なぜ子どもには「遊び」が必要なのか?

ピーター・グレイ 著 吉田新一郎 訳

都市化や少子化が進むことで、子どもの遊ぶ場所や遊ぶ仲間、遊ぶ時間は年々減少しています。さらに、交通事故や犯罪を心配する親が増加し、外で元気に遊び回る子どもの姿を見かけることもめっきり少なくなりました。しかし、子どもにとって「遊び」は重要なことで、例えば体を動かして遊ぶことで体力・運動能力が向上し、たくさんの友だちと遊ぶことでコミュニケーション能力や協調性を養うことも可能です。そんな子どもにとっての「遊び」の重要性を、心理学者のピーター・グレイ教授が5つに分けて紹介しています。

近年、子どもが自由に遊べる時間は徐々に減少し続けています。これは日本だけでなくアメリカでも問題になっているそうです。心理学者のピーター・グレイ教授は、組織的な活動の一部ではなく、子どもが自分自身の意志で自由に遊ぶことができる時間を、「人生のテスト場」と呼んでいます。これは小さな子どもが自信を持った有能な大人に成長するために必要な時間であり、この「自由に遊ぶことができる時間」が減少することで、「社会は大きな損失を被っている」とグレイ教授は考えています。

昔と比べて外で遊ぶ子どもたちの姿を見かけなくなったように思えますが、実際にそれが正しいことを示す研究結果もあります。1981年と1997年に、6~8歳の子どもの1日の行動パターンを調査した研究によると、1981年と比較して1997年では子どもの遊び時間や自由時間が圧倒的に少なくなっています。調査によると、1997年は1981年と比べて学校で過ごす時間が18%増加、学校の宿題を行う時間が145%増加、親と買い物に出かけている時間が168%増加しているとのこと。加えて、1997年の子どもたちはコンピューターを使った遊びを含めても、週に約11時間しか遊びに時間を費やせていないことも明らかになっています。

別の研究では子どもを持つ親にアンケート調査が行われており、85%の母親が「自分が子どもの頃よりも自身の子どもが外で遊ぶ時間は短くなっている」と回答したそうです。また、安全上の理由から子どもを屋外で遊ばせないようにしているという母親も多くいたそうです。

そんな年々減少していく子どもの遊び時間を守るため、グレイ教授は「子どもが自由に遊ぶことで得られる5つの利点」をまとめています。

①「遊び」は子どもたちが自分のアイデンティティを形成したり、自分が興味関心を持つものを見つけることに役立つ

「自由に遊ぶことができる時間」を与えられると、子どもたちは自分自身で何をして遊ぶかを決め、それを実行に移します。また、遊びを通して子どもたちは「自分が興味のあるもの」に詳しくなっていきます。そして、遊びを通して身につけていった能力(体力・コミュニケーション能力など)を用いて、その後の人生を生きていくこととなります「子どもは学校で成績と称賛のために勉強に取り組みます。スポーツも、称賛やトロフィーを得るために努力が費やされるものです。しかし、遊びでは子どもたちは自分がやりたいことを実行します。遊びの結果はあくまで副産物であり、活動には意識的な目標などはありません」とグレイ教授は語っています。明確な目的を持たずに気の向くままに遊ぶことで、子どもたちは自分の興味関心やアイデンティティを育むことが可能であり、それは大きくなったときに必ず役に立つものになる、というわけです。

子どもたちが「決定を下し、問題を解決し、自己制御を行い、ルールに従う」ということを最初に学ぶのは遊びを通して

子どもたちが自由な遊びを行う際、自ら何で遊ぶかなどの決定を下し、遊びの途中で出てきた問題を解決し、何かしらの制限がある場合は自分自身を制御する必要もあります。例えばゲームを行っているなら、課せられた制限を受け入れ、自分自身の行動を律し、ルールに従う必要があるわけですが、これらを通して子どもたちは自分の世界の中で熟達感を得られるようになります。そうして身につけた感覚は、子どもたちを不安やうつ病から守ることにつながり、巨大な心理的利益をもたらしてくれるそうです。

「自分の行動をコントロールし、自分で意志決定を行い、問題を解決し、ルールを守る方法を学ぶという機会を持たない子どもたちは、自分自身の人生や運命をコントロールすることができません。そういった子どもたちは運に頼り、他人の親切さや気まぐれに左右されたまま成長していくことになる」とグレイ教授は語っています。

不安やうつは、自分が自分の人生をコントロールできていないと感じる際に頻繁に起きるもので、「自分の運命を熟知していると信じている人は、自分がコントロールできない状況の中にいると信じている人たちよりも不安やうつを感じる可能性が低くなる」とグレイ教授は述べています。遊びは自分自身をコントロールする能力を身につけ、不安やうつを跳ね返すための感覚を身につけるためにも最適なものというわけ。

子どもは遊びの中で「怒り」や「恐怖」などの感情を扱うことを学ぶ

自由な遊びを行っている最中、子どもたちは身体的・社会的に困難な状況に身を置くことがありますが、これらのストレス要因から生じる感情をコントロールする術も、その中で学ぶこととなります。子どもたちはごっこ遊びをしたり、木登りをしたりとさまざまな遊びに興じますが、「そのような活動は、適度に恐ろしいほど楽しいものです」とグレイ教授。

また、グレイ教授は感情を調節する能力の低下が、不安障害の発症につながっている可能性も指摘しており、「不安障害に苦しむ人は、『感情のコントロールを失うこと』を最大の恐怖として挙げている」と語ります。幼少期の遊びの中で適度に恐怖を感じられるような状況を経験したことがない場合、大人になってからの生活で感情が揺れ動くような状況で大きな不安を感じてしまい、不安障害などを発症してしまう可能性があるとのことです。

