ヤバイという言葉


地域の子どもの居場所事業をしていてずーと感じてきたことの一つに子どもたちの語彙が少なくなってきたということがあります。

スマホやYouTube、TikTok (ティックトック)等を見てゲラゲラ笑って個々で楽しむ子どもたちが増え、トランプや人生ゲームなどのリアルな遊びはあまりやっていないように思います。

もちろん外で遊ぶことも少なくなり、鬼ごっこやかくれんぼ、野球やサッカーといった仲間と共に協力して遊ぶことも少なくなっています。

先日、娘の学校で応募があった大阪経済大学の「17歳からのメッセージ」の2017年度金賞作品に面白いのがあったので紹介します。

ヤバイ日本語

ヤバイ。この言葉はヤバイ。現代日本に馴染みすぎていてヤバイ。それは使い勝手がヤバイからだろう。これはヤバイことだ。しかし、同時にヤバイ事態でもある。「ヤバイ」はヤバイからこそ、ヤバイのだーー。

何だこれ、と思うことだろう。全てをヤバイだけで表す文章の気持ち悪さったらない。しかし考えてみれば、この文章の感想すらも「ヤバイ文章だ」と言い表せる。これは凄いことだが、同時に危険でもある。

ヤバイ。この言葉は意味を持ちすぎた。カワイイとキモイのような相反する意味も併せ持つ。どんなに美しくても、醜くても、感動しても、恐怖しても「ヤバイ」の一言で全て片づく。なんて便利で、薄っぺらい言葉だろう。私たち若者はもちろん、大人も何かにつけてヤバイと言う。それでは駄目だ。表現が言葉を選んで行わなければ、さらにヤバイは意味を増やす。いい大人が何でもかんでも「ヤバイ」で済ませる未来など想像するだけでも恐ろしい。

一方で、外国人には嬉しい話だと思う。何せYA,BA,Iの3音を覚えるだけでそれなりの意味疎通が可能になるのだ。知らない土地へ赴く上で、これほど心強いものはないだろう。

ヤバイを辞書で引くと「危険・まずい」とある。最後はそんなヤバイを正しく使って締めよう。このままでは表現の厚みがなくなるので、日本語の未来がヤバイ。

地域の関わりが希薄となり、コミュニケーション力が低下している昨今。このまま「ヤバイ」の意味が増えていくと日本語が本当に危なくなるかもしれません。とにかくヤバイ!やっぱりヤバイ!

森のようちえん作りたい人必見です!

11月2日(金)~4日(日)に第14回森のようちえん全国交流フォーラム㏌とっとりが開催されます。

乳幼児対象の屋外保育を長年実践している全国のプロフェッショナルが勢ぞろいし、尚且つ「学校法人きのくに子どもの村学園」という新しい自由な学校の形を実践し成功している堀真一郎さんや、神奈川県川崎市でNPO法人フリースクールたまりばを開校当初から関わっている西野博之さんのお話も聞けるかもしれません。

それから北海道の旭山動物園の飼育員として動物園復活のキーマンとなり、のちに「あらしのよるに」の絵本を書いたあべ弘士さんの基調講演があったり、ワークショップをしている会場の外ではプレーパークや森のようちえんも実際に開催されています。

もうすでに申し込みが殺到し、3日間すべて参加という枠は埋まってしまいましたが、日帰りで参加というのも可能です。大山の紅葉を楽しみながら森のようちえんを知るというのもいいかもしれません。

※プレーパークは参加自由で無料だったり、11月3日に屋外で行われているお祭り広場では11時ごろから昼食も食べるお店が出ていたりします。全体的には申し込みが必要なものが多いので興味がある方はHPを確認してから参加してください。

第14回森のようちえん全国交流フォーラム2018受付状況と最新情報HP
開催要項

松山冒険遊び場からは代表の山本が3日間参加しますので、参加する方はぜひ連絡くださいね!

すべてのワークショップに行きたいのですが、今のところ森のようちえんと自由学校とキャンプを徳島で30年続けているトエックの伊勢達郎さん、保育界の風雲児、柴田愛子さんのお話も聞きたいし、それから高知県で平成31年から開校が決まっている学校法人日吉学園「森の小学校」とさ自由学校の運営スタッフによるワークショップも気になる。

でも一番勉強しないといけないのは、鳥取県と智頭町とNPOが連携しながら森のようちえんが運営されていく仕組みを作り、尚且つそれが全市に広まっていく流れを作った特定非営利活動法人智頭町森のようちえんまるたんぼの代表の西村早栄子さんのお話かなと思っています。

とにかく、屋外での保育、自然の中での保育、既存の教育システムではない自由な学校の形は今後どんどん求められていくと思いますので、興味のある方はぜひ足を運んでみてくださいね(^^)/

