遊び場通信13号 2010.11.22

                • 今年の夏は暑かった!
                • 遊び場で逃走中
                • 冒険遊び場の安全
                • 第5回冒険遊び場全国研究集会報告
                  東京の世田谷にある「羽根木プレーパーク」
                  羽根木プレーパークの歴史
                  横浜市の取り組み
                  遊びの持つ力 川崎子ども夢パーク
                  浦安プレーパークの会の取り組み
                  備前プレーパークの取り組み
                  始めて参加しての感想
                • 救え幼い命 児童虐待の現場から
今年の夏は暑かった

7月12日、松山では見たこともない大豪雨に襲われ、

味生小学校は休校にになり、宮前川も予想以上に水位が上がり、街中では道路にまで水があふれていました。

しかし、その後一週間ぐらい曇りと雨の天気が続いた後、暑さが本格的にやってきて、遊び場も今年の夏は毎回猛暑の中の開催となりました。

「こんなに暑かったら、家の中の涼しいところが一番?!」と思いきや、子ども達は時間になると少しずつやってきて、夕方近くになると、子どもで賑わう公園に変化していました。

暑くても、寒くても家の中では満足しない子、仲間と遊びたい子はいつの時代も変わらずいて、社会が変わっても子ども達の素直な心は変わらないと実感した夏でした。

遊び場で逃走中

フジテレビ系列で子ども達に大人気となっている「逃走中」を8月28日と29日に開催しました。ある程度の年齢の大人からすれば、テレビの中の逃走中は単なる鬼ごっこにしか見えない。

しかし、やりたいと言う子どもの声が本当に多く、今回子どもの夢を実現する形となりました。最初に遊び場なりのルールをセッティングしてスタッフ10人、参加者40人で一日目は開催。

二日目は前日の反省を踏まえ、子どもからのアイデアなどを取り入れて30人ぐらいの参加者で開催しました。
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【逃走中のルール】
①参加者10人(子ども)対ハンター3人(スタッフ)
②ハンターはサングラスを付ける(百円ショップで購入)
③制限時間は15分。ハンターが子ども全員捕まえたらハンターの勝ち。逃げ切れたら子どもの勝ち。
④ミッションを決め、それが達成できれば、ハンター放出はなくなる。
⑤審判を決め、ルールを守らない時の注意や、最終判定をする。
【反省】
①真夏のイベントなので15分毎に吸水が必要。でも、子ども達は、止まることなく走り続けていました。
②時間がちょっと長いのでは(15分大人が走るのは大変!)
③ミッションをもう少し考える必要あり。
④ハンターは走り抜ける体力が必要。
⑤隠れる場所があるともっと楽しい。
⑥最終的には子ども達同士でハンターと逃げる役を決め、ルールも変更しつつ、夕方まで遊んでいたので、「能動的行動」を導き出す、「内発的動機付け」としては、今回の任務は大成功!かな?

※次回子ども達の要望に応じて開催します。

冒険遊び場の安全

遊び場では木に登ることは禁止していない。そのかわり、登りたい子に手を貸すことはまずない。なぜなら、自力で登れる木は自力で降りることができるからである。

かなづちやのこぎりを使うときも、安全は見守るものの、作ってあげることはほとんどしていない。なぜなら、自分で作りたいものを自分で作りたいと思うから、道具の使い方を覚えようとするし、ケガしないように気をつけるようになるからである。ケガが怖かったり、作るのがめんどうというのなら作る必要はないと考える。

自分のやってみたいことにチャレンジする場合、どんなことにもリスクは必ず出てくるものである。でも、それを乗り越えるからこそ、その子は成長するのであって、それを大人が管理したり、手伝ってしまってはその子自身の成長には結びつかないし、そんな環境で育った子どもは危険予知能力が育たないことになる。

このことは大人だって同じである。愛媛マラソンに参加したいと思う人は、日頃から自発的に練習をして、ケガしないように安全面にも心がけ、苦しい練習にも黙々と挑戦するから、当日のゴールの瞬間が感動となるのである。

自発的にチャレンジしたい子どもの心に、私たち大人は内発的動機付けを行ない、いざ行うときには「頑張れ!絶対できる!あきらめるな!」という心で見守るだけでいいんだと思う。安全というのは基本的には遊んでいる子ども自身が遊びや日頃の日常生活の中で、自然と成長過程ごとに、経験により身につけていくものであって、大人が管理するものではないと考えている。

ただ、日頃から遊び場に来る子ども達はある程度危ないことが察知できているが、初めて来る子や、時々遊びにくる子ども達は安全面を考えることなく、ただ面白そうということだけで行動してしまう傾向にあるので、ケガのないようにこれからも見守りながら、遊び場活動を行っていこうと思っている。

