- 10月1日の遊び場・・・「叱る」ということ①
- 遊び場から見えてきた子育てワンポイント「叱る」とうこと②
- 秋を感じる風が流れて~♬
- 外遊びの必要性と効果地域における外遊びの具体的な進め方
の調査報告 - 本の紹介:学問のすすめ
- 「プレイワーカー」をご存知ですか?
- 気仙沼冒険遊び場「あそびーばー」
(2011年10月1日のブログより)
穏やかな風が公園に流れ、雲の形を見ているだけであきない季節・・・。
今日もたくさんの子ども達が遊び場に来てくれた。
最近の変化としては小さな子ども達がお兄ちゃんお姉ちゃんと一緒に遊ぶことを本当に楽しんでいる感じがする。高学年の子も、小さい子ども達には意外に優しかったりする。
自然発生的に始まっていく、さまざまな遊びを眺め、子どもの好奇心のすごさにいつも感心させられている。
最近はこの遊び場を知って、わざわざ遠くから来てくれる人もいる。
地域の人も、「良いことしてるね~」と良く声も掛けてくれるようになった。有難いことだと思う。
でも、ちょっと気になることがある。
遊び場に来る子どもの中には、学校とか家とかでいろいろな悩みを持った子どもがいる。その事によってなのか、自分を理解してもらいたいからなのか、危ないことやいけないと言われる行動により自分を表現しようとする子どももいる。
本人も少し危ないとわかっているが、そのことを大人に頭ごなしに怒られると、ますます助長することがある。
大人の感覚で「悪い事」=「叱る」が、心の成長を始めた子ども達には納得いかないことがあるようである。
子どもの心に耳を傾けず、「悪い事」=「叱る」ばかりをしている大人しか周りにいない子どもは大人を信じなくなる。
「良い子」的に日常を生きることが好きな子どもはそんな問題はないが、想像以上の好奇心を胸一杯にいだき、そのことを「悪い」とか「良い」という一般的な基準で表現されたくないと考え、常に自分が未来の何かを築き上げていく第一人者的に思いをいだく「将来を切り開く大物」ほど、「叱り」どころが難しいのだと思う。
大人の「悪い」がその子にとっては「発明の第一歩」だったりする。
しかし、遊び場でそんな大物を見守っていると、案外「安全」には気を付けているし、仲間とのコミュニケーションも大事にする。
自分が将来大きなプロジェクトを成功させるために必要と思うことは、こちらがアドバイスすればすぐ取り入れる積極性もあるのだ。
つまり、そんな子どもには「叱る」ではなく、その子どもにとって「未来に向けての最善のアドバイス」的な声をかける方が、問題は解決しやすいように思う。
見た目は危ない事をしているように見えても、世の中を悪くしようとか、人を傷つけようとか、人の嫌がることをしたいだけという子どもはいない。
一つ一つの遊びが、次の何かに繋がっている。
とは言っても、子どもの性格、年齢、生活環境などにより、「叱る」ということに関しても、一概に「これが正しい!」という答えはない。
一人一人と日々これからも大切に関わっていこうと思う。
私には一人目の子どもを育てていた頃、親の言うことをきかせる為に、日々 喉が痛くなるまで叱っていた悲しい思い出がある。
娘がピアノをやりたいというので、高い授業料を払い習わせているのに、ピアノの宿題をやらない、やらないから上手くならない、上手くならないから私が怒る、怒るから娘はいつまでも泣き続ける。
そんな自分に腹が立ち、どうしていいのかわからない日々が続いた。
私自身、一人っ子で、子どもの頃に他の小さな子どもの面倒を見た経験はほとんどない。
だから、自分の子育ては毎日「育児書」とのにらめっこだった。
周りに教えてくれる先輩もいない。同年代のお母さんとの関わりは、表面的な付き合い以上には発展せず、「公園デビュー」も私には苦痛な作業でしかなかった。
そんな私が今、毎週土曜日、公園で地域の子どもたちと冒険遊び場を開催していることが不思議でもある。
しかし、そんな頼りない親でも4人の子どもを育てる過程で悩み、他の子どもたちを観察し、自分なりに勉強し、子どもたちに日々教えられてきた「育自」により今があるのだと思う。
