の記念フォーラムの3人目の登壇者はNPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワーク代表で、池袋本町プレーパーク代表の栗林知絵子さん。

2003年からプレーパークを開催していて、子どもたちと関わるうちに塾に通えない子どもたちのための学習支援も行って、現在は4か所で子ども食堂も開催し、これまでの活動をふまえ宿泊施設が必要と考え、”WAKUWAKUホーム”を設立することとなり、宿泊にも対応できる子どものための居場所づくりに力を入れているそうです。

どうしてそこまで活動が広がったのか?
どうして今子ども食堂なのか?
プレーパーク活動を続ける私にとってはとても気になる存在なのが栗原さんでしたので、今回のお話はとても興味深く聞かせてもらいました。
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地域を変える 子どもが変わる 未来を変える

豊島子どもWAKUWAKUネットワークのキャッチコピーは、「地域を変える 子どもが変わる 未来を変える」。この言葉には、どんな子どもであろうとも生まれた時から等しく持つ、「未来の可能性」への思いが込められている。「貧困も虐待も連鎖します。けれど、子どもは変わることができると私たちは思っているんです。『子どもを変える』じゃなくて、『子どもが変わる』。それには、まず地域が変わらなくてはいけない。地域を変えることによって、子どもが変わっていくんです」・・・

熱く、笑顔でお話しされる栗林さんに共感しつつも、長年活動しながら同じ気持ちで動いてきても賛同者がなかなか増えない愛媛の実状にどうしたものかと悩みながらお話を聞かせてもらった。でも、直接、栗林さんのお話を聞くと、「私もプレーパーク活動をやってきたけど10年間ずっと仲間が増えなくてどうしたものかと悩み続けてきたんです。ところが子ども食堂はなぜかどんどん仲間が増えていく。誰でも関わりやすいというのが良いのかもしれませんね。」というお話だった。

確かに、子ども食堂は、作り手確保や食材の寄付、安い金額で食べることができることからも仲間が必要だし増えやすいシステムなのかもしれない。みんなで一緒にご飯を食べると心も温かくなるからその効果で拡散するのかもしれない。

やってみる

栗林さんの行動力もすごい。子どもの貧困問題について悩んだときは「年越し派遣村」を開催した湯浅さんの講座に1年間通ったり、子どもが生まれた時にアレルギーに苦しんだときには毎日の学校給食のパンを天然酵母で作った卵と牛乳の入っていない給食と同じパンを学校に持たせたり、プレーパークで関わった中3の男の子が「都立の高校は無理」と言われて落ち込んでいる時は無料学習塾を自宅で開いたり、とにかく行動力がある人だとも感じた。でも家庭に余裕があるわけでも、地域に支援が多いわけでもない。栗林さんの行動力がその周りの人たちに共感を生み、それが地域の支援者を増やしているのではないだろうか。

愛媛だからできること

子どもたちの健全育成を考えるとき、希薄化した社会が蔓延するこの時代には「子ども食堂」「児童館」「プレーパーク」などの「子どもの第3の居場所」はとても重要な位置を占め、尚且つ民間の力で運営できるエネルギーを持った地域を育てる必要を感じている。

愛媛だからできること。地方だから動きたくなること。そしてこれまで地域変革に保守的な地域といわれてきたけど、その問題点は何なのか?そのための方法はプレーパークだけではないわけで・・・。私としては都会のまねばかりをしていても問題は解決しない気がしていて、学ぶことは学び、動けることは動き、協働した方が良いものは協働してみる。愛媛だからできることをもっともっとみんなで考えていく必要を感じている。

子ども食堂を作ってみたいあなたへ

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これから子ども食堂を地域でやってみたい人にお勧めの本がでました!Q&A方式でわからないことに答えてくれるのでとても分かりやすいし、子ども食堂が始まるまでのいろいろな出来事も書かれていて読み応えもあります。

素焼き200円?!三津浜小学校前「まゆたこ」

三津浜観光といえば三津浜焼きやFLORや田中戸、N’s Kitchenそれから古民家木村邸や渡し舟などですが、実を言うとみんなが知らない穴場がまだまだあります。

今日行ってきたのは三津浜小学校南側にある「まゆたこ」。

お好み焼きの素焼きが150円からあったり、たこ焼きが8個で350円と超お得で尚且つ美味しい!!