遊びは子どもたちが友だちを作り、「平等」について学ぶ絶好の機会である

子どもが友だちと遊ぶことは、お互いを公平に扱うことを学ぶための自然な手段です。遊びは自発的なものであり、遊び相手は不快感を感じるといつでも遊びから抜けてしまうことができます。子どもたちは遊び相手のニーズを知り、遊びを続けるために必要なことを学ぼうとすることで、社会性を身につけていくわけです。

グレイ教授は「他者と平等になり、協力することを学ぶことは、友だちと遊ぶ上で得られる最も重要な能力かもしれない。(友だちとの)社会的な遊びは、若者に特別なものではないと教えるための自然な手段であると信じています」と語っており、子どもの遊び時間が減少したことで社会的孤立性も増していると指摘しています。

最も重要なのは「遊び」が幸福の源泉であるということ

子どもたちに幸福を感じる瞬間を聞けば、「友だちと遊んでいる瞬間が幸せ」という答えが圧倒的に多く返ってきます。大人でも子どもの頃の友だちと遊んだ幸福な瞬間をよく覚えている、という人は多いはず。

グレイ教授は子どもの遊び時間が減っていることは二重苦になっていると指摘しており、「遊びによる喜び」を奪っただけでなく、その時間を感情的にストレスの多い活動に置き換えてしまったという点も問題であるとしています。「社会全体が子どもを危険から守り、教育するという方向にシフトしました。しかし、我々大人は子どもたちから『最も幸せになることができる活動(=遊び)』を奪い、より多くの時間や場所で子どもたちを置き去りにしてしまっています。これは不安やうつ病を引き起こすように社会を設計しているかのようです」とグレイ教授はコメントしています。

1950年代と現代の若者を比べると、うつ病患者は大幅に増加しています。また、1950年から2005年までの自殺率は、15歳未満の子どもは4倍、15歳から25歳までの若者で2倍となっており、子どもが幼少期に十分な遊び時間を得られなかった弊害はさまざまな場所に現れている、とグレイ教授は指摘しています。

小さな子どもの親が感情的に健全な子どもを育てるためには自由に遊べる時間をしっかりと確保することが大切だと認識することが問題解決の第一歩であり、真の意味で子どもの幸福を取り戻すことにもつながるはずです。

この情報はhttps://gigazine.net/news/20180514-why-children-needs-play/?fbclid=IwAR32P9gsnvENb4Y2Egxv4hgZAsHuTWQ4Iyy1P_5fxPbmQJpHJY5nvdnfjfAから転記しています。

参加者が熱かった!! 西村早栄子さんの講演会活動報告

12/14(土)に鳥取県の「智頭町森のようちえんまるたんぼう」代表の西村早栄子さんにお越しいただき、愛媛県県民文化会館の別館で講演会をさせていただきました。

参加者は子育て中のお母さんがとても多く39人の参加があり、1歳の子どもを抱きながら必死で講演を聞いている方もいました。託児としてお預かりするお子様も21人ととにかくにぎやかな会場の中、熱く熱くお話ししていただきました。

徳島のトエックに子どもを通わせているお母さんは、徳島でも鳥取のような制度を作りたいと願い参加、新居浜と西条そして当団体のスタッフは今から森のようちえんを立ち上げるという決意をもって参加していました。

2019年10月から幼稚園保育園無償化に

昨年10月から認可外保育施設に預けても働いているお母さんの子どもで3歳から就学前の子どもは無償化の対象となりました。ただし、施設の建物が必要で、基本屋外で決まった建物がない場合は対象とならず、保護者が働いていて、尚且つ保護者が市の担当に申請すると37000円までお金が戻ってくるという制度です。

全国の森のようちえんでは園舎を持たないところも多く、なかなか今回の制度の対象にならない場合が多いようですが、鳥取県は独自の認証制度「とっとり森・里山等自然保育認証制度」を作り、専業主婦だとしても補助が出る独自の制度を打ち立てています。結果、7か所の森のようちえんが始まっています。

鳥取県の森林率(森林面積の割合 )は74%、そのことを有効利用した子育てと自然を繋げた鳥取県の施策は大成功していて現在移住者がどんどん増えています。

愛媛県も森林率は71%です。ぜひ、成功している事例を踏まえた愛媛県ならではの施策、四国ならではの施策が始まってほしいと願っています。

今回は森のようちえんの子どもの様子もお話しいただきましたが、それ以上に運営のノウハウ、行政と共に歩むプロセスなどを質問に答える形で丁寧に答えていただきました。

参加者にもアンケートを書いていただきましたので下記に転記します。

講演会を聞いてのアンケート

大変面白かったです。こんな森の幼稚園にぜひ通わせたいと思いましたし、愛媛でもその実現に向けて力になれる事があればしたいと思いました。運営と現場を分けるというのはよいと思いました。あれだけの資金繰りをするのは大変な労力ですし、現場とは求められる能力も違いますね。幼稚園にとどまらず、産むところから小学校以上まで活動がつながっていくことも素晴らしいです。 まるたんぼうのような完全預かり型の保育園が、うちの近くにもあったらいいなぁと感じました。ないなら、作ったらいいのか?なんて安易な考えて今回参加させてもらいましたが、西村さんがすごく気さくでメリット、デメリットなんでも包み隠さずお話いただけて、勉強になりました。自分もいずれ、まだまだ先のことで、夢物語くらいの気持ちしかないのですが、まるたんぼうやサドベリースクールのような施設を、同じ志のある仲間とできたら最高だなぁと思いました。 西村さんの話を聞いていると諦めなくてもいいなー、できるなー!やれる、やりたい、やろう!と思える時間でした。一歩ずつ進んでいくこと。そして、行政と一緒に取り組んでいくことを胸に、やれることからやっていきます!愛媛県の熱い想いのある母さんたちとも出会えて嬉しかった!またいろいろ交流したいです。準備から当日まで、ありがとうございました^ ^

西村さんのお話とてもおもしろかったです!有意義な時間でした。ありがとうございました。正直なところ智頭町に移住したくなりました。でも、転勤族の間でも人気のある松山。絶対に鳥取、長野に続けると思いました。定住したいと思っている転勤族の母としてもっと役に立てると思います!