全国の小中高生の不登校は17万4000人。ひきこもりの若者は約70万人といわれ、毎年のように増え続けている時代。「子どもの安全」を不審者問題や交通事情、公園での安全管理などの身体に及ぼす安全だけを考えていていいのだろうかと、最近考えることが多くなった。大人になり、さまざまな人生の逆境にだれもが陥いる時が来る。自分をコントロールできなくなる時が来るかもしれない。そんな時、力強く生きた子ども時代の経験と見守ってくれた大人の存在がきっと、心の支えになるのだと信じている。

第5回冒険遊び場全国研究集会報告

東京の世田谷にある 「羽根木プレーパーク」

週末は千人もの子どもたちが訪れる羽根木プレーパーク。
自然が残るこの公園には地域の子、幼稚園や学校の遠足、自主保育をしているサークルの親子など、見学した平日の午前中だけでも子どもの姿が途絶えることはなかった。
遊具は全て地域の人達の手作り。管理は常駐のプレーリーダーが朝晩点検して、子どもたちの安全を見守っていた。
そこには三十年の日本におけるプレーパークの歴史があった。

羽根木プレーパークの歴史

小学生と幼児のわが子が遊ぶようすに、「自分の頃とずいぶん違う」と感じた一組の夫妻がいました。この疑問が後に住民による手づくりの遊び場を生みだしたのです。1975年から78年まで住民が実践した冒険遊び場は、79年には国際児童年の記念事業として区が位置づけるまでになりました。

区の事業となったのちも運営は住民が責任をもって当たっています。それは、子どもが実際に育つのは『地域』の中でだからです。

そして現在、 羽根木・世田谷・駒沢はらっぱ・烏山の4つのプレーパーク事業を、「NPO法人プレーパークせたがや」が 世田谷区より委託を受け、有償のプレーリーダーと地域の世話人と地域の人達により運営されています。

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羽根木プレーパーク

横浜市の取り組み

横浜市は、市内の9団体と運営市民が02年に設立したNPO法人「横浜にプレイパークを創ろうネットワーク」(YPCネットワーク)の働きかけに応え、2006~2010年度の中期計画に「プレイパークの推進」を盛り込んだ。2010年度末までに18ヶ所を目標に掲げ、5カ年で1億3280万円の補助金をYPCに交付し、プレーリーダーの人件費などを支援してきた。

また計画に先立つ2004年には「横浜市プレイパーク運営支援要綱」を策定。活動団体を登録して覚書を結び、穴を掘ったり、火を使ったり、ウオータースライダーのような遊具を設置しやすくした。

同市内のプレーパークは18区のうち13区に14カ所を数えるまでになった。YPCのプレーリーダーで「全国一斉開催の日」の事務局も務める山田久美子さんは「5つの区にはまだないが、その地域、地域で運営する人を見つけるのが難しい。プレーパークのないところに出前をするなど種をまいて、やりたい、おもしろいと思ってくれる人を増やしたい」と話す。

現行の中期計画は今年度で終わるが、市放課後児童育成課の持田敏担当課長は「今後も小さな公園で試しにやってみて、すそ野を広げていくなど、多くの市民にプレーパークを知る機会を持ってもらいたい」と話す。

30年前、羽根木プレーパークで日本初のプレーリーダーになった天野秀昭さん(現・大正大教授)は「全国一斉開催の日」の実行委員の一人だ。天野さんは今の子どもたちの「生きている実感の希薄さ」を危惧する。「ゲームなど消費される遊びばかりで、子ども自身が生み出す遊びがない。大人がさせたいことではなく、子どもがやってみたいと思うこと、子どもが主役になる遊びが損なわれているから。大人の期待に応えるようにばかり生きていたら、自分の人生を生きられなくなる」

「子どもの五感をフル稼働して、自分で生み出す外遊びをすれば、エネルギーがいっぱい戻ってくる。命が輝いてくる。冒険遊び場をもっと多くの人に知ってもらいたい」と一斉開催の意義を話している。

遊びの持つ力 川崎子ども夢パーク
(毎日新聞2010年8月29日東京朝刊より)

「ここは何にもないんですねぇ」「どうやって遊ばせたらいいんですか」。

幼児を連れて初めて遊びに来た母親が、戸惑いながら声をかけてきた。

確かに、町の公園で見かけるような金属で作られた既製の遊具はひとつもない。

一緒にいた3、4歳くらいの男の子は、じっと立ったまま他の子が遊んでいる姿を目で追っている。そしておもむろに歩き出し、落ちていたシャベルを手にとって、土の山に登った。そこで穴掘りに夢中になっている子どもたちの横で、穴を掘り始めた。

