遊び場通信22号 2014.12.28

遊び場通信22号

  • 大事にしていること①
  • 大事にしていること②
  • 子どもは遊びを創造する天才
  • 子どもの遊び環境
  • 体験活動による可能性
  • 遊ぶスイッチ
  • 子どもはケンカをする、そして学ぶ
  • センス・オブ・ワンダーを育む

 

 

大事にしていること①

「自分の責任で自由に遊ぶ」ということをモットーにしている冒険遊び場ですが、いつもスタッフが気を付けていることは、大きなケガが出ないように、山全体を見て周るということです。

自然には予想が付かないアクシデントがつきものです。

枯れ枝が木に引っ掛かっていたり、切り株が出ていたり、虫やキノコなど様々な動植物にも出会います。

そうしたものの何が危なくて何が大丈夫なのか、それは知識だけあっても、経験値が少ないと判断が付きにくいものです。

日々学びながら山でのプレーパークを積み重ねる中で、ノウハウに磨きをかけ、今後も安全に山での活動ができるように心掛けていきます。
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大事にしていること②

好奇心旺盛な子どもたちにとって冒険遊び場は夢のような遊び場です。

「やってみたい」と思うことにチャレンジできて、ドキドキわくわくがいっぱいあって、それから仲間もいる。決められたカリキュラムがあるわけではなく、自分自身の意思でその日の遊びを決めることができる。そして嫌になったらいつでも帰ることができる。

私たちスタッフはそうした子どもたちの安全を見守りながら、同時に子どもたち同士の関わりも見守っています。

素直な心で遊ぶ子どもたちは時にはケンカもするし、戦いごっこも始めます。でも、日頃そうした遊びをしていない子どもたちは本気の遊びの前でどうしてよいかわからず悲しくなることもあります。

子どもを育てるということは次世代を担う人材を育てるということです。その子が大きくなっても社会でしっかり生きていける人間を育てるために大人は子どもたちを見守っています。

だから子どもたちがケンカを始めても体と心が傷つけられる危険が伴わなければじっと見守るようにしています。ケンカをしながら、子どもたちも「どうしたらまた友達と遊べるんだろう?」「どうして怒っちゃったんだろう?」と必死に考ます。

それでも解決しなくて、その日はもう遊ばないってこともあります。

でも、また遊び場で会うと前のことは忘れていたかのように遊びだします。

不思議だけどケンカを経験した仲間同士の方がその後の仲間意識は強くなるような気がします。

子どもはさまざまな関わりの中で日々いろいろなことを学んでいるんだといつも実感してきました。

スタッフはそんな子どもたちひとりひとりの声なき想いを大切にしながら遊び場を見守っています。

子どもは遊びを創造する天才 松田 秀太郎

「子どもたちは、遊びを創造する天才である。」

そう、気づかせてくれたのが、「世田谷プレーパーク」(東京都世田谷区:世田谷公園内)で遊ぶ子どもたちである。

1996年4月にさかのぼる。世田谷プレーパークは都市公園の一角という限られた空間、自然環境を活用した冒険遊び場である。

場所と運営資金の多くは、世田谷区が、運営は地域住民でつくる会が担当するという仕組みである。同じ公園内の他空間と異なる光景が展開する。

子どもたちの遊ぶエネルギーは、目からだけでなく、耳から、鼻から全身の五感で感じられる。「トントンギコギコ」大人用の工具を使って、工作をしている音が響いてくる。たき火をおこすために石を積んでかまどを作る子どもたち。新聞紙に点いた火がなかなか薪に燃え移らないので、煙が立ち昇る。それでもなんとか火種ができると、お玉に砂糖と水を入れてべっこう飴をつくりだす。家から乾麺を持ってきて、茹でておやつにした子もいた。手作りの木材で出来た遊具兼、倉庫の上でお友達同士おしゃべりを楽しんでいる子どもたちもいる。話し声や笑い声が遊び場の空間全体を包みこんでいるように感じた。

子どもたちが創り出す遊びは、どれも創意工夫に満ち溢れていて驚かされた。子どもたちは親しみをこめてココを 「プレーパーク」と呼ぶ。このプレーパークでの子どもたちは、遊びの中で、毎日の暮らしでの喜怒哀楽の表情や言葉にならない思いなどを表現していると知るまでには、しばらく時間がかかった。
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子どもの遊び環境

時代に合わせて社会は変化する。

経済成長に伴い都市の姿は一変した。空き地がなくなり、都市からすき間が消えた。空き地があっても整地され立ち入り禁止の看板が掲げられた。やがて街中から子どもたちにとって魅力的な遊ぶ場所が消えた。少子化時代を迎え、子ども人口自体が減少し、核家族の家庭が増え、家族の在り方も変化した。

