平成27年12月に松山市立津田中学校で起きた体罰問題。あれから早1年になる。今はそんな問題があったことも忘れたかのように子どもたちは日々を過ごしているけど、あの事件は一人の人間の体罰だけの問題だったのか?
この地域で長年子どもたちと関わりながら活動してきて、子どもたちの様々な問題をまじかで見てきた私からすると、どうしてもそれだけで終わらせてはいけない問題なのではないかと思えてならなかった。火のないところに煙は立たないというけれど、先生以外の要因がまだあったのではないかと思っている。
学校や地域の雰囲気や空気感というのは大切で、なんとなくでも指導のための暴力が容認されている学校の場合は保護者は暴力も指導のためには仕方がないと容認する傾向性を感じてきた。絶対反対と思う保護者が多ければ、こうした問題が起きにくいということも言える。子どもたちも親に暴言や暴力を振るわれながら日々過ごしている場合は、先生のそうした態度に疑問もわかないだろう。かたや温かい愛情の中、健やかに育ってきた子どもたちには違和感しかないが、全体として違和感を持つ子のパーセンテージが少なければ改善策を求める保護者の考えは通らない。
この1年なんだかもやもやした気持ちを抱えながら子どもは同じ中学へ通い、私は以前と変わらずこの地域で生活を続けている。PTAに訴えるとか、学校に抗議するとかも考えながら結局行動には移せず、私は何を求めているのかという疑問を私に投げかけることしかできなかった。
教頭先生がこの問題に対し、「子ども達はなかったことにしたかった」という言葉を発したこと、それから学校側がこの問題の経過報告や今後の対応に対する見解を手紙として出すこともなく、ただ1年が流れたことに疑問を感じながらも、「今どきはどこの学校も先生が忙しくて、一つ一つの問題に真摯に対応できるほど余裕はない、だから仕方のないこと。」と割り切ろうとする自分。
問題を一つ一つ紐解きながら地域の人と相談しながら子どもの育つ社会環境を丁寧に改善していきたいと思ってはいるが、その作業が並大抵の仕事量でないこともわかってきた。長年置き去りにしてきた地域の問題を1年や2年でたやすく解決することはできないし、昔とはあまりに変わってしまった子ども社会のことを地域の指導者に理解してもらうことからして難しい。
昔だったら「何とかしなければ!」と後先考えず目の前の子どもたちのために動けた自分が、仕事量が見えるからできなくなってしまったことにも憤慨しながら今このブログを書いている。
4人の子どもを育てる中で20年間学校に関わってきたけれど、一番下の子どもが中学3年となり、こうした悩みは今年で最後になるんだと思う。でも学校に対する要望はこれからもずっと考えていくつもりでいる。もっと学ぶことが楽しくなる学校であってほしかったし、子どもの個性を理解できる教育方針に変わってほしかった。いじめも地域の大人を巻き込んで真剣に考えていきたかった。なかなか思うようにはいかなかったけど、あきらめないでこれからもできることをやっていこうと思う。
今までもずっと悩み続けながら進んできて、この活動をやめようかと思ったこともあったけど、前に進むと見えなかった風景が見えてきて、新しい扉が一枚開くことも経験した。出来ないと思っていたこともあきらめずに前に進むと可能になってくる実感をここ数年感じることができている。
反省ばかりの人生ではあるけれど、人との関わりを大切にして、学びを忘れずに、そしてつねに感謝の心を持ち続けながら今年も前に進もうと思う。