代表の熱情と、思いを同じくする仲間との出会いがあれば、まず始めること行動を起こすことに間違いはなかったと心強かった。やはりこれから継続することの難しさを感じた。

今回西村さんのお話を聞かせていただき、自分が感じていた以上の森のようちえんの魅力を教えていただき、改めて森のようちえんの良さを実感しましま。字を読めない今しか無い時期を大切にとうい言葉に心打たれました。我が子の二度とないこの時期を大事にしていきたいです。この度は貴重な講演会を開催していただき、ありがとうございました。

まるたんぼうの、森のようちえんとしての本格的な自然環境や保育内容だけでなく、預かり制度や移住者のフォローも充実している点に、とても驚き、今すぐにでも移住して通わせたいと思うほど魅力的でした。また、西村さんの1つ1つの言葉に、豊富な経験に裏打ちされた説得力があり、「田舎子育ての理想郷」を作りたいという信念のもと、森のようちえんをはじめ、サドベリースクールやシェアハウス、そして女性ならではの視点で産後ケアまで視野に入れている事業展開が、子育て世代に夢を与え、行政や人を動かすことにもつながっていくんだなと実感しました。着実に夢を実現させている西村さんの生き方にも感銘を受けました!行政など支援者を得たい人との物事を進めていくプロセスや、移住者や行政など、ターゲティングに合わせてニーズを掘り起こし、それぞれに適したアプローチで、森のようちえんの良さを伝えるマーケティングなど、運営者ではなくとも、いろいろと参考になり、とても興味深かったです。とくに、「WantsではNeedsを」という言葉が胸に刺さりました!現在、森のようちえんのボランティアをしていますが、なぜ松山ではあまり広がらないのかなと思うことも、しばしばあります。松山も、身近に海や山がある環境には、とても恵まれいる。県外から来た者にとっては、それだけでも魅力があり、そこに、森のようちえんならではの、雨の日や風の日もガッツリ自然の中へ出かけ、子供たち同士で成長し合える環境、普通のようちえんのように週5or4の定期で子どもを預けられる環境があれば、森のようちえんに通わせたいと思う人に、必ず届くと思います。(少なくとも、私は通わせたいです)森のようちえんに預けたい親は、そこに何を求めているのか?(自然保育、預かり制度、保育指針etc)森のようちえんに魅力を感じる人は、どういった人が多いのか?(地域外から来た人、自分の手には負えない性格の子どもetc)、行政にとって何がプラスになるのか、いろいろな人のニーズをひろい、それに見合ったアピールをしていくことが大事なんだなと強く実感しました。

最後に

私が育てた4人の子どもも、もしその頃に森のようちえんがあったなら絶対通わせたかった!人間としての根っこがしっかり育つ森での保育は最高の子育て環境だと思っています。

便利な世の中ですが、子どもの育つ環境となると疑問が多い時代となりました。それでもあきらめるわけにはいきません。すべての子どもが将来自分の足で力強く生きぬくことができる土壌を再度構築していく必要があるのだと思っています。

令和元年から令和2年へ

今年もたくさんの人に支えていただき松山冒険遊び場は活動を広げさせていただきました。4月よりフリースクールたんぽぽの綿毛も開始し、来年の4月からは預かり型の森のようちえんも開園するために準備を進めています。

一期一会のつながりから私たちの活動は一歩一歩日々前進してきました。これからも初心を忘れず、感謝の気持ちを忘れず前に進みます。来年もどうか引き続きのご支援よろしくお願いいたします。

NPO法人みんなダイスキ松山冒険遊び場

代表 山本良子

ときファームでの稲刈り体験行ってきました!

10月25日(金)

森のようちえん 風の子

昨夜の大雨から一転、秋晴れ

松前町にある ときファームさんで
稲刈り体験をしました。

初めてのかま
初めての稲刈り
稲穂のいいにおい♪

そのあとは、枝豆収穫もさせていただき、みんなで枝からもぎもぎしました。

青空映える田んぼの真ん中で
食べたときファームさんの新米釜炊き白米と里芋たっぷりの味噌汁は、絶品♪

何よりの贅沢なお昼ごはん

青空の下のみんなで食べるお昼ご飯はとっても美味しかったですよ(^^)/

フリースクールをはじめた理由①

こんにちは!松山冒険遊び場の山本(よっしー)です。私たちがフリースクールを始めるに至った経過にはさまざまなことがありました。一言では伝えきれない出来事の繰り返しの中で「やりたい」というよりは「やらなければいけない」という結論に至ったのです。

息子が不登校に

私には4人子どもがいます。28歳の娘、25歳の息子、20歳の息子、17歳の娘です。現在20歳の息子が小学校5年生の頃、いじめがきっかけとなり、運動会の練習が嫌いで行き渋りが始まり学校へ行かなくなりました。行かなくなってからはほぼ毎日ベットから出てこない時期が1年以上続きました。それから少しずつ外に出ることができるようになり、中学3年の2学期頃から高校へ行くために勉強を始め、おかげさまで松山北高校の中島分校へ3年間通い、現在は自ら選んで大学に通っています。

この息子が学校へ行かなくなるという予感は母親である私は実を言うと小学校へ通い始めたころから感じていました。集団行動が嫌い、みんなと同じことをするのが嫌い、運動が嫌いな息子。その反面、勉強が嫌いなわけでもないし、本が大好きで毎日でも本を読んでいるタイプの子がどうして学びの場である学校に行けなくなるのか?そんな疑問もありました。確かにいじめや我が家の家庭の問題なども要因にはなっているとは思います。それでも「学校が楽しい」と思えていればきっと行けたんだと思っています。