かつては、子どもなら誰しもが体験していたことが、現代の子どもには貴重な体験となっている。(図1参照)図2の各種自然体験についての質問に対し、「ほとんどない」と「まったくない」と回答した割合をみても、子どもの自然体験が減少しているのがわかる。もはや自然体験は、日常の暮らしと密接に関係したものではなくなってきている。データからは、自然体験に乏しい青少年の割合が増加傾向にあることが示されたが、自然に触れることや体験が大切なものであるという考えには、変わりはないであろう。自然体験には、お金がかかるという事実も都市部に暮らす青少年の現実である。

子どもの遊び環境図1子どもの遊び環境図2

近年は、自然体験そのものの効果に着目した学習塾なども、自然体験活動を長期休み期間に取り入れている。

また、図3のデーターからも「子どもたちに自然体験をさせたい」と思う親が増えていることがわかる。

子どもの遊び場環境図3

しかし、子どもたちに自然体験や遊びが足りないと言われたのは、いまにはじまったことではない。1960年代には、特に都市部での子どもたちの遊びを取り巻く環境は大きく変化していったようである。東京オリンピック開催に向けての準備、新幹線の開通に向けての工事など、国家が大きく変わろうとした時代。開発をする一方で、足元では、子どもたちにとっての魅力的な空き地が姿を消していった。

こうした現実の中で、おとなが子どもの遊び環境の貧弱さを意識するようになってきた。「子どもが安心して自由に遊べる場所が欲しい」。子どもをもつ親から寄せられる意見は多い。

今や子どもにとって身近な遊べる空間は公園が代表的である。しかし、全国に約10万箇所ある公園が必ずしも子どもにとって魅力的であるとは言えない。公園を利用する際、まず目にとびこむのは、禁止事項を掲げた看板である(例「公園内でボール遊びをしてはいけません」)。さらに遊具施設は、老朽化を機に撤去が進む。公園は、様々な人々が気持よく利用できる様、一定の秩序が求められるのは当然である。

しかし、公園の利用にあたっての禁止事項を設けすぎると、子どもたちの自由な遊びに規制がかかり、子どもたちにとって公園という遊び場は魅力的ではなくなる。こうしたことの積み重ねによって、放課後の時間帯にも関わらず、遊ぶ子どもたちの姿を見かけることが少ない。

おとなが求める子どもが安心して自由に遊べる場所と、子ども自身が遊びたい、おもしろそうだとわくわく感じる場所は必ずしも一致しない。

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体験活動による可能性

文部科学省が今年の体育の日を前に公表した2013年実施の「体力・運動能力調査」から10歳男子のソフトボール投げの記録が、1964年と比較して6メートルも低下していることが、分かった。(図4参照)50年の間に身長など体格は向上傾向で、比較では反復横とびの成績は伸びていたが、男子の「投げる力」は他の種目と比べても目立って落ちた。調査は1964年の東京五輪をきっかけに始まり、50回目。全体の分析では、子どもから大人まで、体力・運動能力とも1985年頃まで向上、1998年頃までは低下傾向にあった。以降は小中高生は総合的に回復しているが、1985年レベルより低いという。
体験活動による可能性図4

その要因としては子どもたちの日々の生活の中に「外遊び」が減少し、様々な人と関わりながら地域で育つ社会環境が衰退し続けているからだと考えられる。国立青少年教育振興機構が出したデーターによると、子どもの頃の様々な体験が豊富な人ほど、大人になってからのやる気や生きがい、モラルやコミュニケーション力などの資質や能力が高い傾向があり、(図5参照)自然の中で遊んだことや自然観察をしたことがある人の方が、学力調査の結果から正解率が高い傾向にあるという。(図6参照)このデーターをすべて鵜呑みにすることはできないが、自然の中でいろいろな人と関わりながら遊ぶ体験はさせた方が良いのだと思う。その方法が、スポーツクラブであったり、イベント的なキャンプや自然体験活動でも悪くはないが、そうなると参加費が払えて、親に理解がある限られた子ども達だけしか参加できないということになる。6人に1人の子どもが貧困といわれている現在。すべての子どもたちがどんな境遇であろうとも、地域で支え合って生きていける社会を目指すのであれば、地域に根差したプレーパークがやはり一番求められているのではないだろうか。
体験活動による可能性図5