だから私からしてみたら、子どもに教えることよりも、教えられることの方が多かったように思う。
しかし、そう思えるようになってきたのは3人目を産んだ三十代になってからである。
大人の方が子どもより長い間生きてるから「偉い」と考える人がいるが、私はそうは思わない。子どもと大人、対等に話し合う場があれば、環境問題だって、人権問題だって、社会情勢だって、真剣に考え、今までの観念にとらわれず、偏見なく意見を語れるのは子どもの方だと思う。
しかし多くの大人は子どもを「叱る」ことで躾するものと考えている。
確かに、危ないこと、人に迷惑をかけることを子どもはやってしまう。
しかし、それがどうして危ないのか、どうして迷惑になるのか、確実に伝えているのかが問題なのではないだろうか。
体の大きな大人の「叱る」とい行動は子どもにとって、とてつもない「恐怖心」となることを忘れてはならない。
だからといって優しく「叱る」方法を進めているのではない。
子どもといっても様々な性格の子どもがいるわけで、1回説明すれば素直に理解する子どももいれば、どんなに説明しても、「危ないこと」を理解できない子どももいる。
その時の状況にも影響するとは思うが、時には本当に叱ってあげないといけない時もある。
冒険遊び場には地域の様々な環境で育った異年齢の子どもたちが集まってくる。
その中で、プレーリーダーが子どもを叱るというのは本当に難しいことだと感じている。
危ないことをして叱っても、プレーリーダーとの信頼関係ができていなければ、その行動を助長することもある。でも、その子どもが小さい時から関わってきて、信頼関係を築いていれば、その子が中学、高校になっても本音で話し合える間柄でいられる。
これは、自分の子どもとの関わりでも同じことが言えるのではないだろうか。
つまり、「叱る」というその場だけの行動に見えるかもしれないが、それは人と人とのコミュニケーションであり、信頼を築く場でもあるということである。
美しいものに感動し、小さな虫や可愛いいお花の一つ一つに目を輝かせる感性豊かな子どもたち。
好奇心が旺盛で、大人の発想をはるかに超える想像力をもって遊ぶ子どもたちを前にして、共に感動を感じえる大人でいたいけれど、人工的な便利な世の中で暮らすことに慣れてしまった私たち大人は、子どものそうした感性に気づいてあげられないことが増えていくような気がする。
そして、あなたがどのように子どもと関わればいいのか頭を悩ませているのであれば、知識で子どもを理解しようとするよりも、自然の中で子どもと美しいものを美しいと感じ、小さな植物にも命があることに感動し、自分が子どもだった時の感性を蘇らせることができれば、きっと子どもが行なっていた理解不能的行動の本当の理由が見えてくるような気がする。
そうすれば、きっと「叱る」ことも少なくなっていくはずである。
台風十五号が過ぎ去り、遊び場もいきなり秋風を感じるようになりました。
なぜか、過ごしやすい季節になると子どもの遊びがダイナミックになっていくんです!
今までやったことのない発想で同じことに変化をおこすこともあるんです。
例えば木登り…。
普通は小学生高学年の、しかも相当木に登ることが大好きな子しか登らない木があるんだけど、今日は知らない間に低学年までもが登り始めていました。
でもそれには仕掛けがあったんです! その仕掛けを作ったのは小6の男の子…。
長年飯岡公園で遊んでいても、だれも思いつかなかった簡単な方法なんだけど…でもこれは内緒です。遊び場に来たらそっと真実教えます。
まあ~そんな感じで、豊かな発想の木の実が育つのが秋だったりするんです。
そして遊び場活動5年目の「ちょっといい話」…。
活動を始めた頃、まだ4年生で毎回のように遊び場に来てくれていた子が今では高校生になってるんですが、たまに遊び場に顔出してくれるんです。
今日はいろいろ事情があってひろさんが遊び場に行く予定になってたんだけど、少し時間が遅れて出発しようと思っていたら、その高校生がわざわざ我が家にひろさんを呼びに来てくれたんです。
「公園で子どもが待ってるぞ。」って!