店主のおいちゃんは、この地区でずっとPTAとかお祭りとかで子どもたちと関わり続けてくれているステキな人です。

子どもたちの居場所として、ここがず~と続けばいいのにな~と思いつつ今日は仙ちゃんと”お好み焼き素焼き200円バージョン”をいただきました。キャベツともやしと竹輪とそれからお肉も入っていたような・・・これで200円はめっちゃリーズナブルだと思います!

三津浜小学校南にある「まゆたこ」ぜひ一度行ってみてくださいね。

なつかし遊び商店街に駄菓子屋出店しました!

昨日は松山市の大街道と銀天街で開催した「なつかし遊び商店街」の中で駄菓子屋を出店してきました。

駄菓子場まさおかし屋の特徴は子どもの計算力も考えて、内税にし、すべて10円単位としています。だから200円握りしめてやってくる子どもたちにもちゃんと計算ができます。そして10円の駄菓子や「くじ」なども用意しています。

ただ少し悩みの種は、30円の駄菓子と40円の駄菓子の値段の差・・・たった10円と思うかもしれませんが、買う人にしてみればこの駄菓子が30円なのか40円なのかの分かれ目がこの10円にあります。子どもの中には40円だと「高級」「高い」と感じる子もいるし、「30円だと安い」と感じる子もいるようで、その辺りをみんな悩みながら買っていきます。値段を付ける私たちも本当に悩みます。

でも、これも「学び」なのではないかと思っています。日頃「バーコード」で「ピッ」しか経験ない子はちょっと新鮮なようです。ボランティアで来ている学生さんにはとても計算力のいる仕事だったと思いますが・・・。

独楽博物館館長推薦のコマ!
独楽博物館館長推薦のコマ!

それから、今回はイベントとして昔遊びを実践していたので「コマ」や「ベーゴマ」「ヨーヨー」も大人気でした!

やれば絶対ベイブレードよりも面白いベーゴマやけん玉など日本の伝統的な遊びを何とか後世まで残していきたい。駄菓子場まさおかし屋はこれからそうした遊びの文化にもかかわっていこうと思っています。

海の道として利用される『三津の渡し』

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駄菓子場「まさおかし屋」の最寄の駅は、伊予鉄三津駅だけど仙ちゃんのオススメ観光コースは三津駅の一つ海よりの駅、港山駅。下車して歩いて約2分したところの渡し船に乗って三津浜レトロに行くコースがオススメです!

三津浜は、明治時代から商売が栄えていた町です。そのため大きい船が出入りするのは危険なため、渡し船に乗り換えて三津浜に足を運んでいたそうです。現在は利用する人が少なくなりましたが、今でも三津の足として活躍中です。(自転車も乗れるので小フェリーとしても活躍中!)夏目漱石が松山中学(現在の松山東高校)に赴任した時も利用したと、「坊っちゃん」にも書かれています。また松山が舞台になっていてドラマや映画にもなった「がんばっていきましょい」にも出てきます!

三津浜には古民家がまだまだたくさん残っています。駄菓子場「まさおかし屋」がある濱田医院も大正、昭和と産婦人科をやっており多くの方々に愛されていました。また、港山駅から終点高浜駅まで電車に乗って松山観光港に行けばフェリーで広島にも渡れます。

是非松山に来られる際は三津に足を運んで駄菓子を食べながら三津浜レトロを観光してみては(^^♪
参考HP 四国大陸:海の道として利用される『三津の渡し』に乗って古い町並みを歩く《愛媛》

完・わくわく三津浜 ありがとう!!

こんにちは、仙ちゃんです。
6月31日からスタートした「完・わくわく三津浜」が昨日で閉幕しました。三津浜レトロがまるで夢世界に入ったような二ヶ月でした!