6年間の地域の公園での冒険遊び場活動から見えてきた問題点

28年も子育てをしていると社会の変化と共に変わってきた子どもを取り巻く社会の変化もとてもよく見えてきます。

28年前は携帯型のゲームも、スマホもない時代。小さな子から小学生、中学生まで当たり前に地域の公園や空き地で遊んでいました。

それが、2000年頃には誰もが携帯用ゲーム機(DS,PSなど)を持ち始め、今では小学生低学年までもがスマホを持ち歩き、毎日一人でゲームをしたり動画を見たりして遊ぶ時代となりました。

自分の子どもがこのままではまともに育たないのではと危機感を感じ、2006年8月からアイテム愛媛近くの公園を借りて毎週土曜日、地域の子どもを集めて遊び場活動を始めました。

そこで見てきた子どもたちの遊ぶ様子が今の活動の原点となりました。

見えてきた問題点は・・・

  • 誰かをターゲットにしていじめ(いじり)をしながら遊ぶ子どもたち
  • 危機管理能力が低い
  • 遊びを知らない
  • 子どもの貧困
  • 放置される子どもたち

いじめ(いじり)のターゲットは誰でもいい感じで、ちょっと変わった子、頭がいい子、発想が豊かな子、服が地味な子、正義感がある子、塾に行けない子、そして発達障害ではないかと思われる子などが毎回その対象となっていました。冒険遊び場では大人が見守っているのでひどい時には声掛けをしますが、一週間に一日だけの関わりですから現実は何も変わりません。

危機管理能力の低下というのは、ただ転ぶだけで、変なケガをしてみたり、のこぎりの持ち方を知らなかったり、むやみに振り回したり、危ない使い方をする子が多いという感じでした。全般に外遊びの経験値が下がっていることを如実に感じることが多くありました。

そして昔の遊びが継承されていないと感じました。はないちもんめ、ゴム飛びなどは今はもう誰も知らなくて、けいどろや色鬼もするんですが、高学年から継承された遊びではなく、各学年が勝手にやっているので、仲間同士のルール決めがあいまいで、遊びが続かないということがよくありました。かくれんぼなどは、隠れた子を探すのを勝手にやめてしまうということもよくありました。本来であれば遊びというのは子どもがどんどん開発するもので変化することが面白いのですが、その変化を感じる前に終わってしまうことがよくありました。

貧困問題も深刻であると感じました。習い事をいくつもやっていて忙しい子どもも多いですが、反対にまったく習い事もしていない、毎日外で弟や妹の面倒を見ている子もいます。土曜日の午後遊び場をやっているとお昼ご飯を食べていない子が食べるものを求めてやってくるということもありました。

そして雨でも風が強くても遊び場に必ず来る子どもがいて、その中にはとにかく家に帰りたがらない子、私たちスタッフから離れない子もいました。毎回遊び場に来ているのに、スーパーでその子のお母さんに会っても全く挨拶もない(たぶん親にはどこに行っているか言っていないのだと思いますが。)、私のことを知らないのか無関心なのかはわかりませんが、子どもだけが、母親の後ろでそっと私に手を振る姿に私は笑顔で答えながらも言い知れぬ切なさを感じていました。

子どもの遊び場の必要性

また、冒険遊び場を開催することによる効果というものも感じてきました。

  • 異年齢・多様な人々とのかかわりによる遊びの変化
  • 外で遊び込む中での子どもの変化
  • 公園での活動で見守る大人がいることで可能になったこと
  • 貧困・虐待・などの問題から子どもを救うために

 

毎回小学校1年生から中学生までいろいろな子どもたちが遊び場には来ていました。2011年頃には平均1日50人ほどの子どもが来る遊び場となっていました。その中で木に登る高学年がいれば低学年も登てみたり、鬼ごっこも毎回様々な年齢の子どもたちが一緒になって遊びだす光景が見られました。外で思いっきり遊んでいる時は「いじめ」は本当に少なくなります。みんな必死に遊んでいる時は仲間という意識が少しずつですが目覚めていくのを感じました。

端材で好きなものを作ったり、ダンボールで秘密基地を作ったり、縄跳びで遊んだりするうちに、子どもたちがいろいろな遊びを開発します。いらなくなった自転車を改造して発電機として遊んだり、てこの原理で物をいかに空高く飛ばせるかを競ったり、台車の上に基地を作り仲間を集めて戦争ごっこのようなことをしてみたり・・・。自分たちで考えた遊びを自分たちでどんどん変化させる面白さを知り、仲間と共に遊ぶ喜びを感じると何もない公園でも時間を忘れて遊び込みます。そんな遊び込んだ後の子どもたちとの会話には「心地よい風」が流れます。夕日を見ながら子どもたちと「きれいだね」といいながら空を見上げる。そんな何気ない出来事が私の至福の時でもありました。

そんな冒険遊び場では毎回必ず大人のスタッフが子どもを見守っています。見守ることでボール遊びも活動場所では行政と学校に理解をしていただき遊ぶことができました。不審者がいるので公園で遊ばすことが不安な保護者にとっては安心の材料となりました。地域の理解を得ながら地域の子どもを地域で見守ることができました。

また、貧困や虐待などで苦しんでいるどもたちを私たちが支援することはできなくとも、そうした子どもがいることを知ることで行政などにつなぐことができます。

地域の子どもの遊び場は子どもたちのセーフティーネットにもなる重要な場所ではないかと思ってます。

遊び場と息子の不登校

冒険遊び場という環境は希薄化した今の子ども社会にはとても必要なものと実感しながらも地域にはなかなか理解されず6年間アイテム愛媛近くの飯岡公園というところで毎週土曜日開催していました。