しばらくしてその場に行ってみると、いつの間にか他の子たちと一緒にバケツの水を穴の中に流し込んでいる。既に服は泥だらけ。ハラハラ見守る母親を横目に「常連」の子にならって靴も脱ぎ捨て、裸足になって足で水をかき混ぜている。足の指先にまとわりつくヌルッとした泥の感触。バシャバシャと足でたたく水の跳ね返り。飛び散る水しぶき。

初めて会った子ども同士が歓声を上げている。この後、穴はどんどん大きくなって、やがて泥のお風呂へと変わっていったのだった。

遊びにはプログラムもマニュアルもない。

やってみたいと思ったことを手がかりに、自由な発想で作り、展開していく。

ゴールも正解もない。

大人が用意したマニュアルには必ず上手下手という評価が生まれる。

子どもにとって、それは遊びとはいえない。

今の子どもの世界には、やりたくもないことをやらされて、良い悪いを他人から評価される関係がはびこっている。この関係から外れて、子ども自身が主体となって、五感をフルに使い、自由にやってみたいことに挑戦できる遊びの世界を、幼いころから手に入れておいたほうがいい。

どうやったら大人からほめられるかではなく、自分の気持ちに正直に快、不快を感じられる心と体をはぐくむこと。これは遊びのもつ大きな力だ。そしてこれこそが、生きていくうえでとっても重要な力となっていく。

土や水、廃材があって、ノコギリやカナヅチなどの工具が使えて火をおこせる環境がある。できる限り「禁止」の看板を持たない冒険遊び場(プレーパーク)を地域の中にもっともっと増やしたい。
NPO法人フリースペースたまりば 理事長 西野博之

浦安プレーパークの会の取り組み

2008年2月に発足した「浦安プレーパークの会」は千葉県浦安市今川の「少年の広場」を会場に年6回開催しているが、市の施設のため毎回申し込みが必要で、他の団体と重なり断念しなければならない時もある。29日も抽選に外れ、「一斉開催」から1日遅れて30日に実施することになった(午前10時半から、参加費1世帯100円)。

運営スタッフは4人、荷物の運搬に車を出してくれる人が3人。代表の横山小夜子さん(50)は「まだプレーパークの良さを伝えきれておらず、やって来て家族だけでバーベキューを始める人もいる」と打ち明ける。それでも、見知らぬ家族が餅とソーセージの交換を始めたりする場面を見ると、出会いが増えていくきっかけ作りの大切さを痛感する。

「習い事や塾でなく、遊びが大事だと思っている親は少ない。でも、子ども時代の遊びが人間関係を豊かにし、トラブルが起きても自分で解決するたくましさの基をつくる。子どもがどんなふうに遊ぶか、親にも見てほしい。そのためにも早く常設のプレーパークをつくりたい」と意欲を語る。

備前プレーパークの取り組み

「備前プレーパークの会」が運営する「森の冒険ひみつ基地」(岡山県備前市)は何度も開催場所の移転を迫られた。

長男を連れ、岡山市のプレーパークに通っていた北口ひろみさん(44)が「備前の仲間にも体験してもらいたい」と、子育て中の母親たちに呼びかけ実行委員会を発足させたのは5年前。

公民館前の広場で3度開催したが、そのたびにそれぞれの家にあるノコギリ、スコップ、七輪などを運ばなければならず、片づけにも時間がかかった。遊んでいた子がけがをしてしまったり、別のプレーパーク関係者に「これがプレーパーク?」と問われたのもショックだった。

2007年、市の総合運動公園に会場を移した。公園には空き地や原っぱのようなわくわく感がなく、長男は「おもしろくない」とつぶやいた。

次に見つけたのが、ササぼうぼうの空き地。

所有者が使用を許してくれたが、木陰もないためあずまやを造ったところ「他人の土地にあんなものを建てて」とささやかれているのを知った。

「もう手に負えん」とあきらめかけた北口さんに、活動を見守ってきた亀井広満さん(61)が里山を無償提供してくれた。

亀井さんはパワーショベルを操り、沢の水を引き、炭焼き窯を造った。竹やロープ、ネットで造ったツリーデッキ、トランポリン、ブランコなども設けられて冒険の世界は広がり、2009年5月、わくわく感いっぱいの常設の遊び場がオープンした。

多い時は約100人の子どもがやって来る。それでもボランティアで遊び場を支える「森のママスタッフ」たちは言う。

「プレーパークって何?って聞かれる。知らん人はいっぱいいる」

「特別なことをしているという目で見る人は多い」

北口さんは「ボランティアでは月1回の開催が限界。でも、一生懸命やっている大人の姿を子どもは見ている。乳幼児から来られる場所にして、野外型の子育て支援拠点にしたい」と夢を語る。

