私たちのめざすこと

愛媛で活動を始めた理由

我が家がこの場所に住むことにしたのは、自然がいっぱいある愛媛だから・・・そして目の前に弁天山があったからです。

高い山でもないけど、子どもが遊ぶにはちょうどいい山。 それに自然林が育ち始めているから、毎回大人でもワクワクしてしまう。 大きな木もあるし、子どもが登りたくなる木もある。 ツルもいろいろなところから出ていていつでもクリスマスリースができちゃう! それから、いたどり、竹の子、わらびなどの山菜や野イチゴだってとれる。

それに何より子どもが日々遊ぶ生活圏にあるし、松山市内から車で20分もかからないし、海は目の前、松山空港はすぐそばにあります。

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自然があるのに子どもが外で遊んでいない!

でも、住んでみてわかったことは、「自然があっても子どもは外で遊ばない」ということでした。愛媛に来る前に、静岡、高知と自然に囲まれた場所に住んでいたけど、やっぱり子どもは遊んでいなかった。高学年になった我が息子に何度「ゲームばっかりしないで外で遊びなさい!」といったことか・・・
今や日本全国子どもの遊び環境は野外から室内へと移動しているのです。

昔の子どもは山・海・田んぼで思いっきり遊んでいた

でも地域のおじさん、おばさんに子どもたちが外で遊ばなくなったことを話すと、最近までこの地域の子どもたちはみんな山や海や田んぼで毎日遊んでいたというのです。夏になれば水の入った田んぼで虫を探し、冬は山の中で秘密基地を作り、季節折々の遊びで夕日が沈むまで仲間と戯れる。それがこの地域の常識。だったらどうして今は遊ばなくなったの?という疑問がわいてくるわけなんですが・・・

ゲームをする子ども

禁止事項が増えてきた子どもの遊び場

現在、松山の公園では基本的にボール遊びが禁止され、遊具は危ないからという理由で次々と撤去されています。それから、子どものモラルのない行動や、大きな声に対する苦情が行政や学校に寄せられ、その対応策として禁止事項を増やさざるおえない状況になっているために、子どもがのびのびと遊べなくなった公園も増えてきています。また、田んぼや畑、山や海での遊びは危ないので学校や行政からの指導により、子どもだけでは遊べなくなっています。

だから「子どもが遊ばなくなった」というよりは「遊べなくなった」という方がいいかもしれません。ほとんどの子どもは今でも思いっきり外で走り回って、遊ぶのが大好きなんですから。

ただ、これからの日本を考えた時、「禁止するだけで本当にいいのか?」という疑問が湧いてきます。

子どもたちを取り巻く社会環境

本格的な少子高齢化社会を目の前にして、総人口に占める65歳以上の高齢者人口の割合は2025年には30%になると予想され、ほぼ2人で1人の高齢者を支えることになると見込まれています。
私たちが高齢者になる頃この地域を支えてくれるのは今の子どもたちです。

その子どもたちの現状はといえば、学力低下,体力低下,コミュニケーション能力低下,夢や目標を持てず不完全燃焼になる若者の増加,なくならない「いじめ」や「不登校」や「ひきこもり」、犯罪の低年齢化そして非人間化等。こうした子どもの問題に対して,解決を担う場は,これまでいつも「学校教育」に求められてきました。

全国学力テストの復活,体力テスト,携帯電話の学校持ち込み禁止,教育全般の道徳化,受験による勉強の動機付け。今もその方向は変わっていないように思います。確かに子ども期を過ごす場として,学校は多くの時間と比重を占めています。だからといって,起きている問題の原因の本質を突き詰めることなく,何でも学校教育で解決しようとするやり方は,ほとんどうまくいっていないのではないでしょうか。

では学校教育以外に,子どもの問題を解決していく場を,私たちは持ちえているのでしょうか。

高齢化率のグラフ

子どもはどこで育つのか?

実は,ここに問題の真相が隠れていると思うのです。
それは「子どもはどこで育つのか」という,いまさら人々が問題にしないような問題について,きちんと向き合ってこなかったからではないでしょうか。

大人が「子どもをどう育てるのか」ということには熱心なのに,「子どもが自ら育つ力をどのように形成していくか」という点については,関心があまり向かっていなかったことにも繋がっているように思います。

子どもの問題の解決の場はどこに

学校は,目標に向かって努力するという「達成価値」が支配的です。それに対して地域での生活は,遊びを中心に楽しさに裏づけされた「形成価値」(結果として自主性や自発性,創造性や運動能力,コミュニケーション能力が身につくが子どもたちはそれを目的に活動しているわけではない)がコントラストをなしています。

しかし残念ながら,その地域での生活も,塾や習い事,スポーツ少年団に見られるように達成価値に支配される面が多くなってきています。学校的な価値が地域にまで浸透しているというのが,子どもをめぐる今日的状況であり、別の表現をすれば,大人の用意した子ども対象の意図的・組織的な活動が,子どもの放課後や休日に張り巡らされており,そこに親の意志が加わり,子どもが自らの意志で人とつながり,行動(主として遊び)する場や関係が奪われてしまっているといってよいのではないでしょうか。

子どもたちは,「よい子」「がんばる子」「大人の言うことをよく聞く子」になろうとします。

自分のために一生懸命になっている大人の期待の重みなどを感じて,それらがストレスとなって子どもたちに押し掛かってきます。

また,自分から人やモノ,自然に働きかける能動性よりも,消費文化と大人の仕掛けが「何をしたいのか」という子どもの心の内にまで入り込んで,子ども自身を受身にさせてしまう傾向にあります。

一人一人の子どもたちの可能性を引き出し、すべての子どもたちが元気にのびのび育っていく社会の実現

だからこれからはプレーパーク的活動がもっと増えなければいけないと考えています。
地域の人に理解してもらいながら、愛媛の自然を感じつつ、地域の仲間と遊ぶ第3の居場所が必要なのです。

松山総合公園での遊び場活動を始めて2年半。そして飯岡公園での活動期間も合わせると、あっという間にもうすぐ10年が過ぎます。

その間、楽しいことばかりではありませんでした。

地域で子どもたちが遊ぶ姿が増えるのを喜ぶ人もいれば、怒る人もいる。「遊び」が子どもの発達段階において重要だと理解する親もいれば、無関心の保護者もまだまだ多いように思います。全ての人に理解してもらうことは難しいかもしれませんが、地道な活動が少しずつ社会に反映されると信じています。

地域に根差した地道な活動を続けてきて思うことは、「目の前の子どもたちとの関わりの重要性」です。大きな理念を掲げ、子どもの健全育成をアピールしたとしても、それは絵に描いた餅。目の前の子どもは救えないのです。

地域の一人一人が地域の一人一人の子どもたちを見守ることがやはり最善の方法だと思います。

社会を良くする根底にはその必要性とそれを心掛ける市民一人一人への感謝の念が地域に広がることが重要です。

インド独立の父、ガンジーは「善きことはカタツムリの速度で動く」といい、アメリカ公民権運動の指導者キング牧師は「すべての進歩は不安定であり、一つの問題を解決しても、我々はまた他の問題に直面することになる。」と言っています。

社会がよくなるというのは、こうした言葉を借りれば、ゆっくりなのかもしれないし、決して平坦な道のりではありません。

それでも、地域の理解と協力、そして子ども社会の問題をたくさんの人に理解してもらい、一人一人の子どもたちの可能性を引き出し、すべての子どもたちが元気にのびのび育っていく社会の実現をめざしてこれからも活動していきます。

NPO法人みんなダイスキ松山冒険遊び場 代表 山本良子