タケノコの季節がやってきました!

良い天気に恵まれた3月12日(土)は100人以上の人が山に遊びに来てくれました!
小さな子どもを連れた親子連れから小学生まで幅広い遊びが見られました。

そして今年もタケノコの季節となり、子どもたちが山を散策してタケノコ掘りを楽しんでいました。

明日も遊び場開催しますよ(^_^)!

気仙沼の復興を応援しよう!活動報告

東日本大震災が起きて今日で5年が過ぎました。

被災地では未だに仮設住宅で住んでいる人が多いと聞きます。
無くなった家族の事を思い、辛く苦しい5年間を過ごした方も多いんだろうと思います。

私たちに何ができるのか?
その苦しみをどうしたら和らげることができるのか?
考えれば考えるほど、どうしようもない悲しみにさいなまれます。

でも、どんな状況になっても人は前を向いて歩いていくしかないのです。
悲しみを乗り越えなければいけない。

その為に少しでも笑顔を取り戻してほしい。

そんな思いから、今日はイベントを別府市民運動広場で地域の子どもたちや知り合いなどに声を掛け開催しました。

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竹を切って竹宵を作り、中にろうそくを立てて火を付け、
その竹宵の周りに子どもたちが集まって生ギターの演奏と共に歌を歌いました。
それから江刺さんが5年間やり続けている福ミカンの事を話してもらいました。

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子どもたちはというと竹を切ることが初めての子も多く、竹を切るのに没頭する子や、剣で遊び出す子、サッカーをやっている子など様々だったけど、とにかく震災があったということは忘れないでいてくれると思います。

今日来てくれた子どものほとんどは震災当時小学生以下でした。まだ物心つかない頃の思い出は自分ごととしてピンとこないかもしれないけど、これは日本人として忘れてはいけない出来事だし、この教訓を生かさなければ何の為の災害だったのかということになるのです。

愛媛という遠い地ではありますが、決して対岸の火事ではないのです。

今一度心に留め、継続的に復興をこれからも応援していこうと思っています。

今日の為にギターを担当してくれた高平さんありがとうございます。
福ミカンの事を話してくれた江刺さんありがとうございます。
そして、イベントの為に駆けつけてくれたたくさんの方々ありがとうございます<(_ _)>
そして、仙ちゃんお疲れ様です!

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皆様から預かっている募金(9,615円)は愛媛のミカンを気仙沼のあそびーばーに送るために使わせていただきます。

山を楽しむ人倍増!!のアンケート集計中です(^_^;)

みなさんアンケートご記入本当にありがとうございました<(_ _)>

おかげさまで愛媛県内四国中央から宇和島まで、
全国福岡から東京まで
いろいろな年代の人にも回答をしていただきました。

そしてアンケートの集計開始!!
ちょっと大変な量ですが頑張ります!

今日は仙ちゃんが手伝ってくれています。

アンケート締め切りましたが、まだどうしても伝えたいと思って下さる方がおられたら下記アドレスから入力して下さい!

山を楽しむ人倍増!!アイデア募集アンケートフォーム

みかんの木の剪定に行って来ました!

東日本大震災の後「福島の子どもたちに愛媛のおいしいみかんを送りたい!」という想いから、三津の江刺さんが活動している「福みかん」イベントも今年で5年目となりました。2月には無事今年もイヨカンを送ることができました。

3月7日、イヨカンの木を元気にするために有志で木の選定に行って来ました。

今回は高山さんという元みかん農家の先生に選定の仕方を教えてもらい、ノコギリ片手に木の中に太陽が入るように、とにかくいっぱい枝を切りました!

疲れたけど気持ちよかったですよ(^o^)/

やっぱり海を見ながらのんびりみかん畑で仕事をするのは気持ちがいいですね!

今年もたくさんのイヨカンがなりますように(^_^)v

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プレーパークで気仙沼の復興を応援しよう!!

