遊び場通信14号 2011.6.27

遊び場通信14号

  • 落ち葉のワンダーランド
  • けんか
  • いきいきと遊ぶ子ども達
  • 5年目の春・・・変化する遊び場
  • 子どもを癒やす遊びの力・・・天野秀昭
    天野秀昭氏の紹介

 

 

 

落ち葉のワンダーランド

(2010年12月4日のブログより)
十二月初めの嵐のような突風が、公園の木々の葉っぱたちを大空へ舞い上がらせたおかげで、落葉のワンダーランドとなった公園では、子ども達が落葉遊びで盛り上がっていた。

  • 落葉を大きなバケツに集めたふわふわプール…
  • 台車の上でのおままごと…
  • 近くの川ではザリガニ探し…
  • それから小さな子ども達がボールで遊び、
  • 大きな子ども達が「ゆーボール」で野球…
  • 重曹とクエン酸の科学実験もやったりして子どもの時間がのんびり流れていた。

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けんか

(2011年5月21日のブログより)
私が活動を始める前、子どもの社会環境の問題点ののひとつに「けんかの形」の変化があった。自分の思いと相手の思いをバランスよく考えて遊ぶというのはまだまだ低学年には難しい。

その為「遊び」の中の「けんか」というのは、個々のコミュニケーション能力向上のために、この時期の子ども達にとって必要な関わりであると考えてきた。

また、今は少子化が進んでいることもあり、家庭内での「兄弟げんか」なども少なくなってきていることからも、より一層地域での異年齢の関わりが求められている。

遊び場での子ども達のけんかの変化は「遊び場ブログ」で毎回報告しているが、大きくまとめて次のような変化を感じている。
・「同年齢の集まり」×「異年齢のひとり」から「ひとり」×「ひとり」の「けんか」へ
・「けんか」=「いじめ?」原因が不明は、意図的な事から発展する形から双方の意見の食い違いによる原因が発展する形へ
・けんかしている子ども達の周辺の関わりについて・・・無関心又は、強い方へ加担から、高学年が問題を解決したり、他の子ども達も必死で止めたりする形へ・・・。

これは、私たち地域での見解であるので、他の地でも同じことが起こるとは限らない。

しかし、大人が子どもと同じ目線で子どもたちに関わる継続的な地域活動は、今後求められているのだと実感する結果となった。

目に見えない、子どもと社会との関わりに関する問題点を大人の温かいまなざしが解決できるのではないかと考えている。

いきいきと遊ぶ子ども達

(2011年5月7日のブログより)
暑くもなく、寒くもない 遊ぶには最高の季節が到来!春の花々が公園の花壇にも咲き始め、新緑がまぶしい♪

そんな公園に今日も子ども達がたくさん遊びに来ていました。女の子達は、仲良くお話ししながら、かわいく遊んでいるんだけど、横目で危ない遊びをしたがる男の子たちを怒りながらも、でもそんな男の子に興味も感じている。

注意をしてくれたり、片づけを手伝ってくれるのは毎回女の子の方が多い。

かたや男の子は…

まあ、いろんな性格の子や、発想も持っている子がいるわけで…

一概に「男の子」という括りで表現することはいけないかもしれないが・・・

遊びのダイナミックさというか、発想というか、やることが毎回奇想天外なのは男の子の方が多い!

今日もさまざまなものを開発して遊んでいた。
・滑車を使った遊び
・古い自転車タイヤと紐を利用した遊び
・てこの原理を利用して、ものをより高く上げる遊び
・釘を利用してちょっと危ないものを作る遊び
なんでも遊びに変化させてしまう子ども達…

でも、そんな「自分がやってみたかった遊び」を開発している子どもたちの瞳はいつもいきいきと輝いている。未来の希望をいだく心からの精気が感じられる。

5年目の春・・・変化する遊び場

(2011年5月14日のブログより)
春の日差しに誘われて、今日もたくさんの子ども達が遊びに来てくれた。

もしかして、今までで最高参加数かも?

70人ぐらいは、把握できるんだけど、それ以上になると走り回る子どもの数を数えるのは至難の業!

そんな賑やかな遊び場を眺めつつ、初めて遊び場を始めた頃のことを思い出していた…

木に登ることも、工作をすることも、それから水で遊ぶこともみんな大人の指示に従わないとできない子どもばかりだった。

でも最近の遊び場の子ども達は、みんなで協力しながら、自分のしたい事を工夫して遊ぶ子ども達でいっぱい。

ちょっと危なっかしい遊びもあるが、5年前よりも身に付いている子どもが多いように思う。

一番顕著に感じることは、「一度後悔したことのある遊び」はやらないということ。

水遊びをして、寒かったり、帰る時つらい思いを経験した子は、次回から水遊びをしても絶対ぬれようとはしない。でも、水遊びはする。絶対ぬれない方法を考えだして。

一度、ケガをしたり、危ない思いをした遊びは、次回どうしてもそのことがしたくなっても、誰よりも用心深くなる。そして、顔が真剣になる。危なさを誰よりもわかっている。

けんかや人間関係でもつらかったことや、いやだったこと、悲しかったことを経験している子は、次回、それを回避する方法をみんな考えて遊んでいるように思う。

生活の中から子ども達はいろいろなことを学んでいるんだと思う。

SAMSUNG

学校の勉強だけが、教育ではない!