よく駄菓子場「まさおかし屋」も「完・わくわく三津浜」の一部だと言われましたが、違います。駄菓子場「まさおかし屋」は水〜土 15:30〜18:00日 10:00〜18:00までしています!場所は三津浜の旧濱田医院1F(松山市住吉2丁目2-20)定休日は月・火です。是非遊びに来てね!

8月31日のクロージングパーティー「よこまくら」では「完・わくわく三津浜」に関わったアーティストさんがパーフォマンスやBBQなどを振る舞い三津浜の方々に感謝の思いを振舞っていました。パーティーの最後には「完・わくわく三津浜」の代表の海野さんが挨拶をしました。その挨拶で「完・わくわく三津浜」の完は「完了」の完ではなく「完全」の完だと言っていました。これは昨日でわくわく三津浜は終わりましたが、一人ひとりのアーティストさんの人生はここからまた新たに再スタートするという意味だそうです。

昨日の海野さんの言葉はアーティストさんだけではなく私たちにも言えることではないでしょうか?実際に次の日から二学期がスタートしました。クロージングパーティーに来ていた子ども達の中でどれだけの子ども達が勇気づけられ、9月1日という新しい第一歩を踏み出したのでしょうか。

この二ヶ月間、「完・わくわく三津浜」のみなさんが三津浜の活性化に力を入れてくださいました!今度は私達、地元民が力をあわせて三津浜の活性化をする番ではないでしょうか?

話は変わりますが9月14日水曜日18時54分からあいテレビの「よるまち」にまさおかし屋が出ま〜す!(愛媛県以外の方は見れません!I’m sorry.ヒゲソーリー!)
昨日のクロージングパーティーの一部です!

今年度末閉鎖!面河少年自然の家

悲しいことですが、また久万高原から貴重な施設が1つ閉鎖される。


-2016年3月5日愛媛新聞 面河少年自然の家 閉鎖へ-
愛媛県の久万高原町は4日までに、同町若山の町営自然体験学習施設「面河少年自然の家」を、2017年3月末で閉鎖する方針を固めた。少子化などによる利用者の減少に歯止めがかからず、修繕費など財政支出の維持が困難と判断した。3月定例議会に関連条例の廃止を提案する。
町教育委員会によると、自然の家は1971年10月に開設。70年に閉校した若山小学校を改築し、木造平屋635平方メートルの研修棟などを備える。90年代にも大幅な改修を実施しており、最大宿泊定員は250人で利用期間は4~11月。石鎚山のふもとにあり、登山や面河渓でのハイキングが楽しめる施設として、町内や松山市、八幡浜市などの小中学校を中心に利用されてきた。


今年の3月には面河国民宿舎が閉鎖され、そして約2年前には美川スキー場も立派な施設を多数残したまま閉鎖となった。どの現場へ入っても「まだ使えるんじゃないの?」と思わせる立派なものばかり。そして今回閉鎖が決まった面河少年自然の家は施設のスタッフが真心込めて掃除をし、修繕もしているし、子どもたちのために最近洋式トイレを設置したばかりという話も聞いた。それにこの施設は歩いていけるところに「面河渓」「面河山岳博物館」「川遊びスポット」があり、車で30分ほど登れば「土小屋」から石鎚登山も体験できる。子どもたちに自然体験をさせるには最高の施設なのだ!

愛媛県内子どもの自然体験をさせてくれる施設はたくさんあるが、あえて「面河少年自然の家」にこだわる団体もある。
先日松山市で体操クラブを経営している「愛媛パールズ体操スクール」の和田さんにお話を聞くことができた。今年で22回目となるキャンプ。「何不自由ない生活をしている子どもたちに、身の回りのことを自分でしなければならない状況を作ってあげる。テントを張るためにアンカーを打つ。新聞紙と木を使ってたき火をする。そんな体験が日常から消えている。」面河の自然の家が、現代教育で大きな役割を果たすと感じ、ここでのキャンプを続けてきている。

昭和62年に小学校が18校、生徒数は834人だった久万高原町も平成26年度には小学校9校、生徒数340人と半分以下に落ち込んでいる。(愛媛県統計データーベースより)久万高原町としては町の子どもたちのための施設にこれだけの予算を投じるわけにはいかないんだろうけど、やっぱりもったいないと思わずにはいられない!