そんな遊び場で育った息子が不登校になったのは5年生の頃でした。冒険遊び場を母親はやっている、だから地域の子どものことはよくわかっている…その中で息子は不登校になりました。

でも学校を責めることも、いじめた子どもたちを責めたいとも思わない私がいました。4人の子どもを自分なりに育て「精一杯子育てしたぞ~!」という自負があったというのも理由の一つですが、なによりなぜわが子が不登校になったのか、そしてその問題の根源は親である私がすべて悪いというわけでもないし、先生が悪いわけでもない、そしていじめている子どもたちが悪いわけでもないという実感があったからです。

子どもたちの中には暴言を日々はき続けて遊ぶ子がいます。「しね」「うざい」「きえろ」「だまれ」など、これが学年によっては伝染するかのように増殖していきます。驚いたことにこれが今は小学校1年生から始まります。自分にされたことを他人にして楽しむいじめ「いじり」が日常となっている子どもたちがどの学校にも一定数います。

大好きな友達にも平気で「しね」という言葉を吐く子どもたちの様子を見ていると、その子たちにとっては「しね」も一種の愛情の表現であることにある時気づきました。おそらくその子どもたちは親からそうした言葉を浴びせられながら日々生きているのだと思います。

かたや、そんなひどい言葉を全く言わない子どもたちと毎日そうした言葉を発する子どもたちは毎日同じ学校の教室にいます。大人ならそんな環境からさっさと逃げ出せるのですが、義務教育の子どもたちは逃げられないのです。教室の仲間に違和感を感じる子は息苦しくなるだろうし、空気を読めなければいじめられる。空気が読めて要領のいい子だけが教室にいられるのです。

そんな空気を遊び場の中で日々感じてきて、それが子どもが悪いと言ってしまえばそれまでですが、それは育てている親の問題で、その親だってそうした親に育てられながらきっと苦しんできたんだと思います。こうした悪循環の連鎖が日本社会には起きているように思うのです。原因は貧困家庭が増え、格差がどんどん膨らんでいること、便利な社会になり、地域と関わることを嫌がり、孤独に生きる人が増たことなど、様々な問題が絡んでいます。

先生はそんな子どもたちと日々向き合い、そしてその保護者とも向き合っています。平均30人の子どもを見るということは本当に大変なことだと思います。森のようちえんで預かり保育をする時、キャンプで子どもたちと向き合うとき、どんなに頑張っても一人のスタッフに子どもが7人までが限界です。もし一人一人の子どもの心にもよりそう必要がある場合は3人までが限界です。だから先生に自分の子どもが学校へ行かなくなった原因を追究するというよりは、学校の体制を変えなければいけないと思いました。ただし先生がひどい体罰や暴言を吐く場合は別ですが。

もう一つの学校

今日本では学校へ行けない子どもがどんどん増えています。

日本の小学校と中学校には国の補助を受けて誰もが勉強できる義務教育というシステムがあります。だからどんな状態にある子でも学校へ行く権利があるはずです。

そして学校へ行けなくなることは不登校になった子どもの問題ではありません。社会全体の問題だと思っています。未来の日本を支える力のある子どもたちが学校へ行けないというのは大きな問題だと思います。

未来を担う人材が不登校となり自己肯定感を下げてしまう前に、新しい学校、これまでとは違う多様な子どもの個性を認め合いながら学べる場所が必要ではないかと思うのです。

・・・「群馬からきょんちゃんがやってくる」につづく

 

6/9由良野の森プレーパークの様子です。

6月9日はいつもなら梅雨に入り雨でイベントが中止になることが多いのですが、この日は快晴となりました。念願の桑の実もたくさんいただき、沢でいろいろな生物を見つけては遊び、ニワトリや羊と戯れ、由良野の森で子どもたちは走り回っていました。

「自然の中で思いっきり走り回って遊んでほしい!」と思っても、日頃そうした遊びをしていない子はどうしていいのかわからないこともよくあります。

子どもは大人から離れ、自然の世界に飛び込んでいき、好奇心のおもむくままに仲間とたわむれ泣いて笑って遊びこむとどんどん目が輝き、本来の人間が持っている「野生」が呼び覚まされているようにも感じます。

人間社会の調和を保つために「理性」は欠かすことのできないものですが、同じぐらい「野生」も大事であると感じてきました。生きる意欲、底力のようなものがこうした自然の中の遊びにより育まれるのではないかと思っています。

あけましておめでとうございます。

今年も松山冒険遊び場として、いろいろなことにチャレンジしていきますので、温かいまなざしで見守っていただけるとありがたいです。今年もどうかよろしくお願いいたします。

松山総合公園プレーパークは残念ながら1月からの継続は今の段階では難しくなっていますが、愛媛県下いろいろなところでプレーパーク活動を計画中です。遊び場通信26号も現在制作中です。今回は「不登校の子どもたちの現状と支援」というテーマで取材を行っています。

  • 1月から3月に7月豪雨復興支援のための出張プレーパークを実施します。開催場所は宇和島市吉田町、松山市中島(1/26,3/16)、松山市北条(立岩川)で計画中です。
  • 森のようちえん「みきゃんっ子」は引き続き毎週火曜日開催中。毎週金曜日にも森のようちえん「風の子」を実施します。
  • 遊び場通信26号は4月初めに5000部発行予定。現在、協賛企業と協賛団体を募集中です。
  • 2/23コムズで開催される生涯現役交流集会にて出張駄菓子屋を開催します。
  • 3/21松山市主催のイベント内で鹿島プレーパーク開催します。
  • 4月~11月、毎月「由良野の森プレーパーク」を開催予定。
  • 7月の久万高原キャンプと8月の中島キャンプを実施予定。