体験活動による可能性図6

遊ぶスイッチ 松田 秀太郎

子どもたちは、遊ぶスイッチを持っている。

何気ない行動や事柄が、これはおもしろい、とっても楽しいことかもしれないとスイッチが入る瞬間のことを指す。

おかやまプレーパークでも子どもたちの遊ぶスイッチが入る瞬間に立ち会うことがある。

「なが~い棒なぁい。」輪投げの輪が、木の高いところに引っかかったらしい。確かに、かなり高いところに引っかかっている。「え~どこ?」そばにいた子どもたちも集まって来た。「ほら、あそこに見える。」しばらくすると、更に輪投げの輪を放り投げて当てて落とそうとする子どもが出てきた。それを見た子どもたちが、更に輪を投げる。まるで運動会の玉入れの様になってきた。引っかかった輪は、ようやく棒で木をゆすり落とすことに成功した。「やったぁ。」

「ねえ、見て。」声をかけられ木のところに行くと、輪投げの輪がいくつも木に引っかかっていた。子どもたちは、どうだと言わんばかりの嬉しそうな顔をしている。クリスマスツリーの飾りつけのようだった。

どこにでもある光景かもしれないが、「子どもは、遊ぶスイッチを持っている」とその時思った。この創造性、ユーモア、集中力はなんて凄いんだ。自分自身の子どもの頃の遊ぶスイッチを想い返した。きっと、全ての人間は、遊ぶスイッチを持っているはずだ。
今、目の前で起こる遊ぶスイッチを見守り、応援してみませんか。

子どもはケンカをする、そして学ぶ

「あいつ、きらい。」悔し泣きをした後、訴えかけるように言いに来たのは、小学生の彼でした。

「なんで?」いくつも理由が出てきます。

「そっかぁ。」

周りにいた誰もが気付く程のけんかでした。兄弟でないこと、遊び場で出会って一緒に遊んでいたこと、小さなぶつかりあいが起きていたことも知っていました。

本気でぶつかりあったけんかの後の子どもは、うなだれていたり、かあっとなった自分を落ち着かせる為にも、少し静かになります。使いきったエネルギーを充電します。それこそ自分と向き合う時間のように見えます。そんな時、遊びを通して子どもと関わる大人として、そばには居るけど、なるべくそっとしておきます。大人はけんかになるとすぐ止めたがるけど、一方的になったり、物を手にしたりしない限り見守ることを大切にしています。けんかになったのには、理由があります。中途半端に止めるのは、けんかをしている子どもの権利を奪うようなものです。

本気のけんかに立ち会った時、勝ち負けでなく、けんかに決着をつけたふたりをどこか尊敬する気持ちになります。

子どものけんかは、人との直接的関わりがあって生まれるもの。普段の何倍も人との距離が近くなります。

子どもはけんかをします。

必ずしも納得の終わりではないでしょう。それでも、自分でしたけんかだから、自分と向き合い自分を知り、人との関わり方や距離感を学びます。

≪松田秀太郎さんの紹介≫
1973年生まれ。子どもの頃、六甲山のふもとで遊んで育ち、素潜りで魚を獲るのが趣味。
仕事は、全国でもめずらしい「プレーリーダー」。
子どもの目線に近い立場で手づくりの遊び場づくりをしている。
東京・世田谷区の子どもの遊び場、プレーパークで4年間修行をつんだ後、新宿区のプレーパークのチーフプレーリーダーを経て、2012年4月に家族で岡山県に移住。
現在、岡山の子どもたちが豊かな体験や感動する場づくりを通じて、子どもの育ちを支援するNPO法人岡山市子どもセンターの職員となり、市民とNPOの協働による遊び場、おかやまプレーパークでプレーリーダー兼副代表として活動中。
センス・オブ・ワンダーを育む

(2014年12月21日のブログより)
私が活動を始めた頃、子どもたちに私たちが残せるものってなんだろう?っていつも悩んでいました。高度経済成長が終わり、便利な生活になれ、人や地域や自然と関わりを持たなくても生きていける社会が加速し、グローバル化がますます進む中、人間の精神はそれと正比例するかのように不安感が増しています。

その不安感を少なくし、安定した心で日々過ごせる子どもたちを育むために、今できることの1つがプレーパーク活動だと思っています。

そしてそれは「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を育むことだと思っています。レイチェル・カーソンが書いた「センス・オブ・ワンダー」の一節には下記のように書かれています。

子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない<センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性>を授けてほしいとたのむでしょう。

この感性は、やがて大人になるとやってくる怠慢と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。(中略)

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。

子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子
だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土
壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。

美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの
感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたび
よびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思
うようになります。

そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、
むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなに
たいせつであるかわかりません。センスオブワンダー

遊び場で子どもたちと関われば関わるほど、この言葉が心にしみてきます。そしてその子どもたちが成長していく姿に確信を持ち、今の活動に繋がっています。