それから、現在中学生で元遊び場常連の子に夕方道端であったら、「元気!!」って、声かけてくれて嬉しかった!
みんな元気そうでそれも嬉しかった。
小学生の頃はみんなやんちゃで、大変だったけど、今はホントに落ち着いてて、「やっぱりみんな大人の階段のぼってるんだよな~」とつくづく感じたりして・・・。
成長していく地域の子どもたちに声をかけられることがこれほどまでに元気をもらえることだとは最近まで気付かなかった。
それから、地域の中での信頼できる関わりは、さまざまなものを良い方向へ変革できるエネルギーがあるんだともイメージできるようになってきた。
これぞ「地域子育て力」なんだろうな~と思う。机上の話ではなく、現場の声を繋げることで、きっと、「地域子育て力」のある町が実現できるんじゃないかな~。
(平成23年度愛媛県「三浦保」愛基金の補助により実施した事業の報告)
概要と調査方法 | 【調査方法】松山市内のNPOや大学生、愛媛県子育て支援課、当団体のイベントの参加者、当団体に携わっている会員、SNS(Facebookやtwitter)、松山市味生地区の小学校にアンケート募集のチラシを配布し、インターネット上でアンケートに答えていただきました。 また、今までの遊び場活動から見えてきたこと、遊び場に関わる保護者やボランティアスタッフのご意見や、現役大学生とのワークショップ「子ども時代をどう生きるべきか」をテーマに話した内容等をまとめ、報告書を作成しました。【アンケート募集期間】平成23年11月19日~平成24年2月29日 【アンケート回答者数】178人(男性102人、女性76人) ※賛助会員になっておられる方で、この報告書をご希望の方は事務局までメールでお申し込み下さい。数に限りがありますのでお早めにお願いします。 |
成果物の内容 |
1. はじめに 今回の報告書の内容を遊び場通信15号に簡略して掲載しました。
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調査を終えて | 今回の調査で「子どもの頃に外遊びをすることが重要であると答えた人は、ほぼ100%でした。また、それはどうしてなのかという質問に対して80%以上の人が「コミュニケーション能力の向上」をあげています。
そして、「子どもたちが健全にのびのび育つ社会にする為に、今後一番に改善すべき点」については、「地域力の向上」「利己主義的な住民の増加によるモラルの低下の改善」を合わせて、約50%の人が地域力の向上を求めています。 この結果からもわかるように、子どもが地域の人に守られながら育っていく社会環境が今重要視されています。 そして、東日本大震災以降、地域の「絆」の大切さをたくさんの人が感じています。 子どもと大人の地域の絆をつなぎ、子どもがのびのびと育っていく社会環境を目指し、愛媛での冒険遊び場活動とその為のプレイワーカーの育成を今後は求めていこうと思います。 |
遊び場で子どもたちに「勉強楽しい!」と聞くと、ほとんどの子どもが「嫌い」と答える。
「好きではないけどやらないといけないから」とか「良い点取らないとお母さんに怒られる」、「100点取るとおこずかいもらえるから」という答えが返ってくる。
親の世代にもそうした考えの人は増えているような気がする。
では、なぜ勉強をするのだろうか?