子どもの居場所事業の1年間を振り返る

胸にしみる空の輝き
今日も遠く眺め涙を流す
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
誰かに告げようか
※作詞サトウハチロウ、作曲加藤和彦「悲しくてやりきれない」より
地域の子どもと関わり始めて12年。関われば関わるほどモヤモヤは大きくなる。

子どもが地域で元気にのびのび遊びながら地域の大人に見守られながら育っていく姿を理想に掲げて活動はしてきたものの・・・

30年前・・・学校帰り、春は田んぼのカエルを追いかけて、夏はセミを捕まえて、秋は木の実を取って食べ、冬は北風がビュービュー吹いていても地域の空き地で野球に夢中!子どもは地域の人に見守られながら公園や空き地、田んぼや山などの自然の中で毎日地域の仲間たちと遊びこみ、お母さんが作る夕食の匂いに誘われながら家路につく。家では温かい家族の団欒が子どもたちの心を癒す。眠気に襲われながら宿題を済ませ、寝る前には絵本を読んでもらったりして親子の会話が絶えない場所が子どもたちには必要だと思ってきた。

だけど、子どもたちの育つ環境は全く変わってしまった。

共働きが増え、昼間母親が家にいるという家庭も少ないし、不審者などの問題から「かぎっ子」というのも今はもうできない。だから多くの子どもたちが学童クラブに入り、その中で過ごしている。3歳から保育園や幼稚園に入るのも当たり前となり、今では0歳から保育園で夕方6時や7時まで過ごすことも珍しくなくなってきている。

小学1年から3年の約3割が放課後、学童クラブで過ごしているのであれば、ぜひ少し外に出向き地域の空き地や公園、自然あふれる愛媛ならではの場所で遊ぶ活動を取り入れてほしいと願ってきた。

しかし、現状は予想以上に大変そうだ。味生地区の小学校の場合、40人から70人のクラスが5クラス。合計で200人以上が放課後を毎日一緒に過ごしている。指導員の数も足りないし、安全面も考えると屋外に出るのは難しいという話を聞いたことがある。実際そうした団体を地域で見たことはないし、運動場で遊ぶ姿もあまり見たことはないから主に室内で遊んでいるんだと思う。

学校帰りの寄り道、地域の山での虫取りなども安全を考えて基本やれなくなってきて、尚且つ子ども自身もそうした遊びへの魅力を感じることが少なくなってきている。誰もが一度はやってみたいと思う大人のいないところで作る秘密基地も経験したことのない子どもの方が今は多い。友達と遊ぶのにもLineなどでアポ取りが基本。それでもみんな忙しくて、仲の良い子同士が一緒に遊べる日が1週間に1日、それも16:00~17:00とか限定付きだったりする。

地域の人も不審者と間違えられることもあり子どもには声をかけない。子どもも関わりのない人にあいさつはしなくなった。その代わりに「見守り隊」という人が登下校時に当番制で立っていたりする。公園は不審者が多く出没するスポットとなり、子どものための児童公園だったはずが、今は地域の高齢者のためのゲートボール場としての街区公園という名前に代わってしまった。そんなゲートボールも少しずつ参加人口が減っているという。昼間、地域に人がいない。子どもが遊んでいても気に掛ける大人が少なくなっている。

私が住む松山市別府地区には山はあるし、ちょっと行けば海だってある。田んぼもあるし、空き地もある。でもそのすべてで子どもは遊ぶことはできなくなっている。イベント時だけ駐車スペースとなる場所ならば、少し前であれば、夕方時のみ子どもの遊び場として利用しても怒る大人はいなかったけど、今はどこでも遊ぶことはできなくなっている。だったらちょっと離れた松山総合公園だったり、海に遊びに行けばいいと思う人もいるかもしれないけど、校区外で遊ぶことは基本禁止されているから子どもだけで遠くに行くことはなくなった。不審者の不安から校区内に遊びに行くだけでも子どもを車で送迎する保護者もいる。

1年前から始めている「みんなのひろばわいわい」という地域の子どもたちの居場所でも子どもたちは大きな声をあげることは許されない。地域には高齢者や病気の人、夜勤明けの人など、生活スタイルもみんなまちまちだったりして、子どもの声がすぐ苦情になるからだ。

子どもが大騒ぎをすると如実に嫌な顔をする人に良く出会うようになった。大人も仕事の忙しさや人間関係の問題、家庭不和などいろいろなことでストレスを抱えている人が増えてきているように思う。

そして子どもたちもストレスをためて居場所にやってくる。暴言や暴力、嫌がらせや悪口の横行。そして最高の発散場所はゲームや馬鹿笑いができるYouTubeサイトの閲覧。昨年不祥事を起こした市議会議員を風刺したYouTubeサイトは大人気となっていた。政治不信は子ども時代からもう始まっている。

