私の思い・・・地域活動を活性化させるには!?

地域活動が苦しい理由

地域の子どもたちが地域の人々に育まれながら、のびのびと遊ぶことができる社会環境を目指して活動しているけど、その大変さを8年間の地域との関わりで身に染みて感じてきた。

子ども会活動、PTA活動、町内会活動など、私自身は嫌いな方ではないタイプだと思うのですが、それでも参加することに精神的に苦しくなることがよくあった。

苦しくなる理由を私なりに分析してみると、

①恒例の行事実施は任意ではあるものの、強制的な空気がある

②自分がチャレンジしたいことができない、チャレンジしていい空気も感じない。

③お祭り好きではないので、「秋祭り」に参加するのが苦痛。

④今は子どもたちが外で遊ばないのではなく、遊べないということを説明しても理解してくれない住民(高齢者)がいて、すべて「親が悪い」とか「学校がしっかりしていない」という問題にすり替えてしまう。社会全体で考えましょうという意見に同意が得られない時代になったと思う。個人の問題が最優先で、社会全体の問題は、行政や政治の責任にしかがる傾向を感じてきた。

⑤活動してきて、地域で目立てば目立つほど大人社会の「いじめ」に苦しくなる時があった。出る杭は打たれると、昔から言われているので、しかたがない事ではあるが、地域の為に活動していても、それを必ずしもみんなが理解してくれるわけではなく、そのことが面白くない人たちが「陰口」で盛り上がり、直接私に怒鳴ってくる人は少ないものの、その空気感を地域でも感じることがある。

⑥だから、目立つことを誰もがやりたがらず、地域の優秀なリーダーが育っていない。そして、名誉職の為のリーダーと「やってあげてる感」炸裂のリーダーはもういらないと思うのに、なぜかそうした人がリーダーになる傾向が今もある。その下で働くのも結構大変(--〆)

地域が活性化しない理由

この苦しさが、地域の活動家(リーダー)が育たない要因になっていて、地域が活性化しない要因になっていると感じてきた。

①②③の問題に関しては、地域活動の主観が「社会を良くする」為なのか、「地域の伝統を守る」為なのかの問題ではないかと思っている。

これは両方同じように大切ではあるけれど、表裏の部分が大きい。伝統を守ることを優先すれば、新しい意見はなかなか通らず、地元以外の人を受け入れづらい空気が自ずと現れてくる。社会を良くしていくということは、今まで培った文化を解体する危険性も常に孕んでいる。でも、その表裏を共に受け入れながら、社会を良くする方向性をみんなでいがみ合わずに心を一つにして考えていく時が来ているのではないかと思っている。

④の問題は、高齢者と私たちとそれから今の子育て世代との育った社会環境が時代によってあまりにも違うことが問題を大きくしている。食べるものもない時代に育った世代にしてみれば、子どもの遊ぶ環境を問題視すること自体「ぜいたくな悩み」なのだ。だからどのように説明しても理解していただけない人はいると覚悟している。それでも地域の人の意見に耳を傾け、話を聞き、信頼関係が築ければ、少しだけでもお互いが寄り添える関係性ができると信じて活動している。

⑤⑥はどの地域にもあるし、企業にも、学校にもそれから娯楽番組、ネット上でもあることだけど、厄介な問題だと感じている。1人をターゲットにして、「陰口波及連鎖」はネット炎上と同じく、意見を同じくする仲間を増殖させることで盛り上がり、ストレス発散もしているから厄介なのだ。

これは、テレビの娯楽番組を見て何の悪気もなくゲラゲラ笑う日々の「日常」にも見えない波及加速効果の要因があると感じている。恐い思いをして泣いている人、痛い思いをして苦しんでいる人をゲラゲラ笑う。それでストレスを発散する。

私の場合でいえば、(これは想像ですが・・・)

「毎週毎週土曜日に1人で公園にいて変わってるよね、あの人。頭おかしいじゃないの。友達いないから1人で公園いってるんでしょ。あそこの家の子・・・でしょ。だから服臭いんだ・・・」

自分が言われていることを自分で想像するのはきついですが、おそらく、仲間内での情報を元に、ひとつ陰口が飛び出せば、連鎖であり得ないことも内容に含まれつつ飛び出すのが一般的な「いじめ」の始まりなわけです。