 

東日本大震災から5年が経とうとしていますが、まだ復興は進んでおらず、多くの人たちが仮設住宅で生活しています。そんな被災地の人たちに少しでも笑顔になってもらいたいと思い今回の事業を企画しました。

開催日時 平成28年3月11日(金)午後3時30分~午後6時
開催場所 松山市別府市民運動広場第2グランド
※愛媛県松山市別府町621-3
※駐車場はたくさんあります。
参加費 ›500円 ※被災地へ愛媛のミカンを送るために集めます。ミカンは宮城県気仙沼市本吉町の冒険遊び場「あそびーばー」に発送し、地域の人たちに食べていただきたいと思います。
内容 3:00~4:30 子どもたちが遊びたい球技等で遊びます。
4:30~5:30 竹を切って「竹宵」を作る。
5:30~5:45 ろうそくを立てて被災地にエールを送ります。
5:45~6:00 最後にみんなで集合写真を取って終了します。
申込&問合せ先 NPO松山冒険遊び場事務局
mail:tomo_taku2009@yahoo.co.jp
☎:090-1575-6275(山本)

⇓イベントのチラシです!
基本 RGB

暖かな日差しの下でのプレーパーク

1月に入ってからは天気に恵まれず、寒さに耐えながら松山総合公園プレーパークを開催していましたが、2月28日は本当に良いお天気となりました!
参加者も気候が良くなったせいか80人以上が山を登ってきてくれました。
子どもたちの様子としては、小さな子どもたちが剣を作って「戦いごっこ」をしている風景が微笑ましいな~と思ったり・・・

1月始めから子ども達だけで作り始めていた木の上の隠れ家が完成!階段も土を掘って作っていました。

そしていたる所に落とし穴を掘り始めることがちょっとブームとなり・・・ヨッシーもしっかり落ちてしまいました(-_-;)

そして今日もキャッチボールをする男の子たちが最高スピード記録達成!などなど、子どもたちはいろんなことをして仲間と楽しく遊んでいるようでした(^_^)

※次回の松山総合公園プレーパークは3月12日(土)と13日(日)です。暖かくなってきて、タケノコ掘りもできるかもしれませんよ(^_^)v

センス・オブ・ワンダー

レイチェル・カーソン著  上遠 恵子 訳

私が活動を始めた頃、子どもたちに私たちが残せるものってなんだろう?っていつも悩んでいました。高度経済成長が終わり、便利な生活になれ、人や地域や自然と関わりを持たなくても生きていける社会が加速し、グローバル化がますます進む中、人間の精神はそれと正比例するかのように不安感が増しています。その不安感を少なくし、安定した心で日々過ごせる子どもたちを育むために、今できることの1つがプレーパーク活動だと思っています。そしてそれは「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を育むことだと思っています。レイチェル・カーソンが書いた「センス・オブ・ワンダー」の一節には下記のように書かれています.

 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない<センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性>を授けてほしいとたのむでしょう。 この感性は、やがて大人になるとやってくる怠慢と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。(中略)

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。

 

遊び場で子どもたちと関われば関わるほど、この言葉が心にしみてきます。そしてその子どもたちが 成長していく姿に確信を持ち、今の活動に繋がっています。

レイチェル・カーソンのこと

アメリカの海洋生物学者で作家。1907年、アメリカ ペンシルベニア州スプリングデールに生まれる。文学少女で作家を夢見ていたが、ペンシルベニア女子大学時代「生物学」に魅せられ生物学者を志す。
ジョンズ・ホプキンス大学大学院で動物発生学で修士号取得。アメリカ連邦漁業局・魚類野性生物局の公務員として海洋生物学に深くかかわる。