私が子どもを育て始めた平成3年から約27年間で、こんなに時代が変わってしまうとは思わなかった。

一人目の子どもを育てる時には、ゲーム機は高級品。携帯電話もスマホもない。夕方にはお母さんは井戸端会議で子どもは地域の友達と夕日が沈むのを見ながら遊んでいた。それから室内でも漫画を読んだり、アニメを見たり、レゴブロックやプラレールの組み立てを長男は飽きもせず1日没頭して遊ぶこともよくあった。

今は1歳ぐらいの子どもからもうすでにスマホをいじったりする。YouTubeで他の子どもがリカちゃん人形で遊ぶのをじっと見ていたり、レゴブロックで遊ぶのをじっとみていたりしながら1時間2時間という長い時間を過ごしている。人としゃべらず、バーチャルな世界で過ごす子どもたちが増えてきた。

とにかくどんどん人と関わることが少なくなっている。自然の中で遊ぶというのもバーチャルな世界のレベルがどんどん上がってきてゲームの中で満足している。だからいろいろな経験をすることも少なくなってきたし、失敗をしたり、泣いたり、笑ったり、怒ったり、一緒に感動したりといったリアルコミュニケーションがとても不足している子どもが増えてきた。

何となく子どもの育つ社会環境が変になっていると気づいている人は多いと思う。でも実際に現場で子どもと関わらないとその深刻さは見えてこないと感じてきた。子どもも大人も高齢者も人に干渉されることを嫌がる傾向はどんどんひどくなり、ある一定の仲間のみと関わり、基本ひとりでも生きられる世の中となってきた。だから目の前の子どもたちの状況よりも犯罪として報道される子どもの問題に関心事は向いてしまう。ノートに「おねがいゆるして」と書き残し、5歳で親に虐待を受けて死んでいった船戸結愛(ゆあ)ちゃんの事件はあまりにも衝撃的だった。こんな事件は絶対起きてほしくない。でもその予備軍はどの地域にも存在する。

日々地域の子どもたちと関わっていると日本の未来が心配になることが多い。「生きる力」が見えない子ども。勉強は基本みんな嫌い。でも優位には立ちたいし、一番にはなりたい。友達よりも成績は良くなりたい。常に競争している。負けたくない。仲のいい友達がいっぱいいる方が勝ち?マラソン大会の順位が友達より上がいい。服もかわいいのがいっぱいあるのがいい。いつも同じ服を着ている子やイマドキではないデザインは「ダサくて、キモくて、ウザイ」らしい。みんな自分が優位に立ちたい。だから駄菓子をおごる子も多かったりする。お金で友達ゲットという感覚もあるようだ。「愛はお金で買えると思う?」と質問すると大半の子は買えると答える。そんな日常会話の中で「愛はお金では買えない」という説を私が一生懸命しゃべりだすと「うざい」の一言。ま~とにかく気長にのんびり関わるしかないな~と思いながらのこの1年である。

でも気長に関わる中で未来への光もかすかに感じ始めている。

「みんなのひろばわいわい」は学校ではない。だから基本指導はしない。居場所を探している子どもたちを受け入れるシェルターの役割もあるし、駄菓子を食べながら学校のこと家のことをおしゃべりしてストレス発散するカフェの役割もあるし、日頃時間のない子どもたちが少しの時間でいいからお友達と遊びたいと思った時、仲間が見つかる場所だったりもする。小さな妹弟の面倒を見ないといけない子どもたちはココにこれば自分の時間が持てて、子守から少しだけ開放できる。それからその子守をしたい子にとっても最高の場所になる。子ども自身がコミュニティーをどんどん作り上げていくプロセスを私たちは見守っていくといった感じである。

子どもたちの口コミで多いときは50人、雨の日でも5人ぐらいは遊びに来る。

昨年度は6年生が学級崩壊状態ということもあり、その不安を表現する子がとても多くいた。話すといっても子どもは学校で起きたことを明確に話すことはなかなかできない。

良いことなのか、悪いことなのかがわからないために、暴言暴力は自己防衛である場合もあるし、穏やかな家庭で育っている子は、学校で起きていることが異常なのか、当たり前なのかも見えなくて、嫌なことをいう子と仲良くしなければいけないという良い子呪縛のようなものに苦しむ子もいる。まさしくスクールカーストのどの位置に自分を置くかで学校での過ごし方が変わる。現場で子どもと関わると学校に行かない選択もあるべきではないかとさえ思えてくる。(学校での暴力の低年齢化は文部科学省でも重く取り上げています。)

そんな中では暴言暴力はスクールカースト上位の絶対条件のようにも感じた。何度も駄菓子屋で出会い、たわいのない話をする中で彼女たちの心の内側が見えてくることがある。小学3年の子どもたちが私に対しひどい言葉を浴びせるようにいじってくるとき、「やめろよ!かわいそうだろ!」となぜか誰かがフォロを入れてくれる。学校では空気を読んで汚い言葉をあえていう彼女たちも、本当は温かい言葉で仲間と会話したいと思う内面が見え隠れする。

誰もが本当は「ありがとう」「大丈夫」「元気出して」など相手も思いやる言葉を使いたいし、友達からかけてもらいたいんだろうなと感じる。でもいうきっかけがないと言えなくて、一度その言葉を出すと次から何となく少しずつだけど思いやりの言葉で出てくるタイミングが増えてくるように思う。

そのきっかけはいろいろな人との関わりや、子ども同士の遊びの中でのけんかや言い合い、仲直りや泣き笑いからちょっとずつだけど生まれているように思う。女の子でも男の子でも言いたいことは言った方がいいと思っている。けんかになって絶交するけど、半年ぐらいたつとなぜかめっちゃいい仲間に変化する事例も何回か見てきたからだ。

「人は人の中で育つもの」AIではたぶん子どもは育たないと思っています。

地域の子どもたちの未来を考えたとき、「悲しくて悲しくてとてもやりきれない」と感じることはこれからもまだまだあると思う。私のできることは微々たるものですが、次の時代に向けての人材がどんどん育ってくれることを願うし、つながる何かを残せていけたらと思って居場所づくりを続けています。

母親の背中

昔と違って便利な社会に生きてはいるけれど母親はなんだか忙しくなっているような気がします。

子育てをして、仕事をして、介護して・・・。学校の送迎や、児童クラブや塾の送迎。何をするにもお金が必要で、大学へ行きたいと言われればどれだけ働いたとしても子どもの学費と生活費を稼ぐこともままならない時代。

子どもが増えるごとにその負担は増えていく。だからお母さんはみんな必死に働いている。その上、子供会や町内会などの行事も松山市はとても多い。どこまでやるのかは任意ではあるけれど、地域によっては強制的なところもあるのでそうなるとますます負担は大きくなる。

こういう問題がこれからの人生を悩んでいる女性にとっては、結婚や出産のハードルを上げる要因にもなっています。

そんなお母さん業ですが、子どもの健やかな成長をエネルギー源として頑張るお母さんも増えています。「子どものためならどんなことでも乗り越えられる!」「子どもがいるから頑張れる!」そんなエネルギーも子育てという仕事には付随しているんだと感じています。

先日開催した、アントニオ・カマケのライブを企画してくれた、かっちゃんも子育て中のお母さんだし、13日にライブをする前田絵麻さんも4人の子どものお母さんです。そして私自身も4人の子どもを育てるエネルギーを原動力としてこうした活動を続けています。

最近お世話になっている由良野の森の鷲野さんも子どもを育てながらご主人と自然保護活動に奮闘しているし、今回市議会選挙で当選した女性の中にもいます。それからNPO活動を続けている人の中にも子育て中のお母さんはとても多いと感じています。

こうした女性の共通点はポジティブで、笑顔で、いつもみんなに元気をあげているということ。話をしても傾聴力もあるけど、自分の意見もちゃんと持っている。対話力、討論力も活動の中から身に着けていて、関わる人にも良い影響を与えていると感じています。

家庭の中ではどうしても子どもと関わる時間は少なくなると思うけど、子どもと日々一緒にいることが必ずしも子どもにとってプラスになるとは限らないとも思っています。小さい時期は母親の愛を子どもはとても求めるので大事にしてほしいですが、ある程度大きくなった子どもにとっては母親の背中も自分の未来の羅針盤となります。

未来が見えないこれからの時代を生き抜く子どもたちにとってはとても大きな存在が母親の背中ではないかと思ってます。

とはいうものの、やはり子育ては常に迷走しながらとなるのは事実なわけですが、それでも自分のやりたいことがあってチャレンジしている姿は子どもにとって少なからず影響があるものだと感じています。

※写真は平成30年4月30日にワカメ取りをした北条の干潮時の海の様子です。

3月24日と25日のプレーパークの様子です。

3月24日(土)と25日(日)の松山総合公園プレーパークの様子です。

24日は小学校へ行く前の子どもたちの参加が多く、なぜかこの日はチョークを削って遊ぶことがブームに?!
25日は高学年もたくさん参加していたので、秘密基地づくりが始まり、戦いごっこも楽しんでいました。

自然の中でのびのびと遊ぶ子どもたちの姿はいつ見ても元気が出る。

小さな子が必死にお兄ちゃんの後をついて走り、戦いごっこに参戦し、面白い遊びを見つけるとみんなでまねをする。そして初めて出会った異年齢の子どもたちがいつの間にか群れて遊びだす。なんか不思議な光景だけど、昔はどこでも見ることができた光景のはずなのに。

これをイベントにしたくない!それが私の考えです。できればどの地域にもこうした姿が残ってほしい。当たり前になってほしい。だから常設のプレーパークをまず松山に作る。これが私の願いです。プレーパークが一番とは思わない。でも他にどんな手段があるのか?もしあるのであればゆっくりじっくり話し合いたい。

5年後の松山をイメージして!
10年度の日本を考えながら!
行政に頼るだけではことは前に進まない!
いま私たちができることを1歩1歩!

寒くても元気いっぱい!森のようちえんの子どもたち

今日も最高気温5度の中、子どもたちと森へ出かけました。最初からハイテンションで走って走っていっぱいおしゃべりして、鳥や花や落ち葉や枝で遊びました。考古館の前の広場でカラスを見つけると、みんなでそっとそっと近づいてみたり、水辺に浮かぶ鴨さんのことをお話ししたり、草食恐竜と肉食恐竜と悪い恐竜と良い恐竜がいるらしいことをみんなで語ってみたりと、見ていても飽きないほど子どもの好奇心は旺盛です。

でも、ちょっと寒くなってくると、みんなで「雲さん、太陽さんを隠さないで!!」と自然に訴えてみたり。なんだか子どもも自然もすごいと思います。大人になるとそうした本能のままに行動して自然と向き合うことが少なくなるけど、子どもは必死に向き合っている。

それから今起きていることに悔しくて泣いたり怒ったり笑ったりもすごくいっぱいします。けんかしても気が付けば仲直りして意気投合して遊ぶ、でもまた物の取り合いも始まって、うまく仲良く遊ぶためのことをいろいろ考えるけど涙が止まらない。こうした経験を子ども時代にいっぱいするのがいいんだろうな~と実感しながら見守っております。

2歳から40歳ぐらいまでの人間の成長過程をいろいろな形で見てきたけれど、喜怒哀楽を表現しながら仲間との遊びこみを子ども時代にしっかり経験している子どもは強いと思います。子ども時代にすでに親の顔色を見て嫌だと思うことも誰にも言わずに我慢して良い子のふりを演じ続ける子どもたちをよく見かけるようになりました。そうした子どもは知らない間にストレスをためていきます。バランスの良い発散方法がわからずうつの症状を発症したり、人との接触を避けだしたり、暴力的な行動で爆発することもあります。でも、いろいろな経験を積み重ねてきた子どもは、そのストレスの内容を自分で把握し、発散方法も状況に応じて使い分けることもできます。いろいろな人との関わりを子ども時代にいっぱい知ることで、人間にもいろいろな人がいていろいろな考えがあって、問題を解決するためには話し合いを持ちながらお互いが歩み寄っていかなければいけない。そんな感覚が磨かれるんじゃないかと思います。

一人一人の子どもの成長の長いスパンを見つめながら、今できる私たちの関わりをこれからも模索しながら活動していこうと思います。

「遊ぶ」をテーマにしたNHKの番組を紹介します!

「遊ぶ」をテーマにしたNHKの番組に3日連続で日本冒険遊び場づくり協会の関戸博樹さんが出 演します。
関心ある方は、ぜひ、ご覧ください。
■「4時も!シブ5時」
NHK総合 11月2日(木)16:00~16:50(カビラちゃんねる)
翌日放送の「くうねるあそぶ」の番宣を兼ねて、プレイワーカーの 仕事に密着取材してもらいました。生出演もありでドキドキです。
NHK総合 11月3日(金)9:00~9:49
松岡修三さんや外遊びの悩みを持つ親子へのアドバイザーとして出 演予定です。
本放送:Eテレ 11月4日(土)21:30~21:54
再放送:Eテレ 11月11日(土)12:00~12:24
ゲームっ子と遊び場でやりとり、果たしてゲームっ子はゲームを触 るのか?というVTRとスタジオで尾木ママや保護者の方とお話し ます。

トエック3泊4日のフリースクールセミナーに行ってきました。


徳島県阿南市内の田んぼと畑の中にある「幼児フリースクール(幼児部)」と「自由な学校(小学部)」の子どもたちを見て、そしてその場を作るということがどういうことなのか深く深く学んできました。

自然や人とのふれあいを通し、誰もがのびやかに自分になってゆく「育ちあう場づくり」をサポートしています。
生命や場の流れ(プロセス)のもつ健やかさを信頼し、暖かい関心のもと「今ここ」の自分にも、他人にも耳をすませ、互いに心を開いてゆくことにより誰もが各々のやり方で自らを成長させ、適応する力をもつと考えます。