プレーパークや森のようちえんの開催のために、宇和島や西予市、西条市、新居浜市の行政関係の方や支援者、これから何か始めたい方や学生など、最近はいろいろな人にお会いする機会が増えてきました。

子どもが自然の中で思いっきり遊ぶ機会の大切さを理解しない人はおらず、ゲームやネットで遊ぶ子どもたちの未来を危惧する声を多く聞くようになりました。

かたや学生の中にはネットの中でのコミュニケーションでも人と関わることには変わらないのではないか、仕事をするのにネットやパソコンを知らずに雇ってくれる会社はないわけですからと。それでもリアルな人と人の関わりと同じものが、AIでは補えないのではないだろうかと見えない未来を妄想しつつ、若者たちと対話することが増えてきている自分も今だ暗中模索という感じであることは否めない。

ただ言えることは、とにかく現場に来てほしい!自然の中で遊ぶ子どもたちの姿を見てほしい。

アメリカの生物学者レイチェル・カーソンが「センス・オブ・ワンダー」の中で伝えたかったこと"「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。„机の前でパソコンとどれだけにらめっこしていても見えないものがあります。環境問題、社会問題など解決しなくてはいけない問題のヒントはやはり現場にあります。

五感を取り澄まし、青い空の清々しさ、波のリズムの心地よさ、凛とした山の空気。自然と共に人間が生きているという感覚。これは「頭」で考えるのではなくて「身体」で感じることしかできないのですから。

現場を大切に、一人ひとりとの対話を大切にして、今年も1歩1歩前に進んでいこうと思います。

ヤバイという言葉


地域の子どもの居場所事業をしていてずーと感じてきたことの一つに子どもたちの語彙が少なくなってきたということがあります。

スマホやYouTube、TikTok (ティックトック)等を見てゲラゲラ笑って個々で楽しむ子どもたちが増え、トランプや人生ゲームなどのリアルな遊びはあまりやっていないように思います。

もちろん外で遊ぶことも少なくなり、鬼ごっこやかくれんぼ、野球やサッカーといった仲間と共に協力して遊ぶことも少なくなっています。

先日、娘の学校で応募があった大阪経済大学の「17歳からのメッセージ」の2017年度金賞作品に面白いのがあったので紹介します。

ヤバイ日本語

ヤバイ。この言葉はヤバイ。現代日本に馴染みすぎていてヤバイ。それは使い勝手がヤバイからだろう。これはヤバイことだ。しかし、同時にヤバイ事態でもある。「ヤバイ」はヤバイからこそ、ヤバイのだーー。

何だこれ、と思うことだろう。全てをヤバイだけで表す文章の気持ち悪さったらない。しかし考えてみれば、この文章の感想すらも「ヤバイ文章だ」と言い表せる。これは凄いことだが、同時に危険でもある。

ヤバイ。この言葉は意味を持ちすぎた。カワイイとキモイのような相反する意味も併せ持つ。どんなに美しくても、醜くても、感動しても、恐怖しても「ヤバイ」の一言で全て片づく。なんて便利で、薄っぺらい言葉だろう。私たち若者はもちろん、大人も何かにつけてヤバイと言う。それでは駄目だ。表現が言葉を選んで行わなければ、さらにヤバイは意味を増やす。いい大人が何でもかんでも「ヤバイ」で済ませる未来など想像するだけでも恐ろしい。

一方で、外国人には嬉しい話だと思う。何せYA,BA,Iの3音を覚えるだけでそれなりの意味疎通が可能になるのだ。知らない土地へ赴く上で、これほど心強いものはないだろう。

ヤバイを辞書で引くと「危険・まずい」とある。最後はそんなヤバイを正しく使って締めよう。このままでは表現の厚みがなくなるので、日本語の未来がヤバイ。

地域の関わりが希薄となり、コミュニケーション力が低下している昨今。このまま「ヤバイ」の意味が増えていくと日本語が本当に危なくなるかもしれません。とにかくヤバイ!やっぱりヤバイ!

森のようちえん作りたい人必見です!

11月2日(金)~4日(日)に第14回森のようちえん全国交流フォーラム㏌とっとりが開催されます。

乳幼児対象の屋外保育を長年実践している全国のプロフェッショナルが勢ぞろいし、尚且つ「学校法人きのくに子どもの村学園」という新しい自由な学校の形を実践し成功している堀真一郎さんや、神奈川県川崎市でNPO法人フリースクールたまりばを開校当初から関わっている西野博之さんのお話も聞けるかもしれません。

それから北海道の旭山動物園の飼育員として動物園復活のキーマンとなり、のちに「あらしのよるに」の絵本を書いたあべ弘士さんの基調講演があったり、ワークショップをしている会場の外ではプレーパークや森のようちえんも実際に開催されています。

もうすでに申し込みが殺到し、3日間すべて参加という枠は埋まってしまいましたが、日帰りで参加というのも可能です。大山の紅葉を楽しみながら森のようちえんを知るというのもいいかもしれません。

※プレーパークは参加自由で無料だったり、11月3日に屋外で行われているお祭り広場では11時ごろから昼食も食べるお店が出ていたりします。全体的には申し込みが必要なものが多いので興味がある方はHPを確認してから参加してください。

第14回森のようちえん全国交流フォーラム2018受付状況と最新情報HP
開催要項

松山冒険遊び場からは代表の山本が3日間参加しますので、参加する方はぜひ連絡くださいね!

すべてのワークショップに行きたいのですが、今のところ森のようちえんと自由学校とキャンプを徳島で30年続けているトエックの伊勢達郎さん、保育界の風雲児、柴田愛子さんのお話も聞きたいし、それから高知県で平成31年から開校が決まっている学校法人日吉学園「森の小学校」とさ自由学校の運営スタッフによるワークショップも気になる。

でも一番勉強しないといけないのは、鳥取県と智頭町とNPOが連携しながら森のようちえんが運営されていく仕組みを作り、尚且つそれが全市に広まっていく流れを作った特定非営利活動法人智頭町森のようちえんまるたんぼの代表の西村早栄子さんのお話かなと思っています。

とにかく、屋外での保育、自然の中での保育、既存の教育システムではない自由な学校の形は今後どんどん求められていくと思いますので、興味のある方はぜひ足を運んでみてくださいね(^^)/

子どもの居場所事業の1年間を振り返る

胸にしみる空の輝き
今日も遠く眺め涙を流す
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
誰かに告げようか
※作詞サトウハチロウ、作曲加藤和彦「悲しくてやりきれない」より
地域の子どもと関わり始めて12年。関われば関わるほどモヤモヤは大きくなる。

子どもが地域で元気にのびのび遊びながら地域の大人に見守られながら育っていく姿を理想に掲げて活動はしてきたものの・・・

30年前・・・学校帰り、春は田んぼのカエルを追いかけて、夏はセミを捕まえて、秋は木の実を取って食べ、冬は北風がビュービュー吹いていても地域の空き地で野球に夢中!子どもは地域の人に見守られながら公園や空き地、田んぼや山などの自然の中で毎日地域の仲間たちと遊びこみ、お母さんが作る夕食の匂いに誘われながら家路につく。家では温かい家族の団欒が子どもたちの心を癒す。眠気に襲われながら宿題を済ませ、寝る前には絵本を読んでもらったりして親子の会話が絶えない場所が子どもたちには必要だと思ってきた。

だけど、子どもたちの育つ環境は全く変わってしまった。

共働きが増え、昼間母親が家にいるという家庭も少ないし、不審者などの問題から「かぎっ子」というのも今はもうできない。だから多くの子どもたちが学童クラブに入り、その中で過ごしている。3歳から保育園や幼稚園に入るのも当たり前となり、今では0歳から保育園で夕方6時や7時まで過ごすことも珍しくなくなってきている。

小学1年から3年の約3割が放課後、学童クラブで過ごしているのであれば、ぜひ少し外に出向き地域の空き地や公園、自然あふれる愛媛ならではの場所で遊ぶ活動を取り入れてほしいと願ってきた。

しかし、現状は予想以上に大変そうだ。味生地区の小学校の場合、40人から70人のクラスが5クラス。合計で200人以上が放課後を毎日一緒に過ごしている。指導員の数も足りないし、安全面も考えると屋外に出るのは難しいという話を聞いたことがある。実際そうした団体を地域で見たことはないし、運動場で遊ぶ姿もあまり見たことはないから主に室内で遊んでいるんだと思う。

学校帰りの寄り道、地域の山での虫取りなども安全を考えて基本やれなくなってきて、尚且つ子ども自身もそうした遊びへの魅力を感じることが少なくなってきている。誰もが一度はやってみたいと思う大人のいないところで作る秘密基地も経験したことのない子どもの方が今は多い。友達と遊ぶのにもLineなどでアポ取りが基本。それでもみんな忙しくて、仲の良い子同士が一緒に遊べる日が1週間に1日、それも16:00~17:00とか限定付きだったりする。

地域の人も不審者と間違えられることもあり子どもには声をかけない。子どもも関わりのない人にあいさつはしなくなった。その代わりに「見守り隊」という人が登下校時に当番制で立っていたりする。公園は不審者が多く出没するスポットとなり、子どものための児童公園だったはずが、今は地域の高齢者のためのゲートボール場としての街区公園という名前に代わってしまった。そんなゲートボールも少しずつ参加人口が減っているという。昼間、地域に人がいない。子どもが遊んでいても気に掛ける大人が少なくなっている。

私が住む松山市別府地区には山はあるし、ちょっと行けば海だってある。田んぼもあるし、空き地もある。でもそのすべてで子どもは遊ぶことはできなくなっている。イベント時だけ駐車スペースとなる場所ならば、少し前であれば、夕方時のみ子どもの遊び場として利用しても怒る大人はいなかったけど、今はどこでも遊ぶことはできなくなっている。だったらちょっと離れた松山総合公園だったり、海に遊びに行けばいいと思う人もいるかもしれないけど、校区外で遊ぶことは基本禁止されているから子どもだけで遠くに行くことはなくなった。不審者の不安から校区内に遊びに行くだけでも子どもを車で送迎する保護者もいる。

1年前から始めている「みんなのひろばわいわい」という地域の子どもたちの居場所でも子どもたちは大きな声をあげることは許されない。地域には高齢者や病気の人、夜勤明けの人など、生活スタイルもみんなまちまちだったりして、子どもの声がすぐ苦情になるからだ。

子どもが大騒ぎをすると如実に嫌な顔をする人に良く出会うようになった。大人も仕事の忙しさや人間関係の問題、家庭不和などいろいろなことでストレスを抱えている人が増えてきているように思う。

そして子どもたちもストレスをためて居場所にやってくる。暴言や暴力、嫌がらせや悪口の横行。そして最高の発散場所はゲームや馬鹿笑いができるYouTubeサイトの閲覧。昨年不祥事を起こした市議会議員を風刺したYouTubeサイトは大人気となっていた。政治不信は子ども時代からもう始まっている。

私が子どもを育て始めた平成3年から約27年間で、こんなに時代が変わってしまうとは思わなかった。

一人目の子どもを育てる時には、ゲーム機は高級品。携帯電話もスマホもない。夕方にはお母さんは井戸端会議で子どもは地域の友達と夕日が沈むのを見ながら遊んでいた。それから室内でも漫画を読んだり、アニメを見たり、レゴブロックやプラレールの組み立てを長男は飽きもせず1日没頭して遊ぶこともよくあった。