著作として、1941年「潮風の下で」、1951年「われらをめぐる海」、1955年「海辺」を出版。海の3部作と呼ばれいずれもベストセラー。

また1962年出版の「沈黙の春」は、殺虫剤などの「合成化学物質」の無分別な大量散布(使用)は、生態系を乱し生物環境の大規模な破壊をもたらし、それは人間の生命にも関わることになると警告し社会に大きなインパクトを与えた。
問題の重大さはケネディ大統領を動かし、大統領科学諮問委員会の答申は「沈黙の春」の正当性を認めるものだった。この本によって世界は環境問題に眼を開かされた。

また、1965年没後に出版された「センス・オブ・ワンダー」は、幼少時から自然の不思議さ・素晴らしさに触れることの大切さを説き、自然環境教育のバイブルとなる。

「沈黙の春」出版のわずか2年後、1964年春、癌にて永眠した。

なかったことにする?!津田中問題のその後と私の考え

津田中の体罰事件から早1ヶ月以上が経とうとしている。
あの緊急保護者会から未だに1枚も手紙が来ないし、説明会もない。

ちょっとありえないと怒りすら感じる日々を送っている。

12月に開催した緊急保護者会の時には、詳しい状況は分かり次第連絡するということだったし、その時の緊急保護者会の議事録は全保護者に配布するという約束もしていたのに、約束は守られていない。

私自身もこの状態ではどうしても納得がいかないので、先日教頭先生に状況を聞きに行って来たのですが・・・結局私の疑問はますます膨れ上がるばかりだった。

①この体罰問題が傷害事件として警察により取り扱われている場合、今後裁判等も考えられるので、詳しい事は話せないという一貫した学校側の対応に疑問?
②それではなぜ緊急保護者会を開き、今後状況が分かり次第お知らせすると言ったのか?議事録を出すといったのか?という疑問???

こうした学校側の対応は、虚偽行為には当たらないのか?

子どもたちに嘘をつかずに誠実な対応を日々指導している立場の先生がなぜこうした問題が起こると大きな壁を作り、虚偽の仮面を被って保護者に対し防衛対策を取ろうとするのか?

地域と学校と行政はツナガって、みんなで子育てを応援していく社会を作る必要性を松山市の子育て施策にもちゃんと謳われているわけで、それなのに大きな壁を作ってしまっては何も解決しない。

学校は何を守っているのだろうか?

こうした状況下の学校の対応に関して、もしかしたら全国的なマニュアルがあって、それに応じて学校側は対応するように言われているのかもしれないが、だとすると最近よくニュースに流れている先生の不祥事事件を起こした学校側の対応として全てこうした対応がなされているというのか?

私としては腑に落ちなかった。

守るのは子どもたちの人権じゃないのか?

もうひとつ納得できないこと・・・

先生と話していて私が一番悔しかったことは、「子どもたちは静かな環境で勉強がしたいんです。中学3年生は受験が控えています。今回のことは早く忘れたいと思っている子どもが多いんです。」という言葉だった。

保護者の中にもそうした考えの人が多いことも踏まえ、先生が言われたことだと思うのですが、私の胸は張り裂けそうな憤りを感じずにはいられなかった。

被害を受けた子どども、そうでない子どもたちもみんな津田中の仲間じゃないのか?
みんなで一緒に切磋琢磨して日々学び、日々遊び、共に成長していく喜びを分かち合ってきた仲間ではないのか?

仲間が苦しんできているのに、どうして「忘れたい」なんて思えるのか?そのことが不思議だし、悲しかった。

何のために部活をやっているのか?
何のために地域の子どもたちと一緒の学びの場があるのか?
何のために地域の人と関わる行事をたくさん行ってきているのか?

それは成績が良い人が立派で、成績の悪い人がもう少し頑張れと格差を付ける競争社会を育てる為ではないはずだ!