街では川で遊んだことも、満天の星空を見たことも、山に登ったこともない子どもたちが増えている。地球環境の大切さをいくら学校で教えても、体験が少ない子どもたちにその大切さを肌で感じる機会がなければ、その学びは無に等しい。

どうしたらこのような施設を有効利用できるのか、愛媛県民としてみんなで一緒に考えていけばきっといいアイデアが出るのではないかと私は信じている。だからこのブログにも書こうと思ったわけで・・・。

松山から1時間30分の自然、松山空港からだって1時間30分。そう考えると東京からでも、大阪からでも、名古屋からでも3時間ぐらいで面河の自然を味わえるのだ!名古屋市内の場合、渋滞時3時間で果たしてどこまで行けるのか?

ゲーム漬けで、エアコンの効いた部屋で過ごす今の子どもたち。火を見たことも、山に沈む夕日も、幻想的な霧の山道を歩いたこともない子どもたち。便利になったこの時代に、私たちは子どもたちに何を残していけばいいのか?

私達の活動の次なる扉の向こうにそびえ立つ可能性はまだ見えません。でも扉を開けばきっと思ってもみなかった可能性が見えることを信じて明日も前に進みます(^^)!


国民宿舎「面河」
-2016年3月8日愛媛新聞 国民宿舎「面河」3月末で閉鎖-
愛媛県の久万高原町は7日、面河渓にある町有の国民宿舎「面河」(同町若山)を、今月末で閉鎖すると発表した。利用者の減少や施設の老朽化のため。10日開会の3月定例議会に関連条例の廃止を提案する。
町によると、施設は1966年に旧面河村が開設。鉄骨鉄筋コンクリート造5階建てで、延べ床面積約1900平方メートル。82年と92年に増改築し、約130人を収容する。毎年4~11月に営業し、面河渓の「五色河原」に面する宿として、県内外の観光客に利用されてきた。
面河渓の観光ブームや自家用車の普及により、好調時は毎年数千人以上が宿泊。一時は利益を面河村の一般会計に繰り入れていたが、石鎚山の標高年となった82年をピークに、徐々に利用者が減少したという。2008年度から指定管理者制度を導入し、てこ入れを図ってきたが、道路の整備が進み、日帰りで訪れる人が増えたことなどから苦戦。14年度には宿泊客数が約500人にまで落ち込んでいた。
有識者や町議会議員らでつくる委員会が、14年度から町有観光施設の在り方を検討。観光客のニーズ変化や、施設の損傷のため、10年以上営業を休止している近くの飲食施設「おもご観光センター」と合わせ、3月末で閉鎖することを決めた。
国民宿舎の食堂のみを利用する観光客もいたため、町は近くの「渓泉亭茶屋」を飲食施設として利用できるよう改修する計画。


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-2012年2月28日愛媛新聞 再建困難で美川スキー場廃止へ-
愛媛県久万高原町は27日までに、2010年から営業を休止している町有の美川スキー場(同町日野浦)を3月末で廃止する方針を固めた。愛好者の減少などから再建困難と判断した。3月定例議会に関連条例の廃止を提案し、可決されれば半世紀にわたるスキー場としての役目を終えることになる。町は跡地を屋外スポーツのイベントなどに活用する方針。
町などによると、美川スキー場は1960年、県内初の本格的なスキー場として旧美川村が開設。滑降面積約18ヘクタールと四国最大規模の施設で、ウインタースポーツブームを追い風に83年度には約6万人が来場、約2億円を売り上げた。90年代半ばにも約5万人が利用した。
しかし、スキー人気の陰りや積雪不足が重なり、徐々に利用者が減少。2004年7月から、地元の企業経営者らが設立した美川観光開発が指定管理者として運営したが、08年度の収入は3200万円まで落ち込んだ。
10年冬にスキー場は営業を休止。13年10月、老朽化したリフトの撤去を開始していた。