TOEC幼児フリースクールの母体である、自然スクールTOEC(Tokushima Outdoor activity Education Centerの略)は、田んぼと畑の中で子どもも大人もスタッフも共に育ち合う場所として、1985年に誕生しました。

人は受容され、共感された時、誰もが成長し、適応する力、自ら問題を解決していく力が内在しているという、カウンセリングの理念に基づいたキャンプやフリースクールを展開。指示や禁止・アドバイスやほめたり・しかったりでコントロールするのではなく、その人本来の主体性を発揮し、健やかに「自分を生きる」ことができるように援助している。※トエックHPより

この理念を本当に実践している現場に感動しまくりの3泊4日でした。

古いプレハブの建物の中では毎日かつおで出汁を取り、無農薬の畑で取った野菜を食べ、午前11時ごろにはお腹が「ぐっ!」となるぐらい美味しい香りが広場いっぱいに漂っている。子どもたちは自分たちで考えた遊びを私たちが想像する以上の発想力でそれぞれが展開している。
 何をやっても遊び込み方が半端じゃない!
日頃「めんどい」「疲れた」という言葉の中で子どもと関わっていると、そんな「やらされた感」の全くない子どもたちを見るだけで私は涙が出てきた。

地域の子どもたちにもこうした遊びを思いっきりさせてあげたい。「勉強が嫌い」と訴えてくる子どもたちを日々見ていると、「そんな嫌いなものはやめて自分がやりたいことにチャレンジしてみようよ!」と本当は言いたい。嫌いなことはどんなに頑張っても伸びない。好きなことは自然と知識を深めていく。自分が苦手だと思うことも、仲間と共に遊びを通じて考える中で、必要性を能動的な行動から感じ取ったならば、それは自らが進む道を自らが選択したということになる。だからそういう体験をしている子は強い。

そのことを実践しているのがトエックなのだと思う。
そしてトエックの一番スゴイところはスタッフが素晴らしすぎるところ。愛があふれている。これはココでは表現できないと思うけど、みんな素直に一生懸命で、それでいて参加者の心を必死で理解し、最高のセミナーにするべく準備をしてくれていた。

朝、昼、晩の手作りの食事もとっても美味しくてヘルシー。この活動を支える人たちの心の内にはみんな熱いものがあって、その熱い気持ちがこうした行動を生み出すのだろうと推察する。そして代表の伊勢達郎さんは一番幸せそうで一番楽しそうだった。それがまた私たちを幸せなマインドに導いてくれているような気がした。

今回実践したことは私の中では最高の宝となり、一緒に過ごした21人の仲間も大切な友となりました。南は沖縄から北は北海道までと、タイの友達も1人できました。

また今日から頑張ります(^^)/

愛南びやびやかつお いただきました(^^)/

昨日は愛南町城辺にあるこぶたたんぽぽポケットとんぼの代表 増田さんに会いに行ってきました。今回の目的は「外遊びが大切なワケ!」ということで、遊び場通信25号に載せる記事を作りに、「海もきれいで山の幸も豊かな愛媛県最南端の愛南町でもやっぱり子どもは遊んでいないのか?」を調査をするために行ってきました。
 でもせっかくなので、愛南ブランドの「びやびやかつお」を食べに、深浦港にある市場食堂で昼食をいただきました!
⇓この旗が上がった時はびやびやかつおが食べれます!

12時過ぎに市場食堂に着いたときは旗は上がっておらず、その10分ぐらい後に旗が上がり、食べることができました(^^)/新鮮でまるでお肉のように美味しくて、最高に幸せなお昼ご飯でいた!
写真は取れず残念!お腹がすいていたので写真撮る前に食べちゃいました”(-“”-)”

港にはかつおがいっぱい上がってました。

本題ですが・・・

今回は平成2年12月から愛南町の子育て支援を続けている増田さんとスタッフとそこに通うお母さん(30代)お二人にお話を聞くことが出きました。

お母さんも地元出身の方と、宇和島の吉田町出身の方なので、子ども時代の遊びがダイナミックでした!毎日友達と山の中で葉っぱや虫など自然の中で遊び、海でも遊び込んでいました。もちろんライフジャケットはなく、保護者が一人見守る程度で問題なく日々過ごしていたそうです。ただ、愛南町の中でも町とよばれる城辺当たりの子はあまり自然の中では遊んでいなかったのではないかという意見がありました。ゲームも与えられずスーパーも何にもない山の中の子、街から遠い半島に住む子は、自然しかないから自然で遊ぶのが普通だったようです。