遊び場の子どもたちが日常的に1人の子どもをターゲットにした「いじめ」をなんの悪義もなく行う様子を見てきて、「いじめ」の真相が少しずつ見えてきました。その連鎖の始まりは、子どもが一番信頼している親との日常の中で培っていて、この社会現象は切実な所まで来ていると感じています。

そうした「陰口」を言いたくなくても、そのグループに属する限りは、その言葉に同調しないといけない、そしてそのグループから逃げると、今度は自分がターゲットになってしまう恐怖が始まる。

地域活動を活性化させるには

地域活動を活性化させるのであれば、この社会にはびこる「いじめ」波及連鎖をなんとかして断ち切り、励まし合って共生していける社会を目指さないといけないのですが、地域の関係が薄れ、家族の関係も薄れてきて、誰もが「いじめ」に遭うことを避けるために、個で生きることを選択し始めているから、これからの時代はもっともっとこの問題が切実になってくるように思います。

それでも、地域のひとりひとりと話し合い、悩み、一緒に行動してくれる人を増やしながら、子どもたちの未来のことを一緒に考えていきたい。私のできることはこれぐらいかもしれません。

でも、そうした考えの人が1人でも多く動き始めれば、事態は急変する可能性だってあります。というかその可能性を信じないと活動なんてできません!!

「子育て支援」でも「学校問題」でも「地域のこと」でも行政や他の人にゆだね過ぎず、動きはじめる人が増え、そして、次世代のリーダーが育たなければ変わらないと思っています。

国会でも、県会でも、市議会でも、議員さんは学校改革、子どもたちの社会環境のことなどいろいろと情報を持っていて、どうすればいいのかよく知っておられるけど、現場にはそれが反映されていないことが、まだまだ多いような気がします。

反映されない原因としては、そのことを市民一人一人に伝える立場の行政職員が忙しすぎるか、又は働いていない、又は市民に伝えその支援策を有効に地域に反映させる方法を知らない、又は3年しか同じ部署にいないのでスキルが未熟であることが考えられます。

国民の1人としてこうした問題を税金を増やし職員採用を増やすということで問題が解決できると思えないので、で、あるならば・・・市民が橋渡しをする。市民が動く。これしか手立てはないと思うのです。

国を守るとか、地域を守るという考え方が日本人全般で薄れてきているので、「なんで私が動かないといけないの~」と不満に思う人も多いでしょうけど、

でも、たぶん、もしこの状態が何も変わらず続いたら、日本にしろ、愛媛にしろ、松山にしろ、次なる時代はとんでもない時代が来るんじゃないかと私は想像してしまうのですが・・・(-_-;)

伝統文化はもちろん廃れ(人がいなくなるので)、ますますギスジスして気味の悪い犯罪が増え、警察官もこれ以上増やすことができず治安が悪くなる。それでも、資本主義の穏健に乗った人たちはますます裕福となり、格差が広がる。社会は富裕層の思いのまま。その反面、何もかも機械化が進み、仕事は減り、生活保護家庭はますます増え、鬱や自殺者も増え、その状態がピークになると、貧困層の怒りはピークとなり、暴動がおこる。また環境悪化はとどまることがなく、アレルギーの子どもがますます増加する。そして、グローバル化の波が緑豊かで日本一住みやすい街松山にもやってくるでしょう。異文化が大街道に広がり、謙虚で奥ゆかしい日本人の文化はおそらく歴史上の出来事となるのでしょう。これをよしとする人もいれば、ちょっとまった!と思う人もいると思います。

アメリカ映画に出てきそうな日本の未来予想図ですが、私自身は子どもたちの生きる社会がこうなってほしくないので活動しているわけです。

子育てして、家事して、共働きで働いて、子どもが大学行きたいって言えば、寝る暇もなく働いた上に、奨学金をいっぱい借りなきゃいけないから、老後だってどうなる事かと悩みながら、地域の為に頑張って、子どもをたくさん産んで社会貢献していても、なぜか子どもを産む数だけ家計は苦しくなって・・・(私のことですが(^_^;))

今でさえ大変なのに、これより悪くなるのは困る。子ども達にはせめてこの世に生れてきて良かったって思ってほしい。

地域活動って、「めんどい!」と思う人は多いかもしれませんが、ぜひぜひ1歩を踏み出してみませんか!出来る範囲で良いと思うので!一緒に活動して下さい(^O^)/

※松山総合公園のプレーパーク活動も今後はもっといろいろな人に関わってもらい、地域を活性化させるための活動に繋げていきたいと考えていますので、一緒に活動してもいいと思う人は連絡ください!


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください