なかったことにする?!津田中問題のその後と私の考え

津田中の体罰事件から早1ヶ月以上が経とうとしている。
あの緊急保護者会から未だに1枚も手紙が来ないし、説明会もない。

ちょっとありえないと怒りすら感じる日々を送っている。

12月に開催した緊急保護者会の時には、詳しい状況は分かり次第連絡するということだったし、その時の緊急保護者会の議事録は全保護者に配布するという約束もしていたのに、約束は守られていない。

私自身もこの状態ではどうしても納得がいかないので、先日教頭先生に状況を聞きに行って来たのですが・・・結局私の疑問はますます膨れ上がるばかりだった。

①この体罰問題が傷害事件として警察により取り扱われている場合、今後裁判等も考えられるので、詳しい事は話せないという一貫した学校側の対応に疑問?
②それではなぜ緊急保護者会を開き、今後状況が分かり次第お知らせすると言ったのか?議事録を出すといったのか?という疑問???

こうした学校側の対応は、虚偽行為には当たらないのか?

子どもたちに嘘をつかずに誠実な対応を日々指導している立場の先生がなぜこうした問題が起こると大きな壁を作り、虚偽の仮面を被って保護者に対し防衛対策を取ろうとするのか?

地域と学校と行政はツナガって、みんなで子育てを応援していく社会を作る必要性を松山市の子育て施策にもちゃんと謳われているわけで、それなのに大きな壁を作ってしまっては何も解決しない。

学校は何を守っているのだろうか?

こうした状況下の学校の対応に関して、もしかしたら全国的なマニュアルがあって、それに応じて学校側は対応するように言われているのかもしれないが、だとすると最近よくニュースに流れている先生の不祥事事件を起こした学校側の対応として全てこうした対応がなされているというのか?

私としては腑に落ちなかった。

守るのは子どもたちの人権じゃないのか?

もうひとつ納得できないこと・・・

先生と話していて私が一番悔しかったことは、「子どもたちは静かな環境で勉強がしたいんです。中学3年生は受験が控えています。今回のことは早く忘れたいと思っている子どもが多いんです。」という言葉だった。

保護者の中にもそうした考えの人が多いことも踏まえ、先生が言われたことだと思うのですが、私の胸は張り裂けそうな憤りを感じずにはいられなかった。

被害を受けた子どども、そうでない子どもたちもみんな津田中の仲間じゃないのか?
みんなで一緒に切磋琢磨して日々学び、日々遊び、共に成長していく喜びを分かち合ってきた仲間ではないのか?

仲間が苦しんできているのに、どうして「忘れたい」なんて思えるのか?そのことが不思議だし、悲しかった。

何のために部活をやっているのか?
何のために地域の子どもたちと一緒の学びの場があるのか?
何のために地域の人と関わる行事をたくさん行ってきているのか?

それは成績が良い人が立派で、成績の悪い人がもう少し頑張れと格差を付ける競争社会を育てる為ではないはずだ!

みんなが協力しながら成長して、成績とか運動能力とかだけでなく、友達を思いやる気持ちがスゴイ子や、お友達のお話を丁寧に聞いてあげる能力がスゴイ子や、誰にでも笑顔で接してくれる天使の心を持つ子、宇宙の話、鳥の話、魚の釣り方、車の事、建物の不思議やドラえもんの凄さとかを話すのが大好きな子とか、子どもそれぞれが持っているスゴイところを認めあいながら、社会のことを知り、未来のことを考え、愛媛の未来を担う人材が育つために学んでいるのではないのか?

だったら、大切な仲間が苦しんでるんだから、みんなでどうしたらいいのか考えていくのが普通の事じゃないのか?

「他人なんて関係ない!自分さえよければいい!」という考えの子どもも親も増えていることは分かっている。

でも学校教育がその流れに乗ってしまっては、その先生を尊敬し真面目に教育を受けようとする子どもたちの心が路頭に迷ってしまう。

指導者は確実に光の見える未来に向かって子どもたちを導いていく使命があるから、指導者になっているのだと私は信じているから、私たちは子どもたちを学校へ行かせている。

安定した職業を求めて先生になる方もいるだろうけど、ただそれだけでなれる仕事ではないと思う。
たぶん使命を持って頑張っている先生の方が多いと思うし、問題のある先生は少ないと感じている。

だから決して悲観してこのブログを書いているわけではない。
ただ、今のこの状況が普通にならない事を願って書いているのです。


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