その時代でも、エアコンの効いた児童館のような場所があればきっと遊びに行っていあんじゃないか~という感じでした。

愛南町の公園はボール遊びもできるし、公園もいっぱいあって、遊具も充実しています。だから乳幼児を遊ばせるところには困ったことはない。待機児童もいないので、0歳児でも預かってもらえる。民生委員は管轄する地域の親子の状態をほぼすべて把握していて、引きこもりや虐待、不登校などの問題を抱えた家庭の子どもをスムーズに支援するシステムもできているようでした。子どもが育つには最高のシチュエーションが愛南にはあるようでした。

でもいつ頃からなのか愛南町でも子どもは自然の中で遊ばなくなり、塾通いをする子も増え、少子高齢化も拍車をかけているのかもしれませんが、子どもの姿を見る機会は少なくなっているようでした。

子ども時代に思いっきり外遊びをしてきた面々との話し合いはとても活気あふれるものでした。女の子でもカワハギの皮をむいて遊んだとか、中学生ぐらいになると港に泊まっているいかだからみんなで飛び込んで遊んだとか、今の子どもたちがしたことのない遊びの連発!遊んだ思い出を語るときの大人の瞳も輝いてました!この内容はもう少しまとめて遊び場通信25号に掲載しますので、もうしばらくお待ちください!

話は変わりますが、ちょっとショックなことがありました。愛南町の山の中を見ると今までにないものがどんどん出来上がっていました。


↑国体で女子のサッカー会場となる場所の前の山に太陽光パネルができていました。こんなものが山のいたるところにどんどんでき始めているそうです(-_-;)内海辺りには風車も立っていて、景観がどんどん変わってきていることに住民の半分ぐらいが反対をしているのですが、なかなかこの現象は収まらない状態のようでした。自然を破壊し、果たしてこの状態が良いことなのか?第2次世界大戦後、木材の高騰により、多くの森林が伐採され成長の早い杉やヒノキに変わっていきました。でも今は外国の木材が安いので、林業は衰退し、収益事業に繋がらす、放置林が増えています。

太陽光発電の未来は明るいのでしょうか?太陽光パネルの寿命は?大量のパネルを廃棄する時、愛媛の海を汚すことはないのか?食のこと、子育て支援のこと、環境のこと、いろいろ考える旅でした。

キャンプに求めるもの

子どもが親元を離れ、生活するキャンプに保護者は何を求めているのでしょうか?親離れ、自然体験、コミュニケーション能力の向上、サバイバル的感覚など親の思いは様々だと思います。

面河渓五色河原にて

子どもの育つ今の社会

社会全体を見ると、子どもの育つ環境は大きく変化しています。昔だったら子どもはみんな夏の暑さに負けず外で汗を流しながら遊び、水遊びをする子どもたちの姿はどの町でも見かけることができました。学校が終わった後、子どもたちだけで海や川で遊ぶことも普通に行われていました。セミを捕まえたり、魚を捕まえたりしながら自然の中で遊ぶことは普通の時代でした。紫外線防止のための日焼け止めクリームを塗る子どもはいなくて、反対に夏休み終了後には外で思いっきり遊んだ子どもが「黒んぼ大賞」ということで表彰される学校もありました。

リアルな社会が当たり前にあった昔に比べ、今の子どもたちは現実社会から離れてインターネットの動画を楽しんだり、ゲームで遊ぶことが多くなり、友達を作るのも、野菜を作るのも、動物を育てるのもゲームの世界で満足感を感じるようになりました。エアコンの効いた部屋で一日過ごし、四季の移り変わりはネットやテレビから情報を得て、地球が温暖化になったり、気候が変化していることも学校の中で学んでいます。

実体験を伴わない学びに疑問を感じながらも、「子どもはなんとか育っていく。」と信じるしかない保護者は多いのだろうと思います。日常の生活に必死で子どもの育つ社会環境に深く疑問を抱く余裕がないという保護者も増えていると感じています。

私たちが開催する今年で3年目のキャンプはこうした社会の変化に伴う、子どもの育ちに疑問と不安を感じたところから始まっています。

リアルとバーチャルのバランス

本来であれば、毎日子どもが放課後に生活している学童クラブや地域の公園や空き地などで、こうしたリアルな実体験ができることが理想だと感じてきました。しかし、保護者自身、自然体験をあまりしていなかったり、塾やスポーツクラブなどに通わせることが一般化しているため、自然の中での遊びのリスクを子どもだけではクリアできない時代になってきことも受け止める必要があります。

これからの社会を生きていく子どもたちに「ゲームやインターネットを持たずに生きていきなさい!」というのはほぼ不可能です。リアルな世界とバーチャルな世界をバランスよく子どもたちに提供し、子どもの能動的な行動を促しつつ、現実世界の厳しさも学ぶ機会を与えていく。これは大人が考えて動いていかなければなかなか実現しない時代となってきました。