「日常」の中に、「遊び」の中にきっと本当は学ぶべきことがいっぱいあるんだと思う。

でも今は学校の勉強だけが大事なのだと思う傾向が強い。

子ども達にはまだまだ長い人生が待っている。高校や大学に行くだけが人生ではない。どんな苦境にぶつかっても、強く生き抜くことのできる人間になってほしいと願っている。

冒険遊び場(プレーパーク)には、そうして子どもの「生きる力」を育てる要素があるのだと実感している。

SAMSUNG

 

子どもを癒やす遊びの力 自分を表現し、乗り越える 天野秀昭

(2011年3月21日 愛媛新聞より)
amano 体中に、戦慄が走った。東京で感じた揺れに、阪神淡路大震災と同じにおいを嗅ぎ取っていた。

まさに未曾有の大災害。

仲間がたくさんいる仙台も、時がたつにつれ壊滅的な姿を現していく。つながらない電話。焦りが心の奥にうずいた。

ぼくは、『冒険遊び場』のプレーリーダーを長く仕事としてきた。禁止や制約だらけの子どもの遊ぶ環境を、もっと自由に挑戦し、多少のけがも含めて子ども自身が試行錯誤できる場として返してあげたい。

そう願う親や地域の人などと協働してつくってきた。禁止事項を取り払い、「自分の責任で自由に遊ぶ」という看板を掲げた。日本で初めてその遊び場が東京・世田谷に常設されたのが1979年のことだ。

1995年1月17日の阪神淡路大震災勃発。

それから4日後。

遊び場に遊びに来ていた一人の子どもがつぶやいた。

「地震のテレビばかりでつまんない」。

災害はテレビゲームではない。自ら体感して子どもに震災のリアルな状況を知らせたいと被災地に行くことに決めた。1月25日に神戸入りし、2月3日に長田区内に子どもの遊び場を立ち上げた。

そこは、避難してきた人で既に250人を数えていた。ブルーシートで築かれた公園の簡易住居群の一角に、無理やり陣取った「子どもの遊び場」だった。

炊き出しのたびに、100㍍近い列ができる。その真横で、大笑いしながら子どもと遊んでいたのが僕たちだった。被災した大人もボランティアも、緊急救援も終わらないこの時期の光景にけげんなまなざしを向ける。日に日に被災者が集まり、「子どもの遊び場」は縮小を求められた。

しかし、校庭も公園もすべてが避難テントで埋め尽くされ、子どもが自由に遊べる場はもはやどこにも存在しないようになっていた。

1カ月ほどしたころから、大人は被災体験をものすごい勢いで話すようになった。ぼくは、子どもからもそうした体験を表現する日が早く来ることを願った。

2カ月がたったころ、それは遊びの中で表現されるようになっていった。

「震度1じゃ、2じゃ、3じゃ!」。ベニヤ板で作った手作りの机の上に6~7人の子どもが乗り、スクラムを組んで少しずつ揺れを大きくしていく。「震度6じゃ、7じゃ!」そう叫んだところで机の脚は折れ、ばたっと倒れた。うわっ!と子どもたちの歓声がはじける。
木っ端を並べ、その間に新聞を丸めて置いていく。その端々に火をつけ、あおぎながら炎を大きくしていく。「燃えとる、燃えとる!街が燃えとる!学校が燃えとる!」。叫びながら木っ端をさらに積み上げ火勢を上げる。「わーっ!」ここでも、歓声が上がった。

被災した大人たちに、この光景は不愉快そのものだった。けれど、大人でさえ語るようになるまでに1カ月を要した体験だ。自分の心を語る言葉をあまりもたない子どもは、遊びの中での表現を通してでしかそれを表すすべを持たない。「震度7じゃ!」で机の脚を折り、街を自分の思いのとおりに「燃やす」ことで、およそ受け入れることのできない巨大で理不尽な体験を、自分の意識化にコントロールし直そうとしている。

この遊びは、子どもが自身に降りかかった出来事を、何とか自分で受け入れ、乗り越えようとしている表れなのである。

遊びは、決して単なる暇つぶしではない。

被災した子どもは、自分で何とかそれを乗り越えなくてはならない。

走り回り発散する。

友達と話し込む。

時には痛手を負った出来事を遊びに変えて受け入れようとする。

子どもは自分の世界を築き、自分を表現し、自分を癒やす。

未曾有の災害の中で、紛れもなく子どもも被災者だ。心のケアとしてカウンセラーを被災地入りさせるのも良いが、子どもには自分を癒やす力がある。そのため、十分な遊び場が必要なのだ。

仙台市の『海岸公園冒険広場』『西公園プレーパーク』。どちらも僕と同じ願いを持つ仲間の活動の場だ。そこが、壊滅的な被害を受けた。けれど3月13日、ようやく元気な声を聞くことができた。「子どもの復興」の始まりだ。

トルコ地震のとき、トルコの人たちは何を置いてもはじめに子どもが安心して遊べる場から復興させたという。「子どもが元気でいれば、みんな元気でいられる」。元気な地域を取り戻すために、協力したい。

天野秀昭氏の紹介

1981 年、 国内初の常設の遊び場「羽根木プレーパーク」で、日本初プレイリーダーとして活動を開始。
プレイリーダー養成のためのプログラムの開発、 実施のほか、これもまた日本で初めてとなる子ども専用の相談電話「チャイルドライン」を開設し運営に当たっている。
東京都 「子どもの権利擁護システム検討委員会」委員、 建設省•文部省 「子どもの多様な活動の場となる都市公園に関する研究会」委員、 厚生労働省•文部科学省「地域における少子化への対応を推進するための調査研究委員会」委員、 内閣府「青少年の育成に関する有識者懇談会」委員、世田谷区 「健やか親子検討会議」委員などを歴任。

遊びの価値を行政施策に根付かせる大きな役割も担っている。

大正大学特命教授
(特非) 日本冒険遊び場づくり協会 副代表
(特非) プレーパークせたがや 理事
(特非) 川崎市子ども夢パーク 理事