初めて参加しての感想 

日本各地から2日間通して延べ560人が参加し、夜が更けるまで熱い思いを語り合った。大雨の中、神奈川県の副知事や横浜市の副市長にも駆けつけていただいた。

参加者は遊び場を立ち上げているお母さんたちや、それを支援する大学の先生や行政関係の人、プレーリーダーを今やっている人やこれからやってみたい人など…。

30年前に育児サークル的なものから、プレーパークを夏休みだけ開催していた仙台の「西公園プレーパークの会」は、現在、毎週開催で有償のプレーリーダーを雇う団体として頑張っている。そして、昔プレーリーダをした人や、かかわった子ども達が、今、世話人となり、地域で働き、大学の先生となり、地域の子育て環境を見守っている。

ほとんどの遊び場は地域のお母さんたちが子ども達の社会環境に不安をいだいたことから、立ち上がっている。そして、その思いは、地域に広がり、行政まで巻き込んで、住民主導の子育て支援活動へと繋がっている。

でも、その活動の影には、なみなみならぬ苦労がどの団体にもある。それでも、頑張れるのは、地域に広がる「子ども達の笑顔」、「輝く瞳」が明るい日本の未来を感じさせてくれるから。

「私も、もう少し頑張ってみよう!」と心に誓い、羽田から松山に向かった。

救え幼い命 児童虐待の現場から

(毎日新聞2010年8月30日より)
兵庫県小野市の夫婦が長男(当時4歳)を衣装ケースに閉じ込めて死亡させ、遺体を2年近く自宅の冷蔵庫に隠していた。昨年4月、妻(35)が警察に自首して発覚した。夫婦は逮捕監禁致死と死体遺棄の罪に問われ、夫(35)は同年12月、1審・神戸地裁姫路支部での裁判員裁判で懲役9年6月の実刑判決を受け、確定。妻も同支部で懲役6年の判決を受け、今年7月の控訴審判決で1審判決が確定した。

母親は親の勧めで結婚した前夫(37)とうまくいかず、2007年3月、出会い系サイトで知り合った相手の県営住宅に、子ども2人と転がり込んだ。「子どもに優しくしてくれる」と思い選んだ新しい夫は、「これが教育」と子どもたちを殴り始め、やがて暴力が家庭を支配する。後に公判で、自らも虐待された成育歴があったことなどが判明する。

母親は、部屋では鎖でつながれ、体中にキリでピアスの穴を開けられた。すさまじい暴力に耐えていた理由は「子どもと追い出されたら生きていけない」と思い込んでいたからだ。「嫌なら出て行け」と言われると、何も言い返せなかった。仕事は実家の青果店を手伝ったことがあるだけ。前夫と離婚して実家にも戻れない。

貯金もなく、相談できる友人もない。母親の弁護人が最もショックを受けたのは、母子家庭への公的扶助やDV(ドメスティックバイオレンス)被害者の支援制度を全く知らなかったことだった。

現状を耐え忍ぶだけで、誰にも相談していなかった。

今年1月、1審・神戸地裁姫路支部で懲役6年の判決を受け、大阪高裁に控訴。控訴審で弁護人は母親にカウンセラーを派遣した。カウンセラーは、DV被害者を保護する民間シェルターのパンフレットを差し入れた。拘置所での面会の時、母親はアクリル板越しに「私も入ることができたんですか」と驚いたという。今年7月16日の大阪高裁の控訴審判決は「控訴棄却」。減刑は認められなかったが、世の中に助けを求める場所があることを知り「それだけでも控訴してよかった」と弁護人の前で泣いた。上告しないことは自分で決めた。

母親は刑務所への移送を待つ大阪拘置所で、亡くなった男児の夢を見る。

天国で寂しい思いをしているようで、目を覚ましては涙を流す。「私が一歩踏み出す勇気があれば、こんなことにはなっていなかったのに……」。自問自答を繰り返しているという。

ひとりで悩まないで きっと助かる方法はあるから

このような、虐待やDVなどの社会問題は今やどの地域にも存在します。

もしも今、あなたが悩んでいるのであれば、相談する場所は松山にもたくさんあります。

ひとりで悩まずに、絶対誰かに相談してください。

「こんなことで相談するの恥ずかしい。」

「家の中の問題を誰にも知られたくない。」

と一人で悩みを抱えている間に、子どもたちは成長していきます。

家庭の問題で、一番苦しんでいるのは子どもたちです。

苦しみを乗り越えるために反社会的行動を起こす子どももいます。でも、一番怖いのは、暴力が家庭を支配し、子どもたちを支配するスパイラルが今後も伝承されていくことです。

児童相談所全国共通ダイヤルは2015年7月より 189 の3ケタになりました。

松山市子ども総合相談(松山市青少年センター内)

相談専用電話 089-943-3200