乳幼児期からスマホで遊ぶ時代となり、ますます子ども社会は混沌としています。

だからあえて思いっきりリアルな世界を子どもたちに体験してもらいたいと思いこのキャンプは企画しています。ご飯を作るのも火を起こして野菜を切って作ります。遊ぶのも地域の自然。虫もいるし、川も海も日々変化もします。子どもたちにとっては「めんどい」の連続だと思います。でもこうしたリアルな世界を体験すると「めんどい」けどその分楽しいということも体感します。

離れていても熱かった(^-^;

「楽しい」という感覚

「楽しい」とか「楽しくない」という基準はどこから来るんだろうと考えたことはありますか。子どもたちが楽しいイベントとして必ず上げるのが「東京ディズニーランド」のような遊園地です。遊びはお金を払って購入するという感覚はもう社会の中で一般化しています。「癒し」のために旅行やレストランでの食事。私もたまにはゆっくり美味しいものが食べたいと思っていますので、誰もが持っている感覚なのだと思います。ただ、対価に対して満足度が達していない場合は「楽しくなかった」ということになります。帰りの高速道路での渋滞や帰宅度の疲労感から家でゆっくりしている方が楽だと感じれば「楽しくない」となるのかもしれません。

それでは子どもの育ちに対する満足度はどう考えればいいと思いますか?例えば「保育園」や「幼稚園」。毎日子どもが楽しく通うことが保護者にとっての満足度100%となるのでしょか?英語やサッカーなどの習い事が多いことが満足度に繋がるのでしょうか?

子どもたちが保育をうけたり学校へ行くのは、社会の担い手となる人材を育てるためです。基本的には子どもが「楽しい」とか保護者のニーズに合ったものとはイコールにはなりにくいのだと思います。例えば食事。日本の昔からのご飯と漬物、魚などは保育園などでは食べたがらない子どもも増えていると聞きます。ハンバーグやゼリー、ふりかけのかかったご飯を子どもは好んで食べますが、それがこれからの子どもたちの体を育てるための栄養素として満足なものなのかは疑問が残ります。

また、希薄化した社会の中で、多くの保護者は地域との関わりを避けたいという傾向があります。でも、保育園や学校は基本地域との連携で運営されており、子どもたちは地域の中で育まれながら育つ必要があるわけで、保護者の思いとはずれが出てきています。

では、どうすればこのずれを修正して、子どもも楽しくて保護者にとっても満足のいく学校や保育園になっていくのでしょうか?

これは難しい問題ではありますが、ただいえるのは子どもも人と人の中で育ち、こうした問題も人と人の中で解決するしかないということです。国が待機児童解消としての予算を投入しても問題は解決できていないように、こうした問題は行政任せにしない方が得策ではないかと感じてきました。

多くの保育士や保育士経験者、学校の先生は食育のこともよくわかっているし、外遊びの大切さも学んでいます。子どもの発達段階ごとの関わりは年齢では読み取れない部分もあり、そうしたきめ細やかな支援をできる保育士や学校の先生はたくさんおられると感じてきました。ただ、保護者とのコミュニケーションがどんどん希薄になっています。モンスターペアレント的保護者や地域住民も増えたことも原因となるのかもしれません。

それでも地域の人と保護者と先生がコミュニケーションをとり、子ども達のことを一番に考えて話し合えば問題はゆっくりかもしれませんが解決できるのではないかと思っています。

人としてどう人と接することがいいのか。人間はみんな考えも、悩みも、好きなもの違います。元気な子もいれば落ち着いている子もいます。記憶力の悪い子もいれば、なんでもすぐ記憶できる能力を持つ子もいます。好奇心旺盛で、悪気はないけど人に迷惑をかけやすい子もいます。みんなそれなりに自分らしく生きています。違いを認めて、自分の意見を話して、仲間の話にも共感できる人間として子どもたち個々の性格や家庭環境を踏まえたうえで私たち支援者は子どもと関わることが大切だと思っています。

自分の意見を分かってもらったり、自分がチャレンジしたことが他の子どもたちに認められたり、苦労した分「ありがとう」っていう言葉が返ってきたりする経験は「楽しい」という感覚とは違うかもしれませんが、その子の心に残るステキな思い出となっていきます。現実世界は大変なこと、子どもたちの言う「めんどい」ことが多いかもしれません。でも、自分のやりたいことや誰かのために頑張りたいという思いを形にしていくと大変さが「楽しい」という感覚に変わっていく時が来ます。必ず来ます。

キャンプでそこまで感じる子どもは出ないかもしれんせんが、できればみんなにとってステキな思い出となってもらえるようにスタッフ一同頑張っていきます(^^)/

久万高原サマーキャンプ2017 7月26日(水)~29日(土)
中島サマーキャンプ2017   8月23日(水)~26日(土)