今は1歳ぐらいの子どもからもうすでにスマホをいじったりする。YouTubeで他の子どもがリカちゃん人形で遊ぶのをじっと見ていたり、レゴブロックで遊ぶのをじっとみていたりしながら1時間2時間という長い時間を過ごしている。人としゃべらず、バーチャルな世界で過ごす子どもたちが増えてきた。

とにかくどんどん人と関わることが少なくなっている。自然の中で遊ぶというのもバーチャルな世界のレベルがどんどん上がってきてゲームの中で満足している。だからいろいろな経験をすることも少なくなってきたし、失敗をしたり、泣いたり、笑ったり、怒ったり、一緒に感動したりといったリアルコミュニケーションがとても不足している子どもが増えてきた。

何となく子どもの育つ社会環境が変になっていると気づいている人は多いと思う。でも実際に現場で子どもと関わらないとその深刻さは見えてこないと感じてきた。子どもも大人も高齢者も人に干渉されることを嫌がる傾向はどんどんひどくなり、ある一定の仲間のみと関わり、基本ひとりでも生きられる世の中となってきた。だから目の前の子どもたちの状況よりも犯罪として報道される子どもの問題に関心事は向いてしまう。ノートに「おねがいゆるして」と書き残し、5歳で親に虐待を受けて死んでいった船戸結愛(ゆあ)ちゃんの事件はあまりにも衝撃的だった。こんな事件は絶対起きてほしくない。でもその予備軍はどの地域にも存在する。

日々地域の子どもたちと関わっていると日本の未来が心配になることが多い。「生きる力」が見えない子ども。勉強は基本みんな嫌い。でも優位には立ちたいし、一番にはなりたい。友達よりも成績は良くなりたい。常に競争している。負けたくない。仲のいい友達がいっぱいいる方が勝ち?マラソン大会の順位が友達より上がいい。服もかわいいのがいっぱいあるのがいい。いつも同じ服を着ている子やイマドキではないデザインは「ダサくて、キモくて、ウザイ」らしい。みんな自分が優位に立ちたい。だから駄菓子をおごる子も多かったりする。お金で友達ゲットという感覚もあるようだ。「愛はお金で買えると思う?」と質問すると大半の子は買えると答える。そんな日常会話の中で「愛はお金では買えない」という説を私が一生懸命しゃべりだすと「うざい」の一言。ま~とにかく気長にのんびり関わるしかないな~と思いながらのこの1年である。

でも気長に関わる中で未来への光もかすかに感じ始めている。

「みんなのひろばわいわい」は学校ではない。だから基本指導はしない。居場所を探している子どもたちを受け入れるシェルターの役割もあるし、駄菓子を食べながら学校のこと家のことをおしゃべりしてストレス発散するカフェの役割もあるし、日頃時間のない子どもたちが少しの時間でいいからお友達と遊びたいと思った時、仲間が見つかる場所だったりもする。小さな妹弟の面倒を見ないといけない子どもたちはココにこれば自分の時間が持てて、子守から少しだけ開放できる。それからその子守をしたい子にとっても最高の場所になる。子ども自身がコミュニティーをどんどん作り上げていくプロセスを私たちは見守っていくといった感じである。

子どもたちの口コミで多いときは50人、雨の日でも5人ぐらいは遊びに来る。

昨年度は6年生が学級崩壊状態ということもあり、その不安を表現する子がとても多くいた。話すといっても子どもは学校で起きたことを明確に話すことはなかなかできない。

良いことなのか、悪いことなのかがわからないために、暴言暴力は自己防衛である場合もあるし、穏やかな家庭で育っている子は、学校で起きていることが異常なのか、当たり前なのかも見えなくて、嫌なことをいう子と仲良くしなければいけないという良い子呪縛のようなものに苦しむ子もいる。まさしくスクールカーストのどの位置に自分を置くかで学校での過ごし方が変わる。現場で子どもと関わると学校に行かない選択もあるべきではないかとさえ思えてくる。(学校での暴力の低年齢化は文部科学省でも重く取り上げています。)

そんな中では暴言暴力はスクールカースト上位の絶対条件のようにも感じた。何度も駄菓子屋で出会い、たわいのない話をする中で彼女たちの心の内側が見えてくることがある。小学3年の子どもたちが私に対しひどい言葉を浴びせるようにいじってくるとき、「やめろよ!かわいそうだろ!」となぜか誰かがフォロを入れてくれる。学校では空気を読んで汚い言葉をあえていう彼女たちも、本当は温かい言葉で仲間と会話したいと思う内面が見え隠れする。

誰もが本当は「ありがとう」「大丈夫」「元気出して」など相手も思いやる言葉を使いたいし、友達からかけてもらいたいんだろうなと感じる。でもいうきっかけがないと言えなくて、一度その言葉を出すと次から何となく少しずつだけど思いやりの言葉で出てくるタイミングが増えてくるように思う。

そのきっかけはいろいろな人との関わりや、子ども同士の遊びの中でのけんかや言い合い、仲直りや泣き笑いからちょっとずつだけど生まれているように思う。女の子でも男の子でも言いたいことは言った方がいいと思っている。けんかになって絶交するけど、半年ぐらいたつとなぜかめっちゃいい仲間に変化する事例も何回か見てきたからだ。

「人は人の中で育つもの」AIではたぶん子どもは育たないと思っています。

地域の子どもたちの未来を考えたとき、「悲しくて悲しくてとてもやりきれない」と感じることはこれからもまだまだあると思う。私のできることは微々たるものですが、次の時代に向けての人材がどんどん育ってくれることを願うし、つながる何かを残せていけたらと思って居場所づくりを続けています。