みんなが協力しながら成長して、成績とか運動能力とかだけでなく、友達を思いやる気持ちがスゴイ子や、お友達のお話を丁寧に聞いてあげる能力がスゴイ子や、誰にでも笑顔で接してくれる天使の心を持つ子、宇宙の話、鳥の話、魚の釣り方、車の事、建物の不思議やドラえもんの凄さとかを話すのが大好きな子とか、子どもそれぞれが持っているスゴイところを認めあいながら、社会のことを知り、未来のことを考え、愛媛の未来を担う人材が育つために学んでいるのではないのか?

だったら、大切な仲間が苦しんでるんだから、みんなでどうしたらいいのか考えていくのが普通の事じゃないのか?

「他人なんて関係ない!自分さえよければいい!」という考えの子どもも親も増えていることは分かっている。

でも学校教育がその流れに乗ってしまっては、その先生を尊敬し真面目に教育を受けようとする子どもたちの心が路頭に迷ってしまう。

指導者は確実に光の見える未来に向かって子どもたちを導いていく使命があるから、指導者になっているのだと私は信じているから、私たちは子どもたちを学校へ行かせている。

安定した職業を求めて先生になる方もいるだろうけど、ただそれだけでなれる仕事ではないと思う。
たぶん使命を持って頑張っている先生の方が多いと思うし、問題のある先生は少ないと感じている。

だから決して悲観してこのブログを書いているわけではない。
ただ、今のこの状況が普通にならない事を願って書いているのです。

ゆっくりいこうよ~

我が家の中2の娘の日々の時間はほとんどが学校です。

夜は部活、土日もほぼ終日部活。これでいいのかと悩んでしまいます。

学校というのは本来勉強をするところです。
スポーツの専門校とか音楽の専門学校に来ているのなら仕方がないと思うのですが、普通の中学生で、なぜここまで熱血で部活をするのか?私にはよくわかりません。

私が通っていた愛知県の一宮市というところは野球で甲子園に行くという発想がほとんどありませんでした。ほかの部活でも頑張るけど、基本は体力アップだったり、仲間との団結力みたいなものを身につけるためです。愛知県で甲子園に行くのは私立の学校(愛工大名電・中京高校等)で、中学時代にスポーツ推薦で引き抜かれた面々が揃っているので、他の高校にほぼ勝ち目はないという悲しい現実があります。だから公立でも甲子園に行っちゃう愛媛はちょっと愛知とは考え方が違うのかもしれませんが・・・(^_^;)

公立高校でも、私立でも、誰にでもチャンスが残されているというところは凄いと思います。

でも私としては家の掃除や夕食作りのお手伝いなどもして欲しいし、これから一人暮らしをしても困らないレベルまでにはいろいろと教えたいこともあるのですが、それが全くできないのは困りものです。

その上、時間に余裕がないから帰ってきてからの自由時間はほぼ自分の好きなアーティストの歌を聞いてストレス発散!

中2ってそんなものだと言われればそうなのですが、もう少し人生について考える時間だったり、学校以外の興味のあるイベントや人に出会う時間があってもいいんじゃないかと思うのです。

大人になれば確かにできるけど、好奇心旺盛な中学生だから体験してほしいこともいろいろあるし、知っていてほしいこともいろいろある。ただ学校の勉強ができて、部活を頑張っていれば良い子だという風潮は変えていかなければいけないと思っています。

中学で立派な成績とったり、部活で全国大会行っても、その子のその後の人生にどんな良い影響があるというのだろうか?良い方向へ行く子もいれば、そのために転落を味わう子もいる。

せっかく中学という学びの時間を3年も頂いているのだから、その子にとってこれから知っておかなければいけないことを丁寧に伝えていく作業をしていく必要があると考えています。

焦ることではないし、比べる必要もない。

子どもたちはみんな違うし、みんないろいろな才能を秘めているのです。

中学の3年間だけではなくて、その後もずっと人間は学び続けなければいけないのです。

時にはゆっくり進む時もあっていいと思います。休む時も必要です。

頑張り続けることだけが正解ではないのです。

その子の未来を見据えて、丁寧に関わっていけば、必ず前が見えてくると信じています。