この問いを子どもたちに投げかけると、「高校に行かなくちゃいけないから」とか「大学出て、良い会社に就職しないといけないから」という目の前の現実にしか目を向けていない。
でも、学問の本質はそんな狭義の問題を解決するだけのものではない。
しかし、今の日本の教育は、高校、大学に入学することに大きな力を注いでいることも事実である。
明治初期、慶應義塾大学の創始者である福沢諭吉が書いた「学問のすすめ」(斎藤孝の現代語訳版)の冒頭には、「学問をして物事を知っていれば豊かになり、しなければ貧しくなる」というふうに書いてある。
勉強するのに一番いい方法は、昔も今も活字を読むこと。
だから『学問のすすめ』は「読書のすすめ」とも言えるのかもしれない。
またこんなことも書かれている。
①ひどい政府は、愚かな民が作る。したがって、優れた政府にするには賢い民が必要である。人が賢明になる上で、「学問」は有効なツールである。特に、実社会で役に立つ学問が良い。
②独立の気概がない人間は、国を思う気持ちも弱い。国に頼る民が多数を占める場合、その国は一向に独立できないし、他の権威をかさに着て悪事をなすことも多い。独立心を養う上でも「学問」は有効である。
③信じることには偽りが多く、疑うことには真理が多い。自分の軸をもって判断し行動することが重要である。「学問」は、こういった判断力を養うのにも貢献する。
東日本大震災以降の政府の対応に、私自身憤りを感じてきた。
放射能汚染により日本全土が不安に揺らいでいるにもかかわらず、子どもに対する影響に対して「ただちに健康に影響はない」を強調する政府。実際に問題が子どもたちに出始めるのは、5年度以降になるのかもしれないが、その時ではもう遅い。
政治が不安定な今こそ、愚かな民にならぬよう、自分達で様々な情報を集め、判断する能力を身につけなければいけない。
そして考え判断する力を国民一人一人が培っていく必要性を感じている。
欧州では1960年代以降、プレイワーカー(プレーリーダー)は社会に位置づいた職業として、子どもの遊びの施策や子どもにやさしい都市づくりの推進のための重要な担い手となっている。
しかしながら日本においては児童館職員にあたる児童厚生員の雇用推進さえままならない状況であり、放課後子どもプランにおいてもそのような専門家の雇用等は配慮されていない。
子どもの遊びが成り立ちにくくなっている環境の改善や、子ども参画のファシリテートなどの技術も含めて、プレイワーカーの育成の体制づくりと雇用の促進への国をあげての支援が求められる。
また、子どもにとっての地域での日々の遊びは、生きることと繋がり、遊びは「情動」の世界でもある。
情動とは、「一時的で急激な感情。人間でいえば、喜び、悲しみ、怒り、恐怖、不安というような激しい感情の動きのことである。その語源に、『揺り動かす』とか『かき回す』という意味であるように、力動的(ダイナミック)なものなのである」(日本大百科全書より)とされている。
つまり、子どもにとっての遊びとは、気持ちが非常に揺れ動き、それゆえ生涯忘れえぬ実感を伴う体験の場となり、生きる力の根源を形成する世界なのだといえるのである。
このように、子どもの遊びが情動の世界であるからこそ、それを支える冒険遊び場のプレイワーカーにとって最も必要な資質は「情動の安定性」であり、自分に対する本質的な信頼(=自己受容)が重要となってくる。プレイワーカーには、遊び場にやってくる多様な子どもを受け入れることが求められる。したがって、プレイワーカー自身の情動が揺らいでしまっては、子どもを受け入れることは難しい状況になる。
それ以外にもプレイワーカーに求められる重要な資質として、好奇心が強いこと、臨機応変に対応できること、精神的にタフであること、ポジティブに考えられること、人間関係に適切な距離をはかれること等があげられる。
特に近年では、精神的に内向した子ども(大人も)、つまり問題を表面化させず抱え込むような子どもが増えてきているため、今まで以上にこれらの資質を備えたプレイワーカーが求められている。
日本冒険遊び場づくり協会HP参照
プレーパーク世田谷HP参照
日本各地のプレーパークが所属している全国冒険遊び場づくり協会が、震災後に被災地の一つである気仙沼にプレーパークを作りました。
仙台にある冒険遊び場「海岸公園冒険広場」は今回の被災によりすべてが津波に飲み込まれ、壊滅的な被害を受けました。
被災した三日後にやっとその海岸公園冒険遊び場でプレーリーダーをしていた根本さんから、安否の連絡が出来ました。
その時に日本冒険遊び場づくり協会の副代表で、長年、冒険遊び場に携わってきた天野秀昭さんに一番にお願いしたことが「早く子どもたちの為に遊び場をつくって欲しい!」というものでした。
津波の状況、福島第一原発事故による放射能被害の状況も皆目見えない状況の中で、一番辛い思いをした仲間の切実な願いを叶える形で「気仙沼冒険遊び場あそびーばー」はスタートしました。